宗教学のディシプリンと理論宗教学の構想 【原基】

まとめてみました ちょっと続けてみたいと思っています 100802 あまりに長くなってきましたので、【原基】と付けました
35
劇場版『瘋癲の博徒 』💩リプ爺ことマルクス博士 @MarkWatermanPhD

そうかもしれない。日本でいう宗教学は擬似宗教を扱うし、文化よりもサブカルしか理解できない(人が多い)。RT @1001_revo_emag 日本語で考えるひとには「宗教」や「民主主義」はそもそも向いていないのではないだろーか。

2010-06-08 23:02:42
劇場版『瘋癲の博徒 』💩リプ爺ことマルクス博士 @MarkWatermanPhD

辺境の擬似宗教なんかは趣味の人にまかせておけばいいのに趣味の人のほうがそこらは「宗教学者」より優れているよ。宗教学者は骨のある宗教に少しは取り組んでから「宗教学者」だと名乗ればいい。

2010-06-23 04:48:26
劇場版『瘋癲の博徒 』💩リプ爺ことマルクス博士 @MarkWatermanPhD

ああ、ガメさんのような宗教学者が日本にいれば・・・。RT @1001_revo_emag 結局、理性と信仰の関係はアウグスティヌスとその母親の関係に似ているのだろうか。 静かな狂信と真実の信仰との本然的な違いはなにか?

2010-06-27 22:27:47
@Yoshis693

学際的ということがある程度求められるのは分かるが、文系学部教育でしっかりした専門分野を教わらず、国際云々とか情報云々とかいう学科がもの凄く多くなったのは、日本の大学教育にとって相当マイナスだと思う。賢い高校生は英米文学科とか東洋史学科とか、体系だった事を学べる学科を選んで欲しい。

2010-07-08 00:53:03
Kawase Takaya @t_kawase

「学際的」、魅力的な言葉だし、僕も常日頃考えているけど、やはり何らかの「専門」を持った上での「副専攻」としてしか、上手く機能しないのかも知れない、などと気弱な気持ちになることもある。その「ホームグラウンド」から一歩も出ないようじゃ、これまたつまらないんだけど。

2010-07-12 01:02:15
Kawase Takaya @t_kawase

僕がさっきつぶやいたのは、今リツイートした先生の意見を読んで腕組みしちゃったからなんだが。まあ、教える側は昔のディシプリンを叩き込まれている人が多いから、それで教えられる側とのギャップが生じるんだけど。当事者として凄くその点は思う。

2010-07-12 01:08:22
Kawase Takaya @t_kawase

でも、「学際的」というものの基本は、やはり他の専攻のディシプリンに対する尊敬の念だよな、とは思う。「ああ、おたくはその程度なんですね」と互いに軽蔑しあっているような態度は不毛。「私は支持しませんがそういうのもありかも知れませんね」くらいには歩み寄らねば。

2010-07-12 01:11:35
Kawase Takaya @t_kawase

あ、「尊敬」は言い過ぎ、「尊重」ですね。

2010-07-12 01:14:09
@pettazzoniano

@t_kawase disciplineがないのにinter-disciplinarityなど不可能だと僕は単純に考えています。

2010-07-12 01:17:59
Kawase Takaya @t_kawase

@pettazzoniano そう、それなんですよね。僕はそういう名前の学科に勤めているから、一層責任感やら罪悪感やら不完全燃焼感やらを抱えているわけです。「宗教学ってディシプリンあるの?」という質問が一番きついかも知れないけど(笑)。

2010-07-12 01:21:43
@pettazzoniano

イタリアの学問の面白いところは、ラベルをいじらずに越境するところです。美学なら美学で、まだやることがたくさんある。「~学」を新しく作る必要なんかないんです。

2010-07-12 01:24:19
@pettazzoniano

@t_kawase ギク。僕は「宗教的真理をいったん棚上げすること。それさえクリアすれば何してもOK」と答えています。不十分ですねえ。。。

2010-07-12 01:27:21
劇場版『瘋癲の博徒 』💩リプ爺ことマルクス博士 @MarkWatermanPhD

東大の宗教学科って「学際学科」の走りだよな。「情報学科」の走りかもしれない。旧新聞研(旧社会情報研、現在は何が何だかわからないカンカン)の図書館には社会宗教系の資料が腐るほどあったらしいから。今頃ホントに腐ってるのだろうが。

2010-07-12 05:20:59
劇場版『瘋癲の博徒 』💩リプ爺ことマルクス博士 @MarkWatermanPhD

東大の宗教学科には何か系統だった宗教を専門にする人はいないんだよ。素人集団の「学際学科」だから。骨なし学者だけ。クラゲみたいな。(言っちゃった、言っちゃった、こりゃー攻撃されるなWKTK)

2010-07-12 05:23:29
劇場版『瘋癲の博徒 』💩リプ爺ことマルクス博士 @MarkWatermanPhD

でも東大宗教学科の人たちは紳士だから誰も余など相手にしないんだな。逃げなくてもいい。

2010-07-12 05:25:52
@IkeruMuenbotoke

えーっ。なんでそこまで言えるんだろとか反射的に思ってしまった。かえるだったのに(笑)。@contractio 「学際的」という言葉を魅力的だと感じるような人は、人として信用できない。

2010-07-12 11:47:32
@pettazzoniano

大田さんが仰っていたように、非合理的なものの魅力を語る言説がポピュラリティを獲得しているという現状を看過してはならない。神学部ではないところで教える教員が「ミッション系大学のキャンパスは霊的にプロテクトされている」などと発言するのは噴飯ものである。

2010-07-12 15:13:00
大田俊寛 @t_ota

▼先日のツイッターで、内田樹や中沢新一などが、研究対象の人物に対して「弟子として帰依する」ことを軽々に表明するのは、研究者の態度としてどこかおかしいのではないかということを書いた。しかしよく考えれば、こうした態度は、日本の現代思想研究では往々にして見られるものである。

2010-07-12 15:20:40
大田俊寛 @t_ota

▼一例を挙げれば、デリダ研究者の大半はデリダ信者、レヴィナス研究者の大半はレヴィナス信者、ドゥルーズ研究者の大半はドゥルーズ信者、ハイデガー研究者の大半はハイデガー信者、ユング研究者の大半はユング信者・・・(以下、たくさん続く)であり、信者でない人を見つける方が、むしろ難しい。

2010-07-12 15:20:50
大田俊寛 @t_ota

▼言うまでもないことだが、こうした研究態度は多分に問題がある。まずその一つは、研究対象の業績に対して批判的な立場を取れないこと。デリダのプラトン論は本当に独自性があるのか、レヴィナスのタルムード解釈はどのような性質を持つのか、ユングの神学論はそもそも頓珍漢ではないのか、について

2010-07-12 15:21:01
大田俊寛 @t_ota

▼当然問題にしなければならないが、「先生はえらい」ことを前提とする研究者は、これらを批判的に問うことがない。次に二点目として、第一点とも関係するが、こうした研究者は「研究の研究」にしか携わったことがないため、生の素材に自分で立ち向かって研究する能力が育たないということである。

2010-07-12 15:21:10
大田俊寛 @t_ota

▼デリダ研究者はデリダの肩越しにしかプラトンを読まず、レヴィナス研究者は聖書やタルムードの理解において素人に毛が生えた程度であり、ユング研究者はキリスト教神学について無知である。彼らは本来の研究対象に直接向き合っておらず、ゆえに「先生」が言うことを批判的に捉えることができない。

2010-07-12 15:21:22
大田俊寛 @t_ota

▼第三の問題は、知らず知らずのうちに「個人崇拝」的で「権威主義」的な思考方法が身に付くということである。これも言わずもがなのことだが、真に権威主義的なのは、本当に権威を持った人間ではなく、他人の権威を笠に着る人間、「虎の威を借る狐」のように振る舞う人間である。

2010-07-12 15:21:33
大田俊寛 @t_ota

▼彼らは、自分の「先生はえらい」としきりに言い募るが、その内心では、「えらい先生に帰依している自分もえらい」と考えている。そしてしばしば、えらい先生の権威をできるだけ独占しようとして、くだらない「縄張り争い」を繰り広げる。

2010-07-12 15:21:44
1 ・・ 40 次へ