何故「草クイズ」は難問へ傾倒してしまったのか
今では「テレビクイズ」はいっしょくたにされるが、80年代はクイズ番組の中でも「100万円クイズハンターは簡単」「アタックは標準的」「ウルトラの準決勝・決勝は難問」というような難易度認識があった。と思う。
2012-07-31 01:51:1880年代末にクイズ王ブームが起きて、愛好者の視点が「レギュラー番組で勝つ」から「クイズ王番組で活躍・優勝する」に向いた。とともに、『史上最強』のカプセルなどのようなこれまでの枠を超えた難度に注目が集まる。
2012-07-31 01:56:11愛好者のチャンピオン志向、難問志向が上昇する中、90年代初頭にクイズ王番組は相次いで姿を消す。そこから、志向を受け継いだ「オープン大会」が愛好者たちの主な戦場となる。その場でどんな問題が出されたか。
2012-07-31 02:01:16「テレビで出せる難問には限度がある。しかしオープンに限度はない」というのが90年代前半の空気だったのでは。難問化のベクトルは、まず「派生」。2番目、3番目を聞くものや、発明発見者を問うもの。既存のクイズを派生させた、難しさのわかりやすい難問。
2012-07-31 02:05:44次に「アカデミック」。これは、当時のオープン大会を推し進めた中心が大学生だったことと縁深いだろう。学術的な分野の人物や術語が多々出された。そして「TVタブー」。犯罪や宗教、事件事故や商品関係など。
2012-07-31 02:11:16「テレビのクイズはぬるい」「簡単な問題を反射神経で正解してもクイズ王とは呼べない」「クイズ王は格調高い難問で決めるべき」という風潮が学生を中心に広がったのが90年代半ば。もちろん異論も多かったが、勢いがあった。徐々にこれらが「クイズ界の主流」と呼ばれるようになる。
2012-07-31 02:17:00これら難問は概ね「既存のクイズの派生やアンチから生まれたもの」であった。そんな難問派にバイブル的扱いを受けたのが『水津康夫のクイズ全書』だった。何年も先を行っている難問の数々。
2012-07-31 02:24:12しかし、水津氏の問題は「本や新聞から」作られている。「クイズからクイズを作る」やり方では、いつまでも水津氏には追い付かない、というか、向いている方向が違う。
2012-07-31 02:24:47テレビのクイズは理不尽で、強い人があっさり負けてしまう。オープンは強い人が負けず、本当に強い人だけで決戦をしよう。というのが「実力主義」という考え方。ルールにも問題面にもそれは影響した。
2012-07-31 02:35:16「偶然知ってる」人が「たくさん勉強した」人にうっかり勝つような、芸能のホットな話題などの問題は避けられる傾向に。芸能スポーツは歴代記録や古典的名作にスポットがあたるように。
2012-07-31 02:38:29