@kimkeio先生の恋愛寺子屋

読書の秋、恋愛の秋。うん、恋愛寺子屋の秋ですね。
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ジョン・キム @kim_firenze
夢は実現した瞬間に夢ではなくなる。実現しないから夢であり続けるのだ。初恋も同じく結ばれないから美しい。
ジョン・キム @kim_firenze
恋愛経験豊富というのは失敗に終わった恋愛の経験が豊富ということをも意味する。失敗経験のない恋愛は初恋の時だけである。失敗は成功の母。よって初恋が成功することは希である。
ジョン・キム @kim_firenze
「愛の終わり」というのは愛という接着剤によって一体化された二人が分裂し再びそれぞれ独自の人生の道を歩むことを意味する。
ジョン・キム @kim_firenze
それは肉体的な一体感は瞬間的で一時的なものであるのに対し、精神的な一体感は両者が物理的に離れている場合においても持続させることが比較的に容易だからだろう。もちろん肉体的な感覚に敏感な人はその逆だろうが。
ジョン・キム @kim_firenze
精神的と肉体的のどっちの一体感を大事にするのかということについては個人によって趣向が異なるだろうが、推測するに精神的な一体感のみを感じる場合に比べ、肉体的な一体感のみを感じる場合の方が両者の関係を持続させることが相対的に難しい気がする。
ジョン・キム @kim_firenze
精神的な一体感はあるのに肉体的な一体感がない又は肉体的な一体感はあるのに精神的な一体感がない時がある。不完全な合致である。そうした状況であるにも関わらず恋愛関係を持続させたい場合は相互に片方の一体感をあきらめ割り切るしかない。
ジョン・キム @kim_firenze
融合には精神的な融合と肉体的な融合がある。二つの融合が同時実現した場合、恋愛当事者である二人は疑いの余地なく幸せの極致を体験するだろう。
ジョン・キム @kim_firenze
恋愛主体同士の一体化は完全融合を意味し恋愛主体に対し恋愛相手の完全所有という感覚を味わわせる。この状態に達した時に人間は極度の安堵感を感じることが出来る。
ジョン・キム @kim_firenze
ただし子供というのは二人の一体化を実現・維持するための必須要素ではない。子供がいても分裂したままの二人もいれば子供がいなくてもより強固な一体化を実現・維持し続ける二人もいるからだ。
ジョン・キム @kim_firenze
そういう意味では恋愛というのはこの世に新しい命を生み出すこととして理解できる。子供という目に見える結晶体があればその気持ちの一体化とそれによる新たな命の誕生について容易に確認することが出来る。
ジョン・キム @kim_firenze
魂がそして体が合体することで二人は一つの一体化した存在として生まれ変わる感覚を覚える。その時、相手の命は自分の命、相手の死は自分の死となる。
ジョン・キム @kim_firenze
片方だけが液体になっても(=恋に落ちても)もう一方が固体のまま(=恋に落ちない)である場合は片方がもう片方を包み込むだけで真の融合現象は見られない。
ジョン・キム @kim_firenze
恋愛するというのは固体としての二人の男女が液体化し融合していく過程である。
ジョン・キム @kim_firenze
恋愛相手に対する自分自身の愛については疑いの余地のない絶対的な確信を持つが相手の自分に対する愛については確認しても完全に満たされることはない。つまり自分の感情には寛容だが相手の感情には厳格なのが恋愛感情である。
ジョン・キム @kim_firenze
その自分が抱く期待と(自分の理解している相手の自分への恋愛感情の程度という)現実の間のギャップに対し恋愛主体は敏感になるものの自分にはそれを埋めるための有効な手段は有していないために悩む。
ジョン・キム @kim_firenze
自分は恋愛相手のことをどこまでも理解しそして愛しているのに恋愛相手は自分に対し同じ度合いの配慮はしていないことに激しい不公平感・不満を感じることがある。
ジョン・キム @kim_firenze
恋する者は自分の都合よく考える習性がある。
ジョン・キム @kim_firenze
一般の社会生活と同様、恋愛においても相手の自由意志を認め尊重してあげることが自分の気持ちを穏やかに保つためにも重要である。統制出来るとしたらそれは自分の気持ちであり相手の気持ちではないからである。相手の気まぐれな気持ちをも受け入れてあげること。
ジョン・キム @kim_firenze
この場合の対応策としては自分の相手に対する愛の度合いを減らすか又は相手の自分に対する愛への期待値を低めるかのどちらかが求められる。
ジョン・キム @kim_firenze
自分以外の複数の人間が恋愛相手に恋心を寄せている事実に対するレスポンスはその恋愛相手が自分のみを全面的に排他的に愛しているかどうかによって大きく異なってくる。その恋愛相手の自分への愛に対する確信がない場合、人間は自分にはどうしようもない激しい嫉妬心を感じるようになる。
ジョン・キム @kim_firenze
相手に対する全面的な愛の感情を持つ者は相手の自分に対する愛の感情も全面的なものでそしてなにより「排他的」なものであってほしいと思う。つまり相手が愛を感じる相手は自分のみであるということが恋愛主体にとっては重要である。
ジョン・キム @kim_firenze
狂気は価値そのものに社会一般に対し悪であるという社会的な判決が下されたもので社会的判断基準と真っ向から対立する傾向がある。恋愛には情熱が加わると理性を失う狂気的な側面がありそれを社会と折り合いをつけようとする場合は何らかの形で恋愛の純度に傷をつける結果を招く。
ジョン・キム @kim_firenze
全ての恋愛は狂気的な側面を有する。狂気というのはある主体の追求する価値が社会一般的には受け入れられない価値である場合その主体に対し社会がラベリングした結果として生まれるものである。
ジョン・キム @kim_firenze
恋愛に夢中になりさらに相手の存在自体に喜びや感謝の気持ちを抱くようになると言葉による愛情の形容が限りなく軽薄で物足りなく感じる時がある。
ジョン・キム @kim_firenze
相手に惹かれた瞬間瞬間のイメージ(正確にはイメージのイメージ)は脳裏に深く刻まれる。そのイメージの中では相手以外は見えず、相手の声以外は聞こえず、相手の匂い以外は匂えない。恋愛に夢中となると恋愛相手以外のものは全て削り落とされていく。
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コメント

馬場俊輔 @shunsukee 2010年7月16日
恋愛寺子屋、更新。
馬場俊輔 @shunsukee 2010年7月18日
恋愛寺子屋、レジュメ更新しました。あっという間に650PVオーバー。
馬場俊輔 @shunsukee 2010年7月31日
夏季特訓講座、第一弾、始まりました!すでに900PV突破!
馬場俊輔 @shunsukee 2010年9月28日
秋も、恋愛寺子屋。
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