森田 真生 @orionis23 さんによる計算(computation)について
計算computeの語源はラテン語のコンプターレ:computare(com共に−putare考える)である。このことは、計算が単体で存在することの不可能性を教えてくれる。計算はそもそものはじまりから他のものを巻き込むことを本性としている。http://t.co/N3J6dB9h
2012-08-02 15:55:35計算(computation)というのがもともとラテン語のcom(ともに)putare(考える)という言葉から来ている、というのを教えてくれたのは@kazeto くんです。計算とは「ともに考える」ことである。素晴らしいですよね。 http://t.co/JfIGjHmG
2012-08-02 15:40:07計算という同じ日本語があてられていますが、calculationとcomputationでは意味合いが大きく違いますね。もともとcalculationというのは「小石(=pebble)」を意味するラテン語"calculus"から来ています。
2012-08-02 15:42:35小石を並べたりしながら数を数えたり足したりひいたりする。calculationというと、そういう数のあいだの簡単な演算という、狭い意味での「計算」を意味します。一方、compuationというと、それよりもはるかに範疇の広いことばですよね。
2012-08-02 15:46:03そのcomputationという概念に明確な輪郭を与えたのが、1930年代のGodel, Church, Turing, Kleene, Postらの仕事でした。
2012-08-02 15:49:32チューリングのLCMは計算をする人(computer)をモデルにしていたこともあり、直観に訴えるcomputationのモデルとして、特にインパクトがあったのではないかと思います。
2012-08-02 15:51:14recursive functionでもλcalculusでもTMでもいいですが、とにかく、こうして定式化されたcomputationの万能性ゆえ、computationによって知性でさえもsimulateできるはずだ、という考え方が出てきました。
2012-08-02 16:00:13しかし、僕がcom-putation(ともに-考える)という言葉を聞いて想起するのは、万能チューリングマシンがあらゆる知性をシミュレートしているという情景ではなく、世界に偏在している無数の知性が計算によって媒介されているという、偏在する神々の世界です。
2012-08-02 16:02:51知性の具現者として計算がど真ん中に居座っている情景ではなく、小さな神々たちのように、世界に偏在する知性を媒介する、媒介者としての計算、ということを考えずにはいられないのです。
2012-08-02 16:05:38風に揺れているあの樹は何を考えているのだろうか? 山はいま何を思っているのだろうか? そういうことを「聴く」ために、計算するのです。樹を制御したり、山を統制するためではありません。自然と「ともに-考える」ために、計算をする。そういう未来がやってくることを、夢みているのです。
2012-08-02 16:07:48それが、僕が@kensuzukiさんから学んだ「自然計算(natural computation)」ということだと思っています。
2012-08-02 16:10:13知性の具現者としての計算から、知性の媒介者としての計算へ。そうしてはじめて、言葉の本来の意味でのcom-putationということが動き出すのではないでしょうか。
2012-08-02 16:10:30@orionis23さん のツイートでComputationの語源にさかのぼられて「ともにー考える」というリヴィジョンが行われています。興味深い。横入りすると、Considerはcon-sidre、つまり「星とともに」なんです。これが「熟考する」considerの語源。
2012-08-02 16:16:39そして、computusという言葉はすでに中世の占星術・天文学において登場します。複雑な惑星の位置推算をするための表であり技術として。
2012-08-02 16:18:54