「震災学」Vol.1(東北学院大学)を読んで。:2012年8月
車中観震災学Vol.1。巻頭内橋克人、「制度設計を具体的に提言すること」と語る一点には価値がある。実践できるか否か。 佐々木俊三、典型的な哲学思想オナニーに見える。藤田省三から説き起しアレント、リオタール、カントを補助線として引くが、本質的にハイデガーの本来性概念を疑わない思考。
2012-08-04 00:30:40岡本仁宏「東日本大震災被災地・者に、市民はどのような支援活動を行ったのか :市民社会の奥深い存在を見出すために」。 好論文。震災への支援主体を分類し総覧、マクロな視野を与えてくれる。その総体を捉えるに、いかに情報、データが欠けているかも実感できる。
2012-08-04 00:39:49山中茂樹、誰も反対しないだろう復興の美しい理念が訴えられる。具体性はない。 郭基煥「『現実を見ること』と『現実に見られていること』」。読める。死者とは何か。失われたものへの感覚。とりわけ非被災地から被災地に関わる人に。ここには思考の繊細さがある。震災学1。
2012-08-04 01:18:14というわけで震災学Vol.1を1/3ほどは読みすすめたのだけれど、これまでのところ岡本仁宏と郭基煥の二本以外は読まなくてよい…。(多少の我慢をするなら、この雑誌のマニフェストなのだろうという義理含みで巻頭の内橋克人講演か。)
2012-08-04 01:33:38震災学Vol.1終巻。前半に読む必要のない文章が並ぶが、それを除けば悪くない一冊。1800円分の価値は十分ある。 章立ては、第1章「震災が問うた基礎的な諸問題」、2章「被災地の現実」、3章「災害とボランティア」、4章「唐桑の漁業と災害」、5章「災害とジャーナリズム」。
2012-08-29 23:29:08唐桑を取り上げた第4章は、川島秀一、植田今日子の二論文がまさかの民俗学でありながら“読ませる”のに驚く(とりわけ後者)。 梅屋潔「遠くから私が気仙沼にこだわるいくつかの理由」は民俗学系の研究者の震災後の動きを示すドキュメントとしても貴重。センスも信頼できる。
2012-08-29 23:38:57第5章は、藤代裕之「ソーシャルメディア時代における地方紙の役割と地方発信の意味」が、楽天的な見通し(震災で地方紙の価値が再発見された!)に寄りかからず、一般人のソーシャルメディアはもちろん、全国紙や自治体による発信を含め、この時代における地方紙の現在に冷静な評価を試みていて好感。
2012-08-29 23:47:59第5章、八浪英明(河北新報)「情報ボランティアと東日本大震災」。被災地における学生の情報ボランティアのシステム構築と試行錯誤。記者たるための「訓練」の必要性、大学復旧につれ去りゆく学生たち、新聞社インターンシップとしてのボラ(あるいはそれは搾取の一形態か?)など、考えさせられる。
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