広島教採塾さん「自己アピール文や志望動機文でのダメダメ表現」のツイート。

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レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

これまで何度もツイートで申し上げました。最も合格から遠い文章は、「抽象論で一般論、言葉の遊びの文章」です。どんなに正論でもダメです。また、マニュアル通りの文章も好感度がありません。確かに文章作法はマニュアルに学ぶ必要があります。でも、表現まで引用(盗用?)するのは品格がないですね

2012-05-07 21:31:56
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

論作文に使える表現、なんてものを軽々しく使わない方がいいですよ。「ばか丸出し」ですから。あらら、ちょっと厳しすぎましたね。失礼しました。でも、教採の論作文に使える表現集みたいなものからそのままフレーズや文を抜き出して使うなんて品格なさすぎですよ。品格だけでなく知性もなさすぎです。

2012-05-07 21:34:10
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

さて、今日は、自己アピール文や志望動機文での表現の優劣についてお話していきたいと思います。どんな表現が優秀で、どんな表現がダメダメなのでしょうか? その辺りについて考察してみましょう。

2012-05-07 21:42:25
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

教採受験者が文章中に頻繁に使う言葉の代表例のひとつに「~の大切さ」という表現があります。例えば、「子ども一人ひとりの個性を尊重することの大切さを学びました。」というような形で多用される表現です。でも、この表現はダメダメ表現の代表例でもあります。

2012-05-07 21:51:16
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

ただ単に多くの人が多用するからダメダメ表現なのではありません。この表現では何も新しいことを言えないからダメダメなのです。言い換えるなら、正しいこともダメダメに変えてしまうのが、この「~の大切さ」という表現です。

2012-05-07 21:52:49
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

先程の例、「子ども一人ひとりの個性を尊重することの大切さを学びました。」を見てみてください。正しいことを言っているようで、何も新しい発見も想いもありませんよね。だって、子どもの個性を尊重することが大事だなんてみんな知っていることですよね。それをいまさら結論で書いてどうするの?

2012-05-07 21:54:55
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

むしろ、書くべきは、「~~すれば子どもの個性は引き出せるということを学んだ」とか、「~~すれば集団指導の中でも子どもの個性が輝くということを学んだ」というようなことですよね。それなら、読み手もなるほどとか、それは名案だねとか思えますよね。ここが興味を引く文章かどうかの分かれ目です

2012-05-07 21:57:55
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

こういった具体的なことを書かずに、単に「子ども一人ひとりの個性を尊重することの大切さを学びました。」では何の意味もないということ。意味がないどころか、意地悪に読めば、それまではあなたは子どもの個性を尊重するのが重要だということを知らなかったの?やっと知ったの?ということになります

2012-05-07 22:00:06
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

同様のダメダメ表現には、「~の厳しさ」、「~の重要さ」、「~の奥深さ」などがあります。

2012-05-07 22:03:58
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

例えば、「アルバイトを通して働くことの厳しさを学んだ」とか、「教育実習を通して、教育の奥深さを学んだ」といった形で多用されます。これもダメダメの典型例ですね。

2012-05-07 22:14:50
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

面接官や採点官は、社会人として仕事をして20年以上になる人たちばかりですよね。彼らは「働くことの厳しさ」はよく知っていますし、あなたにそんな上辺だけの表現で教えてもらう必要もありません。彼らが興味を持つとしたら、あなたがアルバイトで、働くことのどんな厳しさを体感したのか、です。

2012-05-07 22:16:50
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

だから、あなたが心と体で覚えた働くことの厳しさをストーリーやエピソードで簡潔に記述することが何よりも重要なのです。単に「働くことの厳しさを学んだ」ではなく、「100円稼ぐために10時間働く必要があることもある。それが仕事というものだ、ということを学んだ」なんてするのも効果的かも。

2012-05-07 22:19:04
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

また、「教育の奥深さを知った」なんて、21,22歳の若者が言う言葉ではありませんよ(微笑)。どうしても言うのなら、本当に奥義を極めたぐらいの自信が必要ですよ。教育が奥深い領域であることぐらい世界中の人が知っています。奥深い領域ではないことを主張する方がどうかしているんですから。

2012-05-07 22:23:02
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

教育は奥深いというよりは、地平線(水平線)みたいなものですよね。遠くに地平線が雄大に見える。まずは、そこを目標に突き進む。目標だと思ったところに到達すると、はるか向こうにまた地平線が見える。そして、それを繰り返す。「奥深さを知った」というより、「新たな地平線を見出した」感じですね

2012-05-07 22:27:46
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

かつて、アメリカの中西部の大平原を車で走って教育学会に出かけていくときにそう思いました。もう20年も前の感想です。でも、地平線のイメージと教育のイメージはよく似ていると感じました。今でもそう思います。 @kh1829 教育は地平線みたいなもの。この言葉衝撃受けました。

2012-05-07 22:33:04
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

自己アピール文や志望動機文の添削を受ける(私だけではなく、いろんな方に添削を受ける)時に留意しておきたいことをお話してみますね。添削はいろんな人にお願いしますよね。大学の教授の先生、キャリア支援センターの方、先輩、昔の恩師、職場の同僚・上司等々。そして私も入るかもしれません(笑)

2012-05-08 16:49:30
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

皆さんが添削をお願いする方々ですから、それぞれ立派な方で皆さんが信頼する人々ですよね。でも、そこで困ったことがしばしば起こる。複数の人に添削をお願いすると、それぞれにアドバイスが異なる。微妙に違うくらいならまだいいのだけれど、時には全然違う、真反対の助言の場合もある。どうするか?

2012-05-08 16:51:30
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

文章の添削を人にお願いすると、ほとんどの場合、必ず工夫点や修正点を言ってくれます。本当に工夫や修正が必要な場合もありますが、そうでなくても、「これでいいよ」と突き返すのは気が引けるものですよね。だから、敢えてアドバイスします。たぶん、間違ったアドバイスではありません。でも、(続く

2012-05-08 16:53:50
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

続き)でも、敢えてのアドバイスが多すぎると「船頭多くして船、山に登る」という格言が示す通り、困惑してしまいますよね。そして、別の問題もあります。アドバイスする時の観点がそれぞれ違うのです。たとえ教採提出用の文書と分かっていても、助言者は自分が最も自信のある観点から助言します。

2012-05-08 16:56:20
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

それぞれに正しく洞察があります。素晴らしいご助言のはずです。でも皆さんが決してやってはならないことがあります。それは全ての人の助言・意見をあなたの文章に反映することです。もし、そんなことをしたらあなたの文章は死んでしまいます。なぜならそれは雑多な観点のパッチワークになるからです。

2012-05-08 17:32:50
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

複数の添削者に添削をしてもらう時、それぞれの添削者は他の添削者の観点を知りませんし、どのような経緯で目の前にある文章になったのかを知りません。だから、自分の観点だけでベストな助言をしようとします。それはそれで良いのですが、あまりに雑多な観点がまざると文章のキレがなくなります。

2012-05-08 17:37:02
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

不合格になる文章の特徴がこれなのです。あまりに多くの方々の添削を受けて、その全ての助言を一つの文章に入れてしまったため、結局は分かりにくく、平凡で、駄文になるのです。それぞれの添削者の責任ではありません、自らの観点を持たず、もらった添削意見を全て書き込んでいったあなたの責任です。

2012-05-08 17:39:19
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

多くの添削者に助言をいただくこと自体は良いことです。ただ、そこにあなたの主体性、あなたの自律性がないと、やぶ蛇になります。どのコメントを文章に採用するかはあなたが決めるのです。あなたの合格がかかっているのですから。どのコメントを選ぶかこそが、あなたのセンス、あなたの想いなのです。

2012-05-08 17:43:49
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

助言の選択もあなたの想いそのものであることも多いのです。例えば、私に添削を依頼されたとします。私の添削の観点は教採に合格する、面接官・採点官から高評価を受けるということです。仮に私の添削で良い文章ができたとしても、大学の教授に見せたら、更に感動するような助言をもらったならば、(続

2012-05-08 17:50:37
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

続き)そして、その感動が本物で、あなたが真にそう思うのならば、それを文章に採用すればいいのです。やってはいけないのが「教授はこう言っているので、それも書いておくか」です。複数の人の意見をごちゃ混ぜにした文章なんて、あなたの想いでも情熱でもありません。空虚な駄文に過ぎません。

2012-05-08 17:52:27