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schizoophrenie @schizoophrenie
樫村晴香+保坂和志対談「自閉症・言語・存在」を読んだ。某論文にちなんで「樫村晴香のどこが正しいのか?」という問題を立てることがおそらく可能で、私見では、その立論の正しさは、樫村先生がたとえばラカンの用語に言及するときに、鑑別診断の見地を考慮に入れていることが挙げられるだろう。
schizoophrenie @schizoophrenie
というのも、ラカンの様々な概念は、神経症/精神病/倒錯の3つのカテゴリーによって使い方の作法があるからだ。樫村先生は言及する対象の構造に応じて概念を正確に使い分けている。「Dzの言説の積極的固有性は、神経症‐分裂病的圏域とは、むしろ別の場に見いだされるべき」という言説は示唆的。
schizoophrenie @schizoophrenie
Logique du sens, p.106のにでてくる分裂病における表層の多孔化、フロイト「無意識」を引用しているけれども、ここは換骨奪胎というか、物凄く独特な使い方ですね。
schizoophrenie @schizoophrenie
フロイトは、ヒステリーでは皮膚の毛穴のひとつひとつを象徴として(例えば、膣の穴として)受け取ったりはしない、といっている。一方、分裂病の場合は「穴は穴である」というシニカルな命題が働いている、と言っているのであって、分裂病で身体表面が多孔化するという話ではない。
schizoophrenie @schizoophrenie
ただ、ここでフロイトが出してきている新しい概念「器官言語Organsprache」のほうをドゥルーズはきっと重視したのだろう。器官言語では、身体に精神病の言語性の病理が直接的に顕現するのである。
schizoophrenie @schizoophrenie
器官言語といえば、この辞典の当該項目は私が書いています(その他、父の名、ヒステリー、性倒錯なども)。ご興味ある方は、図書館などで御覧ください。精神分析関係の項目も多いので、研究費残金の消費にもおすすめです。 http://t.co/gHmn3zJM @さんから
志紀島 啓 @kay_shixima
アルトーのように身体に穴が開くというリアルな感覚は理解できるが、そこに言語がどう関与しているのかはどうもピンとこない。穴とは表層を否定し内部と外部を無効にするものだ。どうしようもなく外部に晒される病としての分裂病と考えた方がすっきりするのだが……。
志紀島 啓 @kay_shixima
そこは言語が関与し得ない領域、臨界なのだ、じゃ駄目か?
志紀島 啓 @kay_shixima
ちなみに身体に穴が開く感覚を描いた映画として「ゴースト ニューヨークの幻」を挙げておく。本作の中で幽霊になったばかりの主人公が道行く人とすれ違う度にリアルな侵襲を感じる場面がある。あれがそう。
schizoophrenie @schizoophrenie
@kay_shixima そこなんですよ。言語の話をしているフロイトをここでDzが持ちだしてくるのは少し奇妙で、ふつうにアルトーで押していけばいいじゃないか、と思うのですが。まさか権威付けにフロイトを使うようなお方でもないでしょうし。謎なんです。
志紀島 啓 @kay_shixima
@schizoophrenie むしろ論理の展開としては邪魔に見えますね。
志紀島 啓 @kay_shixima
@schizoophrenie 靴下の話って分裂病の説明として本当に適切なのか、僕には疑問ですね(しばしば引用されてるけど、ストンと腑に落ちない)。むしろ単純に身体に穴が開いて訳の分からないものがどんどん入ってくる感覚の方がわかりやすい。
schizoophrenie @schizoophrenie
@kay_shixima おそらく一番、(分裂病論について)言語中心主義になっていたころのフロイトだからということもあるのでしょう。「穴は穴だから」という命題は、フォン・ドマルスの定理と同じでその類のものを分裂病者から聞いたことがありません。
志紀島 啓 @kay_shixima
僕の実感とも合致します。 @schizoophrenie フォン・ドマルスの定理と同じでその類のものを分裂病者から聞いたことがありません。
Ayumu OKUBO @waschmaschine
@kay_shixima @schizoophrenie ちゃちゃ入れ質問で失礼します。意味の論理学の構成を忘れかているのであて推理で言いますが、当該の問題は言語の物質化とは関係ないですか? (cont…
Ayumu OKUBO @waschmaschine
@kay_shixima …cont) アルトー的領域では、表面が破壊されたことにより意味が崩壊し、言語が物質化する(物表象化?)する話だったと記憶していますが。
schizoophrenie @schizoophrenie
@waschmaschine アルトーの「表面がもはやなくない」のすぐ後にフロイトが出てきます。フロイトの文脈では、器官言語だとすれば言葉が身体の表面に無媒介に現れてきてしまうある種の物質化と言えます。偽善者Augeverdreherが、眼Augeが歪んでいるになるように。
schizoophrenie @schizoophrenie
「表面がもはやなくない」→「表面がもはやない」でした。すごい失策行為だ。。。
志紀島 啓 @kay_shixima
@waschmaschine その場合、「言語の物質化」って何?となると思うんですね。
Ayumu OKUBO @waschmaschine
@kay_shixima なるほど。ドゥルーズの論理構成では、表面の形成によるシニフィアンとシニフィエの分割が、表面の崩壊によりすべてがいわばアルトー的な「叫び」になるというお話でしたよね? この「叫び」化という理解ではまずいですか?
schizoophrenie @schizoophrenie
細かい点ですが、フロイトは「無意識」論文で、分裂病について、語表象が物表象になることができないというメカニズムを考えていて、そのために余ったエネルギーがすべて語表象に過剰に備給される(=言語性病理の氾濫)と見ています。@waschmaschine
schizoophrenie @schizoophrenie
その辺がフロイトとドゥルーズのあいだで錯綜していると思うんですね。フロイトにとっては、分裂病では語表象ですべてを賄わなくてはいけない。だから、本来なら物表象を使うべきところでも彼らは語表象を使うしかない。
Ayumu OKUBO @waschmaschine
@schizoophrenie 素人質問に丁寧なご教示ありがとうございます。一応「無意識」論文も読んだのですが、遠い記憶の彼方…。フロイトとドゥルーズで方向性が異なるのは理解しましたが、ドゥルーズの解釈に何か積極的なものを見出せないかと思いお聞きしてみました。
志紀島 啓 @kay_shixima
@waschmaschine おそらく思想書を読む場合、フロイトがこう書いているから……で論理だけ繋げるとたいてい駄目で。ちゃんと自分の身体感覚に還元しないと駄目だと思うのです。ニーチェも言ってる「体に訊いてみよ」というやつです。
Ayumu OKUBO @waschmaschine
@kay_shixima ドゥルーズは華麗に圧縮する人なのでw、その意味では注意が必要ですね。ただ、「身体に訊く」というやつが一番イデオロギッシュになる方法でもある(思想の自然化)ので、政治思想史齧った人間としては、ちょっと留保したいところですね。
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コメント

志紀島 啓 @kay_shixima 2012年8月9日
まとめを更新しました。
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