20120814 #NHK スペシャル「戦場の軍法会議~処刑された日本兵」

67年前の太平洋戦争末期、フィリピンやニューギニアなどの南方戦線で補給が断たれた日本軍に“異常事態”が起きていた。飢えに苦しみ、食糧を求めてジャングルをさまよった日本兵たちが、部隊を勝手に離れたとして「逃亡罪」で次々に拘束され、処刑されたのだ。しかし、当時の記録は、ほとんどが軍によって焼却されたため、その詳細は今まで明らかになってこなかった。 今回NHKでは、その内実に迫る貴重な資料を入手した。戦場で開かれた特設の「軍法会議」で兵士たちを実際に裁いた軍の元法務官が、密かに残した内部文書と14時間に及ぶインタビュー・テープである。兵士たちは、なぜ処刑されたのか。そこで語られていた元法務官の証言は、衝撃的だ。 続きを読む
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ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP「戦場の軍法会議〜処刑された日本兵」太平洋戦争の激戦地となったフィリピン。日本兵約50万人が命を失った。ジャングルに送り込まれたある部隊で、食料を求めて部隊を離れた22歳の日本兵が逃亡罪で処刑された。しかし判決に関わった人物は「死刑宣告に値しない」と。

2012-08-14 22:01:22
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。NHKでは、この人物の肉声テープと軍の内部資料を入手。「死刑にするかどうか随分悩んだんですよ。堪忍してくれってことでやったんです。かわいそうなことしたなと思ってたんですよ」軍法会議の実態。太平洋戦争中、1万人を超える兵士が裁かれ、多くの死刑判決が。

2012-08-14 22:02:34
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。軍法会議の資料は、戦後に焼却されて実態がわからなかった。法の正義の名のもとに、戦場で処刑された日本兵。軍法会議の真実が初めて明かされる。

2012-08-14 22:03:29
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。2011年7月、取材スタッフが鳥取県倉吉市へ。軍法会議の資料が眠っている。資料を調べていた北博昭さんが公開。24年前に託された資料。昭和19年〜20年の日記。託したのは、海軍元中佐・馬場東作。戦前〜戦時に書いた18冊の日記と手紙。300枚以上の内部文書。

2012-08-14 22:05:33
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。馬場元中佐、北さんの聞き取り調査にも応じていた。「逼迫した戦地ですからね。やむを得なかったんです。堪忍してくれってことでやったんです」関係者が生きている間は資料もテープも公開しないこと、が調査を受ける条件だった。

2012-08-14 22:07:19
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。馬塲元中佐、昭和7年司法試験に合格、法律家に。日記には戦争への嫌悪感が。昭和7年「戦争を呪ふ」法務官になり、軍法会議でも重要な役割に。軍人の犯罪を軍自らが裁く。法律の専門家ではない軍人が取り仕切る。5人の裁判官のうち1人だけいた文官が法務官。

2012-08-14 22:09:27
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。被告となった兵士の人権を守ることが法務官の役割。馬塲元中佐は、自らが法の番人だと自負していた。昭和16年12月、太平洋戦争開戦。軍の中で、法務官の立場を揺るがす事態が。軍から一定の独立性を保っていた法務官を、軍人にする法改正が行われようとしていた。

2012-08-14 22:11:16
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。陸軍で法務官を務めていた小池金市さん102歳。「これじゃ戦争なんかできんと。随分きついこと言う人もいた。法務部なんか弱腰でダメとか言われてね」開戦から4カ月、法律改正、法務官は軍人に。馬塲元中佐「思へば真に変なもので少年の志と違ふこと甚しきものがある」

2012-08-14 22:13:25
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。昭和19年、陸軍だけで5586人が処罰。軍法会議が戦地でも行われ、法務官も戦地へ。昭和19年11月、馬塲元中佐マニラへ派遣。日本軍は連合軍から激しい攻撃を受けていた。馬塲元中佐日記「湾内各所に残骸をさらす船あり。戦火を初めて見るを得たり」

2012-08-14 22:15:02
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。昭和20年1月。部隊は北部のバヨンボンへ移動。4万人以上の海軍兵を管轄することに。馬塲元中佐による、兵士がおこした犯罪のリスト。逃亡が相次ぐ。「空腹に耐へ兼ね逃走す」各地の部隊では、法を無視した強硬手段が。軍法会議にかけず、その場で銃殺していた。

2012-08-14 22:16:42
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。馬塲元中佐から司令長官への報告書。違法な処罰を防ぐため、軍法会議にかけることを徹底するよう訴える。「犯罪あるときは軍法会議において処理すること。いかなる事態においても異なる所なきものとする」すべての犯罪は軍法会議で裁くこと。戦場でも公正な裁きの場を。

2012-08-14 22:17:54
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。埼玉県川口市。馬塲元中佐と同じ部隊にいた、元海軍兵曹・寺嶋芳彦さん91歳。「憶えはあるわ。これは法の仕事ばかりしとった。アラ探し。部隊を回っとった」同じ部隊の兵士がある日突然処刑された。「ひどいことしよるなって噂が出た。人を殺したとかそんな男じゃない」

2012-08-14 22:19:54
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。馬塲元中佐の資料の中に、この事件についての文書が。北さん、見たことがない異例の文書だと。戦地から、東京の元上司へ送った手紙。悩んだ末に死刑判決を認めてしまったことを告白している。「犯罪事実自体としては死刑宣告に値せざるやに認められるもついに死刑を選ぶ」

2012-08-14 22:21:47
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。戦場で何が起きていたのか。中田上等兵を裁いた軍法会議の様子が資料から明らかに。中田上等兵22歳。書屋料を探しに部隊を離れ、15日後に逮捕。馬塲元中佐、この事実だけでは死刑に値しないと考えていた。戦時逃亡にあたり、懲役・禁固刑になる。

2012-08-14 22:22:55
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。しかし中田上等兵には死刑が言い渡される。罪は奔敵未遂。戦わずに敵の捕虜になること。北さんの聞き取り調査に対して馬塲元中佐「中田っていう水兵が、英語がうまい。だからこんなやつに行かれて」長野県飯田市へ。馬塲元中佐の下で書記官を務めていた松浦栄孝さん97歳。

2012-08-14 22:25:16
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。松浦さん「わたし誰に聞いたのかな。今度逃亡したら向こうに入って、こちらの様子がわかるから死刑にされたという趣旨のことを」馬塲元中佐は、死刑を正当化するための法的根拠を示すよう迫られていたのではないか、と松浦さん。「死刑にするならこういう罪名しかないと」

2012-08-14 22:26:46
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。昭和20年2月27日、処刑。馬塲元中佐資料「中田富太郎を拘束して刑場に到着す。十字架に両手及び腹部を縛着せしむ。銃手兵3名。顔面を狙ひ一斉に発射」戦後、馬塲元中佐の告白。「死刑にするかどうか随分悩んだんですよ。かわいそうなことしたなと思ってたんです」

2012-08-14 22:28:24
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。軍による不当な処刑はほかにも行われていたのか。資料がなく詳しい実態がわからない。戦後、旧厚生省が軍法会議の関係者に聞き取り調査をしていたことがわかった。裁判官や法務官など20人。昭和30年代〜40年代に調査。ブーゲンビル島で不審な死をとげた兵士の資料。

2012-08-14 22:30:13
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。19人が、正当な裁判を受けずに処刑されたとされる。陸軍・城一俊曹長の死刑について。関与したという裁判官がひとりも出てこない。一切の訴訟記録が存在しない。本人が適法な裁判を受けたとする証拠が何もない。熊本県菊池市。城曹長のおい、辰九郎さんを訪ねる。

2012-08-14 22:31:51
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。昭和30年代半ばに、城曹長の死刑についてわかった。逃亡兵だったとして、辰九郎さんは遺族年金の支給を断られた。遺族には、調査が行われたこともその記録も知らされていなかった。辰九郎さん「本当のことを残すのが国の役目だと思いますけど、本当に残念な思いで」

2012-08-14 22:33:32
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。叔父の名誉を回復できないか。熊本県庁へ向かった辰九郎さん。遺族年金の窓口である社会福祉課へ。昭和45年以降、遺族に年金が払われているが、今も「敵前逃亡罪で死刑」と書かれたまま。社会福祉課「事実とか事実無根とかの証明は現時点ではやっていない」罪名消えず。

2012-08-14 22:35:28
鉄馬 @tetsumah

過ちを訂正謝罪しないのは今のマスコミも同じ。 RT @shbttsy74: #NHK SP。叔父の名誉を回復できないか。熊本県庁へ向かった辰九郎さん。遺族年金の窓口である社会福祉課へ。昭和45年以降、遺族に年金が払われているが、今も「敵前逃亡罪で死刑 #NHK #tvasahi

2012-08-14 22:51:32
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。辰九郎さん「完全に納得はできない。県に資料がないというだけで。私どもの力ではなんともならない。戦争はもう終わったという気持ちにはならない。叔父が帰ってくるまでは戦争は終わらない」

2012-08-14 22:36:37
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。太平洋戦争末期のフィリピン。昭和20年4月、部隊は北部の山中に追い込まれ、馬塲元中佐は防空壕の中の司令部に避難。空爆は激しさを増す。日記「異常なる環境 空襲砲撃 食料欠乏 病気マラリア 窃盗 上官殺人 死体損壊」敵も味方もいない異常な事態。

2012-08-14 22:38:32
ほんのこ @shbttsy74

#NHK SP。部隊を離れる逃亡兵も増えていった。前線から司令部に届いた電報。「16名密かに逃亡せり。総員特攻に使用。国賊の汚名を注がしめんとす」特攻が処刑代わりに使われるようになっていた。軍法会議を通さずに行う処刑。馬塲元中佐が、あってはならないと戒めた行為そのもの。

2012-08-14 22:40:06