ネルソン・グッドマン『芸術の言語』から「リアリズム」の項を読んでいる
- yaoki_dokidoki
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これはずっと言ってるんだけど、そんなわけないですよね RT @iwa_jose: ごく素朴な疑問として、けいおん!のキャラクターにはほんとに内面ないのかしら?と思う。発話や行動には直接的に反映されない微妙な心情を想像させるような契機となるような語り/演出はまったくないのかな。…
2012-08-02 20:38:51いずみのさん、伊藤剛さんがいま話題にしていることについては、ぼくにもなんだか心にわだかまる問題として残っていた。
2012-08-03 00:43:27日曜日のグッドマンの『languages of art』の読書会で、それについてちょっと感じたことがあった。なんだったっけ。
2012-08-03 00:45:31思い出して来た。そもそも、マンガにおける自然主義的リアリズムについて考えたときに、それが「内面」の表現を志向しており、描写の「精細さ」につながるというとき、このリアリズムの「リアルさ」はどのようにして測られるのかという問題が頭にあった。
2012-08-03 00:58:25『languages of art』の第一章「現実の再制作」第8項「リアリズム」は、リアリズムの基準について書かれている。
2012-08-03 01:04:05グッドマンの第一章での各項の主張で一貫しているのは、芸術における再現において、大事なのは指示であって、類似性ではないということ。
2012-08-03 01:17:57主張のポイントは、第一項に書かれている。シノハラユウキさんのレジュメに沿っていうと、「類似性は対称性にもとづく。男爵の絵は男爵をrepresentするが、逆に男爵は男爵の絵をrepresentしない。城の絵は城よりは絵により似ている」
2012-08-03 01:22:04つまり、ここでは類似性の強さがrepresentationを担保しているわけではないことが示されている。ソシュールの言語の恣意性の議論も思いだすが、再現するものとされるものの間には、類似による親近性よりも、指示による恣意性が働いているように見える。
2012-08-03 01:24:11グッドマンの主張をふまえると、芸術における再現の「リアル」「リアリズム」という語用も、けして類似性によるはかりかたではなくて、なんらかの恣意性にもとづいた基準によってはかられているのだという予想が立つ。
2012-08-03 01:49:25原文を読んだ上で、シノハラさんの要約を引用すると、「どれだけ絵がよく対象を模写しているかではなく、どれだけ絵と対象が、(お互いにとって)適切な観察条件の下で、同じ反応と予期を引き起こすかにある」。丸かっこの箇所はぼくが訳して補った。
2012-08-03 02:05:23ここからはぼくの訳。「さらにいえば、理論はかならずしも、フィクティブな再現がリアリズムの度合いによって異なるという事実によってただちに困惑させられるというわけではない。」p.34
2012-08-03 02:21:38「たとえケンタウルスが存在しないとしても、リアリスティックな絵はきっとわたしをそれがケンタウルスだとだますことができるだろう。」p.34
2012-08-03 03:14:38「だがそこには難しさがある。何がだますのかは、何が観察されているかに依存する。そして何が観察されるかは、興味や習慣に依存する。」p.34
2012-08-03 03:16:35「絵がだますということは、リアリズムの指標になるというよりは、魔術師としての証拠となるほうにちかい。それはかなり一般的ではない事故である。」p.35
2012-08-03 03:24:53「これらの考え方から、最もリアリスティックな回がとは最大限に適切な情報を供給するものということになる。だがこの仮説は、すぐに、そして完全に論破されうる」p.35
2012-08-03 03:32:08「正常なパースをもち、正常の色が付けられたリアリスティックな絵画を考えてみよう。そしてつぎに2つめの絵画を考えよう。この絵画と他はまったく同じだがパースが逆につけられ、色は全てもとの絵画の補色に置き換えられている」p.35
2012-08-03 03:35:21「二番目の絵画は、適切な解釈をすれば、元の絵画と全く精確に同じ情報を生み出す。そして同様に極端だけれども情報を保存したままで変換されたほかのいかなるたくさんの絵画も、同様に同じだけの情報を生み出すだろう。」p.35
2012-08-03 03:38:43「あきらかに、はじめのリアリスティックな絵画と他の非リアリスティックな絵画とは等しく情報を供給する。したがって、情報の豊かさはリアリズムをはかるものにはならない」p.36
2012-08-03 03:42:12「二番目の絵画を適切に読むためには、私たちは解釈の規則を発見し、それを用心深く適用しなければならない」(『Languages of Art』p.36)
2012-08-03 03:49:27「第一の絵画を読むときは、事実上自動的な習慣によっていた。つまり、慣れがシンボルをそれほど透明にさせたのである。私たちが(自分たちがしている)どんな努力にも、他の選択肢がにも、なんらかの解釈をしているのにまったく気づかないほどに。」(『Languages of Art』p.36)
2012-08-03 03:56:10