Exphysicist先生による【ヒッグス先生青春記】

面白かったのでまとめました。まだ続くそうなので、随時追加します。
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hoshi2011 @Exphysicist

【ヒッグズ先生青春記】1.1960年頃は在欧の素粒子論屋のほとんどは分散理論をやっていて、場の理論分野は少数派だった。米国は分裂していて、西海岸ではChewのS-行列理論一辺倒だが、東部ではシュヴィンガーの場の理論の原理がまだ有効で彼の弟子だったグラショウもその中の一人だった。

2012-07-26 17:44:03
hoshi2011 @Exphysicist

2.エディンバラで講師に採用される直前に分散理論に関するスコットランドの大学サマースクールが開催されることになり世話役で行くことになった。米国行きのグラントを獲った講師の一人が出してくれた数百ポンドの金で、スクールの夕食に出すワインを購入して管理するのが私の仕事というわけだった。

2012-07-26 17:46:33
hoshi2011 @Exphysicist

3.その夏、中世の僧院の地下室で一緒に過ごしたのが、カビボ、グラショウ、ヴェルトマンだった。そこでカビボ、グラショウ、ヴェルトマン、それと公理論をやっていたロビンソンの4人組が徹夜で議論していたが私はワインの番をしなければならないし、朝寝坊もできないので、議論には加われなかった。

2012-07-26 17:48:09
hoshi2011 @Exphysicist

←今のは2008年にエディンバラのピーター・オズボーン邸でデル・ドゥカが行ったヒッグズ教授の22頁のインタビューの冒頭部分。だんだん専門的になって行くが最初はこんな風な青春記。あの年(1964)に起こったことについての証言はとても貴重。 http://t.co/gG1LUkql

2012-07-26 17:52:30
hoshi2011 @Exphysicist

【ヒッグズ先生青春記】その4.これが私がグラショウの弱電統一の1961年の論文を知らなかった理由だ。グラショウ、カビボ、ヴェルトマン、ロビンソンの4人組は徹夜で議論を続け翌朝の最初の講義に寝坊した。カビボに次に会った時、彼は分散理論なんか勉強したことがないと打ち明けた。

2012-07-28 16:40:08
hoshi2011 @Exphysicist

5. 分散理論のサマースクールなのにね。ついでにカビボは口が滑って私のワインのおかげで議論が活発になったと白状した。僧院の地下室のお爺さん時計にしまったワインに私が鍵を賭けておかなかったのが悪かったのだ。これが彼らが電弱相互作用に就いて情報交換してる場に私がいなかったいきさつだ。

2012-07-28 17:04:29
hoshi2011 @Exphysicist

【ヒッグズ先生青春記、注釈】弱電統一理論はグラショウ・ワインバーグ・サラム理論ともいわれる。ここでヒッグズ先生が言及してるのはグラショウNucl.Phys.22(1961)579のことで、1960年夏の酒蔵の一件の時には彼は既にそれを書き終えて他の3人に話したとと考えられる。

2012-07-28 17:14:26
hoshi2011 @Exphysicist

ワインバーグ・サラム理論(1967)=グラショウの電弱統一(1961)+ヒッグズ機構(1964)なのだから、スコットランドの酒蔵でヒッグズとグラショウの二人の青年がもし話しこんでいたらその後の素粒子理論はもう少し歩みが早かったかも、などと考えるのも今や楽しい。

2012-07-28 17:27:16
hoshi2011 @Exphysicist

6.でエディンバラ大学の講師になった年に南部とヨナ・ラシニオの論文を読んで素粒子のユニタリ対称性の破れに就いて何が言えるかを研究することにした。南部の論文のすぐ後に、相対論的な理論で対称性が自発的に破れるときには質量ゼロのスカラー粒子が現れることをゴールドストーンが指摘した。

2012-07-28 18:37:53
hoshi2011 @Exphysicist

7.ゴールドストーン・サラム・ワインバーグによるその定理の証明が1962年にでた。この定理は私を大いにがっかりさせた,というのは今の場合該当するスカラー粒子はないし、もしこれから見つかるとしても星の中の高エネルギー反応では容易に出てきて恒星の進化の理論を台無しにしてしまうだろう。

2012-07-28 18:41:54
hoshi2011 @Exphysicist

8.というわけで1962年の当時は南部のアイデアで素粒子をやるのは見込みがないように思えた。【ヒッグズ先生青春記】

2012-07-28 18:54:55
hoshi2011 @Exphysicist

【ヒッグズ先生青春記】その9.Q:OK,定理によればグローバルな対称性が自発的に破れるとゼロ質量のスカラー粒子が現れる。カイラル対称性SU(2)xSU(2)が破れるときに出てくる殆どゼロ質量のパイ中間子がその例だ。しかしもともとの南部の仕事はどういうものだったのか?

2012-07-29 10:46:39
hoshi2011 @Exphysicist

10.A:南部は50年代の後半にポスドクでシカゴにやってきたシュリーファーからBCSの超電導理論を学んだらしい。南部とアンダーソンは独立に、それまで多体系の複雑な言葉で書かれていたBCSを場の理論の言葉に書き直した。そうすると対称性の自発的な破れが起こっていることが明白になった。

2012-07-29 10:47:27
hoshi2011 @Exphysicist

11.南部とヨナ・ラシニオの論文では基本場は陽子と中性子でパイ中間子がそれらの結合状態としてあらわれる。ゴールドストーンがランダウ・ギンスブルグ理論と類似の基本スカラー場を入れてみると質量ゼロの粒子が出てきた。カイラルSU(2)xSU(2)理論の時には質量ゼロのパイ中間子が出る。

2012-07-29 10:53:22
hoshi2011 @Exphysicist

12.ゴールドストーンは1961年には定理に気付いていたが、余り急いで論文にする性格の人ではなかった。所がその年インペリアル・コレッジに来ていたサラムとワインバーグが一緒にゴールストーンの所に来て、3人で定理として論文にまとめようと説得したので、そうなった。

2012-07-29 10:54:20
hoshi2011 @Exphysicist

13.しかし海の向こうでペンシルヴェニア大学のクラインとリーが定理について疑問を投げかけてきた。彼はゴールドストーン定理の証明をつぶさに調べて「スペクトル関数の中に、もっと余分な項があり得るのではないか。BCS理論の場合にそうであったように」と指摘した。これは1964年3月だ。

2012-07-29 11:01:50
hoshi2011 @Exphysicist

14.1964年4月になってウォルター・ギルバートが「いや、そのような項があるとローレンツ対称性を破る。相対論的な時にはゴールドストーン定理はかならず成り立つ」と反駁した。そんな状態で1964年の夏になった。

2012-07-29 11:03:15
hoshi2011 @Exphysicist

【ヒッグズ先生青春記】15.ここでアンダーソンのことに触れなければならない。彼は1963年の論文「プラズモン、ゲージ対称性、質量」のなかで、「ゴールドストーン定理にはゼロ質量問題がある。ヤング・ミルズ理論にもゼロ質量問題がある。これらは相殺するのではないか」と推測した。

2012-07-30 02:18:52
hoshi2011 @Exphysicist

16.彼は正しかったのだが素粒子屋の中にはそれを信じる人はいなかった。かれは相対論的な例を示さなかったし、定理の間違いを示したわけでもなかったので。Q:アンダーソンは洞察力のある人だ。

2012-07-29 11:06:49
hoshi2011 @Exphysicist

17.A:そうだ、まさしく物理的直観をもっていた。かれによると「超電導体の中にゼロエネルギーのゴールドストーン素励起が現れるはずなのに、電磁気的な長距離力のために素励起のエネルギーが押し上げられて質量をもつようになる」と説明した。

2012-07-29 11:08:59
hoshi2011 @Exphysicist

18.だが素粒子屋は相対論的理論は別で、定理の方が正しいと考えた。アンダーソンの方が正しかったのだが、自分以外のだれも納得させられなかった。 【ヒッグズ先生青春記】

2012-07-29 11:10:41
hoshi2011 @Exphysicist

【ヒッグズ先生青春記、脱線と余談】超電導のBCS理論が出たのは1957年のこと。BCS理論から南部が自発的対称性の破れという現象を読みとった。そしてゴールドストーン定理。定理の抜け穴を見つけようとしたクライン、リー、ギルバートらの苦闘と紛糾。その上にヒッグズの発見があったわけだ。

2012-07-29 18:29:44
hoshi2011 @Exphysicist

19.決定的なのは7月の2週間だったと思う。当時はフィジカル・レヴュー・レターズが届くのに1月はかかった。ギルバートの論文は6月半ばに掲載されて、私はその頃学部の図書室の雑誌係をやっていたので誰よりも早く7月16日にそれを見た。

2012-07-29 18:38:04
hoshi2011 @Exphysicist

20.学部の雑誌係の仕事というのはジャーナルが届いた日付をカヴァーに書きこみ、他の人が読みやすいように棚に並べるというものだった。PRLのその号はやがて大学の図書館に運ばれてカヴァーもろとも製本されたので証拠が残っている。

2012-07-29 18:39:17
hoshi2011 @Exphysicist

21.ギルバートの論文は「誰もゴールドストーン定理からは逃れられませんよ」ということを完膚なきまでに宣明しているかのようだった。その時私の反応を聞かれたら、たぶん「ちぇっ、これで終わりか」と言ったと思う。仲間は何を悩んでいるのかいぶかしげだった。

2012-07-29 18:57:45