ニー仏×慈永和尚 対談:「仏陀と阿羅漢」 壱
8月5日:発端
水晶玉を使った瞑想について疑問を感じた慈永和尚
ダンマカーヤ(タンマガーイ)の体験出家者で「ブッダを見た」と云われた方がおられたので、どんな瞑想法ですかと尋ねたら「タンマガーイ式です」とのお答え。うーむ。
2012-08-05 23:59:03@jiei_yushi001 buddha-anussati じゃないでしょうか。パオでは普通に修されますし、『清浄道論』にはもちろん記述があります。『解脱道論』にも、おそらくあるのではないかと。
2012-08-06 00:10:45@neetbuddhist タンマガーイ式では、水晶玉を念じる方法に特徴があるようなのですが、これは遍地マンダラ観相法(でいいんですかね?土を円状に盛り立てて行う瞑想)の変則バージョンなんですかね???
2012-08-06 00:14:24@jiei_yushi001 水晶玉ってのは初めて聞いたので、ちょっとわからないですw ただ、禅定に入る手がかりとして使う(つまりサマタ瞑想をやっている)なら、kasina瞑想のヴァリエーションでしょうねえ。
2012-08-06 00:20:06@neetbuddhist つまり、そういう瞑想でブッダが見えるもんなのかなあというのが、素朴な疑問でした。パオでブッダ見た方は私も聞いたり、お会いしたりしたことがあります。
2012-08-06 00:22:27話は別の方向に…
ミャンマーでは、瞑想の境地でブッダにあって、授記(将来必ずブッダになるという保証)を受ける人がけっこういるんだそうな。ウ・ジョーティカ師は、「こんなことがまかり通ってるのがミャンマーですよ!」って書いてた。
2012-08-06 00:12:35あんまり知られていないが、テーラワーダでも阿羅漢よりブッダになりたくて、瞑想行を途中で敢えてやめる人がけっこういるのは事実であります。
2012-08-06 00:14:40@jiei_yushi001 ご存知かと思いますが、テーラワーダの解釈では預流果に入っちゃうと残りの人生七回以内で絶対に阿羅漢になってしまうので、そうすると自動的にブッダにはなれなくなっちゃうんです(^_^;)
2012-08-06 00:26:08@neetbuddhist 実はそこのところがよくわからないんですね。つまりブッダは阿羅漢ではないということですよね。「ブッダならば阿羅漢である」が成り立ち、「阿羅漢ならばブッダである」は成り立たないというのならわかりますが。
2012-08-06 01:30:21そうなります。つまりブッダになった生で解脱の方法を見出し、預流から阿羅漢まで達したと考えるわけです。 RT @jiei_yushi001 「ブッダならば阿羅漢である」が成り立ち、「阿羅漢ならばブッダである」は成り立たないというのならわかりますが。
2012-08-06 01:46:54@neetbuddhist 「ブッダならば阿羅漢である」が真である一方で、阿羅漢を経由してブッダになるということは、テーラワーダとしては考えられないということですかね。
2012-08-06 01:57:55いつも出典を忘れていい加減な感じで恐縮なのだけれども、ブッダは三十二好相を備えるが、阿羅漢は三十二に満たないと読んだ記憶がある。森章司先生の論文だったと思うけれども。しかしスリランカでは、寺院によっては摩訶迦葉尊者の像はブッダそのものの容貌としてデザインされているものもある。
2012-08-06 02:03:12@jiei_yushi001 そういうことです。阿羅漢になったら次に生まれることはもうあり得ない以上、生を経巡って徳を積む(資糧)という、仏陀になるためには必要不可欠の過程が、その人にはとれなくなりますから。これはこれで、教理的に筋は通った話かと。
2012-08-06 02:14:54そいや、むかし曹洞宗の某老師に「テーラワーダでは預流果に入ると七生以内に阿羅漢に達すると考える」云々っていう話をしたら、「テーラワーダの人はそれ本気で信じてるのか!?」って言われたことを思い出したw
2012-08-06 02:29:31