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2012年8月14日

李孝恭は暗殺されたのか?

凌煙閣二十四功臣の序列第二位、李孝恭の死についての私と神谷さん(@law1220さん)の一連のつぶやきをまとめたものです。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

旧唐書列伝十七の李靖の伝には「四年、靖又陳十策圖蕭銑。高祖従之、授靖行軍総管、兼攝行軍長史。高祖以孝恭未更戎旅、三軍之任、一以委靖」とあるが、うーむ、色々と考えさせられるな……。

2012-08-12 20:32:02
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

訂正 × 兼攝行軍長史 ○ 兼攝孝恭行軍長史

2012-08-12 20:34:40
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

まず、(以前に話題になった用語だが)この「行軍長史」は訳すとしたら何が適切か?私は副将と訳すが、参謀総長でもよさそうだし、後に続く文章からは司令官代理でも良さそうだ。が、これも前に話題にしたが李孝恭は決してお飾りではなかったから、司令官代理はあり得ない。となると(続く9

2012-08-12 20:37:53
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

(承前)副将か参謀総長だが……この後の李靖の活躍からは、むしろ副将兼参謀長と訳したが適切かもしれない。

2012-08-12 20:39:29
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

次に、李孝恭について。この記述に先立って冉肇則の反乱の鎮圧に彼が失敗していたのを李靖が鎮圧に成功する、という下りがある。李孝恭は人格も優れていた、と史書にはあるので、彼が李靖を副将にしてくれ、と望んだのかもしれない。

2012-08-12 21:05:34
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

というのも、李靖は秦王府(李世民の府)の人間だが、李孝恭は唐の宗室の重鎮。秦王府に属していたわけでもない。となると、李靖の用兵の才を知った李孝恭が彼を副将として望んだのではないか、と推測するのだが……う~ん、両唐書を精読するか……

2012-08-12 21:14:33
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

しかし、李孝恭の伝にある「十四年暴薨,年五十」というのがなんとも不気味だ。

2012-08-12 21:22:27
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

昨夜つぶやいた、李孝恭の伝にある「十四年暴薨,年五十」というのが何故、不気味なのかについて。

2012-08-13 10:35:50
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

「十四年暴薨,年五十」というのを素直に訳すと、 「貞観14年、李孝恭はにわかに死んだ。享年は50歳」という程度になるが、問題は「暴」の字。

2012-08-13 10:39:32
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

この「暴」というのはこういった場合、一義的には「にわかに、突然に」といった程度の意味で、薨は王が死ぬことを意味するから、「突然に世を去った」となるわけだが……。

2012-08-13 10:44:36
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

ただ、この「暴」は突然の死を意味するだけでなく、その「突然死」が何によってもたらされたのかを暗示している場合がある。

2012-08-13 10:47:23
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

つまり、「暴」は暗殺されたことを暗に示していることもあるのだ。

2012-08-13 10:48:38
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

で、旧唐書列伝第十の李孝恭の伝にある「十四年暴薨,年五十」を改めて考えると、様々な推測が可能だ。

2012-08-13 10:50:28
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

李孝恭は唐の宗室の重鎮であり、武勲赫々たる武人でもある。彼の武勲は別働隊を指揮して南方を平定した、という巨大に過ぎるものであった。

2012-08-13 10:53:08
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

また、李孝恭の父の李安(西平王)は隋書列伝第十五、北史列伝第六十三に伝があり、隋朝の下で柱国にまで進んだ人物である。

2012-08-13 10:59:46
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

つまり、李孝恭は単に唐の宗族というに留まらず、有力な名家の出身で、かつ巨大な武勲を挙げ、かつ人望にも能力にも不足の無い人物、ということになる。

2012-08-13 11:02:32
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

太宗の立場からは、危険な人物と見えたことは想像できる。それに、太宗が帝位を望んだのも自身の武勲に対して報われるところが過小ではないか、という不満に起因するところがある。

2012-08-13 11:06:35
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

であるならば、太宗は、自身と同等かそれに近い武勲の持ち主である李孝恭に虚心でいられたであろうか?

2012-08-13 11:09:15
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

実の兄と弟さえ野心のために排除した李世民にとって、李孝恭の宗室という立場は危険度を薄めるどころか、かえって増幅させてしまうものだったのではないか?

2012-08-13 11:13:20
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

……以上のように推測を重ねていくと、史書にある「暴薨」に、不気味な気配を感じてしまうのである。

2012-08-13 11:15:48
神谷 @law1220

@rudel101 李世民って中国史上最高の名君とか言われてますが、兄弟排除して父を引退させ、功臣を暗殺ってかなり黒い一面があるんですね。ま、それと名君であることは無関係なのかな。逆に黒いから名君であれたのか。

2012-08-13 11:19:10
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

@law1220 李孝恭に関してはあくまでも私の推測です。(史書を読む人ならば、誰しもが「怪しい」と思うものでもあります)で、李世民については、仰るように父は引退させ、兄弟をぶち殺してまで帝位を手に入れる、という権力欲の権化のような側面があったのは事実でしょう。(続く)

2012-08-13 11:24:13
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

@law1220 しかし、私は貴方が仰る「黒さ」は「自分ならば父や兄よりも良い政治ができる」という自負に半ば起因していたのでは、と思っています。こうしてみると、黒いから名君になれた、というのはあるでしょうね。黒くなければ、そもそも皇帝になれなかったのですから。

2012-08-13 11:29:46
神谷 @law1220

@rudel101 能力の自覚から来る責任感による権力欲的な感じでしょうか?なんか日本語的に変でうまく表現できていませんが。

2012-08-13 11:33:27
るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101

@law1220 多分、そういった面もあったのではないかなぁ、と私は思っています、若年の頃より才気に溢れていた李世民ならば、自らの能力に自信があったでしょうし。勿論、先ほどもつぶやきましたが自身の武勲に対して報われるところが少ない、という不満もあったでしょうが。

2012-08-13 11:51:22
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コメント

るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月14日
まとめを更新しました。解説文を訂正しました。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月16日
枕流亭さまから、「新唐書」には「中飲暴薨」とあるよ、との御指摘を頂きました。確かに新唐書列伝第三にある李孝恭の伝には「十四年、中飲暴薨、年五十」とあります。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月16日
勿論、私も、この記述を把握しておりましたが、このときの一連のつぶやきでは無視していました。何故か、というと、枕流亭さまには御存知のことと思いますが、新唐書の史料価値は旧唐書に及ばないとするのが一般的です。司馬光は資治通鑑を編むにあたり、新唐書にほとんど依拠しませんでしたし、考証学の学者達もこれに批判的です。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月16日
ですので、この一連のつぶやきでは旧唐書に依拠しました。無論、一般的に史料価値の低い新唐書といえども、個々の記述に関しては、それぞれに考証を行わなければなりません。この点、私のこの一連のつぶやきには、足りないものが多くあります。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月16日
また、こういったことは、このつぶやきをしていた時点で、一連のなかのどこかでつぶやくべきものではありました。この点、私のこのまとめにある一連のつぶやきに関しては、配慮、知的誠実さが足りなかったものと、反省いたします。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月16日
私のつぶやきに関しての突っ込みは大歓迎です。今後とも、宜しくお願いいたします。
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NAGAICHI Naoto @nagaichi3 2012年8月16日
場末のコメントに反応していただいて恐縮です。『旧唐書』にもたとえば玄宗紀の「中宗暴崩」が実は韋皇后による毒殺であるなど、暴卒・暴薨・暴崩などの突然死の表現が、暗殺を遠回しを示唆している例はたしかにあるようです。ただ「暴」が暗殺を直接意味するというような微言解釈はちょっと発見できませんでした。暴は猝然・突然を意味すると取るのがふつうのようです。
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NAGAICHI Naoto @nagaichi3 2012年8月16日
『新唐書』の史料価値が『旧唐書』より低くみられているというのはおっしゃるとおりだと思います。この場合『新唐書』の当該記述が「中飲」をどこから補完したのかが分からないと、厳密な史料批判はできないのですが。「中飲暴薨」も自然に解釈すると、急性アルコール中毒死なんですが、毒殺でないとは言い切れませんね。
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NAGAICHI Naoto @nagaichi3 2012年8月16日
暗殺説を全く否定することはこちらにもできないのですが、そこは「悪魔の証明」ですので、暗殺説論者に論証してしただこうかと。もう少し傍証があれば、転向もやぶさかではありませんw。
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NAGAICHI Naoto @nagaichi3 2012年8月16日
脱線なんですが、李孝恭は貞観五年に太宗に封禅を勧めているんですね。貞観十一年に趙郡王から河間郡王に改封されているのですが、格式は変わってないっぽいですね。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月17日
有難う御座います。先ず、「暴」の解釈ですが、私もこの字が直接、暗殺を意味するとは思っていません。まとめにもありますが、『「暴」は暗殺されたことを暗に示していることもある』と考えています。この点は枕流亭さまの解釈と私の解釈は離れていない、と思います。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月17日
次に中飲ですが、私もこの一連のつぶやきを行う前(つまり、この件に関しては新唐書は無視してよかろう、と判断する前に)に何処から出てきた表現なのか、探してみたのですが、見つかりませんでした。この点に関しては、何方かから御教授を頂ければ、と思います。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月17日
勿論、アルコール中毒と毒殺を結びつけることも考えましたが、あまりに根拠がなく、断念しました。で、これ以上の暗殺説の証明ですが、私としては、かなり難易度が高いだろうと思っています。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月17日
状況的に暗殺もあり得る、と考えているのは変わりませんが、まとめでも「推測です」と念を押しているように、今のところ、推測の域を出ない、出せない程度の代物である、というのは私自身、自覚しています。私としてもより詳細な論証がしたいのですが。材料が揃えば、また、これの続編をつぶやくかもしれません。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月17日
「脱線」についてですが、李孝恭が改封された時期に関しては若干の混乱が史書には見られますね。伝では両唐書ともに貞観初年と読めますが、旧唐書本紀第三太宗下では貞観11年と明記されています。資治通鑑では御指摘の封禅を勧めているときは趙郡王とされていますので、本紀を優先したが良さそうです。
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るーでる@柏葉(( ゚∀゚)o彡°AMD!AMD!) @rudel101 2012年8月17日
ただ、この記述の揺れも「本紀と併せて読めば解るでしょ」という書き方でしょうから、そこまで気にする必要もないものでしょうが。
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