3.11と8.15の類似性と非類似性、あるいは「放射能安全言説」のゆくえ (@dabiturさんによる)
それにしても、815と311って似たような感じで語られてたよねー。わずかにせよ総懺悔みたいな主張もあったし、インターネットでは「だまされていた」というつぶやきが無数に見られた。追悼の政治化がすすんだことも、脱原発というかたちであれ下からの社会変革が求められたことも似ていた。
2012-08-16 00:26:24去年の今頃はそのあたりまであまり明確に言語化できなかった。放射能汚染の実態がどうなっているか、健康被害はどうなるか、対策をどうするかに関心があり、「自分以外の人間がなにをしているか」は二の次だった。一年経って、ようやく冷静に後者を考えることができるようになってきたように思う。
2012-08-16 00:32:36ひとつ例をあげよう。去年、少なくともおそらく5月か6月かまでは、放射能「安全」言説が非常に目についた。官僚や自治体や専門家や学会が発信源、テレビ・インターネット経由で広汎に流布され、「放射能正しく怖がろう」「デマに惑わされないで」と盛んに言われた。
2012-08-16 00:41:44他方、こうした風潮を「まるで戦時下のようだ」と解釈するひとも存在し、どちらかといえば私はそちらの解釈のほうに好感をもった。オフラインでは別だが少なくともツイッター上では、放射能の危険をごまかし、国策への批判を否認し、国民に受忍を求める姿勢に総力戦体制との類似性を感じたからである。
2012-08-16 00:46:41しかしそうだとすれば、最初に述べた311と815との類似性はどうなるのだろうか? 311後に見られた放射能「安全」言説という総力戦体制の亡霊はどこへいったのだろうか? 総力戦体制はつづいているのか、それとも終わったのか?
2012-08-16 00:55:44いくつかのほろこびが食品については見られた。「基準値以内なら安全」「流通している食品は基準値以内」「だから安全」という三段論法は、6月以降(だったと思う。うろおぼえ)の相次ぐ基準値超え食品の流通によって信頼を失った。
2012-08-16 01:21:12結果として、たとえば最近の世論調査を見ても、「放射能の問題に関心がある」「産地を気にしている」というひとの数は8割にものぼる。盛んになされた「安全」アピールにもかかわらず、流通している食品にたいする信頼はゆらいだといってよい。http://t.co/9yJyPHuC
2012-08-16 01:26:07と同時に、この調査は興味深い結果を教えている。「食材の購入に変化があったか」という設問にたいして、6割のひとが「変化はない」「あまり変わらない」と答えているのである。外食の利用についても8割が「変化がない」という。安全の三段論法はゆらいだが、食行動に大きな変化はないのである。
2012-08-16 01:31:04ここで最初の疑問に戻ろう。はたして、放射能「安全」言説の総力戦体制はつづいているのか? それとも終わったのか? 食品に限ればおそらく答えはこうなるはずである。意識としては崩れつつあるが、行動としては崩れていない。
2012-08-16 01:34:42表面上は、311直後と全く変わらない日常がつづいているが、内心では意識がしっかり変わっている。放射能「安全」言説を信じているわけではないが、かといって防護や避難を徹底する気もしない。結果として、第三者から見ると、放射能「安全」言説を支持しているかのようにさえ見える。
2012-08-16 01:39:01つまり、わたしたちはある日そのときその瞬間にというかたちではなく、長い歳月をかけてゆっくりと放射能「安全」言説との決別を経験しているのである。総力戦体制との類比には注意したほうがよい。この言説実践との決別はある日ある瞬間に訪れることはないだろうからである。
2012-08-16 01:46:13同じことだが、311と815の類比にもほどほどにしたほうがよい。放射能「安全」言説は終わりつつあるが、終わっていない。終わっていないが、終わりつつあるからである。最終的に「決別」が達成されるかどうかも、いまはまだ決めつけるべき時だとは思えない。
2012-08-16 01:49:06