芸術について考える
@bishumasaki 僕も早く普通の作物を作れるよう精進します。その時は眞崎さんのお眼鏡に叶うとうれしゅうございます。
2012-07-17 14:48:20がんばることは当たり前のことなのに、がんばることをがんばってしまうと、がんばったことをほめてもらいたくなっちゃうからやっかいなのだ。
2012-07-17 15:04:21コンポジウムに着ていったTシャツは、甑島の焼酎「百合」の塩田酒造のものである。塩田さんは、誰よりも厳しい仕事を鼻歌まじりに軽々とこなす人だと聞く。本物の職人とはそういうものだ。
2012-07-17 15:21:51益子の藤田芳さんというお百姓さん、神田鶴八の田島さん、喜久醉の青島さんには、まったくタイプは違うのに塩田さんと同じ種類の匂いががある。当たり前のことを当たり前にやる人たちだ。
2012-07-17 15:26:43@bishumasaki 人間ってやつは、がんばらなくたって褒めてもらいたいもの。認めてもらいたいもの。これはどうしようもありません。ただ、「褒める」や「評価」は交換ではない。「頑張ったから褒めてもらう」には「交換」が入っている。ここが厄介なところだと思ってます。
2012-07-17 16:11:57@gushou 「交換」はほんとうにやっかいですね。「○○のため」というと恐るべきエネルギーが発生します。欺瞞社会はこの「○○のため」発電を利用して稼働している模様です。欺瞞に対抗するには無目的な存在である自然と芸術しかない と考えています。
2012-07-17 16:46:29@bishumasaki 自然と芸術の共通点は、思うに、無目的と「おすそわけ」です。私たちは自然からの「おすそわけ」のおかげで生きながらえています。芸術も、他者が受け取ることができるのは「おすそわけ」のみ。「おすそわけ」を受け取り、「おすそわけ」をしながら生きていけば、十分幸せ。
2012-07-17 16:56:56@bishumasaki @gushou 横入り失礼します。芸術でさえも「○○のため」と捻じ曲げてしまう社会に失望を感じて久しいです。
2012-07-17 17:10:55@naocofr 同感です。こうした現象は煎じ詰めれば「マイケル・ジャクソンの思想」へと帰着すると思います。http://t.co/RuCtHdjr 親や社会から十分に「お福分け」を得ることが出来た子どもは、芸術を「○○のため」に為すことはありますまい。@bishumasaki
2012-07-17 17:22:12@gushou @bishumasaki ふむふむ、お福分けとはどういうことですか。日本では(これは日本だけなのかな?)子供が自発的に感じる前に、芸術は素晴らしいんだよ、ほらこれをご覧、これがいい芸術だよ、と社会の既存の価値観を押し付けてしまいますね。
2012-07-17 17:56:43@bishumasaki @gushou なるほど。芸術とはどんなものとお考えか、お尋ねしてもいいでしょうか。私は芸術の大学で学び、そこで語られる芸術というものがあまりよく理解できないままそこから出て芸術家として社会活動するうち、自分が何やってるか判らなくなってしまいました。
2012-07-17 17:49:32