久々の発作的脳内ダダ漏れ

久々の発作的脳内ダダ漏れです。タイトルはぁ。。。いいのが思い付かないのでそのまま「久々の発作的脳内ダダ漏れ」としてます。いいタイトルがあったら適当に付けてください。
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堀井義博 @yoshihirohorii

しばらくトギャッターを見てなかったのだが、久々にアクセスしたら自分の呟きが拾われてたので一通りザァーッと目を通してみた → いわゆる「建築家」の視座について http://t.co/v6zQuNhi 石上君の話題が出ているあたりのやり取りを読んでた当時に考えてたことを思い出した。

2012-08-16 21:21:52
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii この問題の核はむしろ、個々の建築家の問題っていうより、建築を扱うメディアの問題でしょ、って気がしたことを思い出した。こう書くとメディア側の人から反発がありそうだけど、俺はそう思う。何故って...

2012-08-16 21:25:46
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii ...個々の建築家が何をどう考えるかは個々の問題だし、あらゆる種類の建築家がいることぐらい、業界側の人間ならよく分かってるのに、石上君みたいな特定の特殊な人を一斉に集中的に扱って、それがギョーカイ、みたいな事態を生み出すのはメディアの問題だから。

2012-08-16 21:28:40
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 別のいい方をすると石上君や中村竜二君を扱わねばならない客観的な理由なんかないのに、何故か複数媒体がこぞって集中するのが問題だと思う。だってその横にまったく違う世界を展開している人は他にいくらでもいるわけだし。こんなの当たり前だと思うけど。

2012-08-16 21:31:55

          ↑ 竜治だ ↑


堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 誤解されたら本意じゃないので書き足しときますが、石上君も竜司君も、全部の仕事ではないにせよ、俺はとても尊敬してます。だけど扱われ方はかなり異様だと思う。そういう意味。

2012-08-16 21:34:14

         ↑ だから竜治だ ↑


堀井義博 @yoshihirohorii

指摘ありがとう。 RT @ken691101: @yoshihirohorii ちなみに竜治で

2012-08-16 21:34:38
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii なんか芸能界化してんだよね。扱い方が。そこが正直キモイ。サイバーメトリックがそういう部分があったくせに他人事みたいに言うなってツッコミがありそうだけど、自主制作ものと客観的な報道とでは、意味が全然ちがうわな、というのは俺の考え方。

2012-08-16 21:36:55
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 建築ってもっと広範囲だと思う。一方で高齢化や核家族化の問題を扱ってるけど、他方で究極の軽量構造みたいなものも扱ってる。どれが全体を代表できるわけじゃなし、どれもそれぞれのリアルな問題に取り組んだ結果にすぎないのに、「流行」を作り出してるのは誰か?

2012-08-16 21:40:37
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii そういうことだと思うけどね、俺は。だから「世間」の批判に、個々の建築家は過剰に反応する必要はないと思う。自分の主題に誠実に取り組む以外に取りうる方法なんかありますか?別の角度から言うと建築家はそんなにスーパーマンだと思いますか?NOだな。

2012-08-16 21:42:57
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii ...というようなことを、当時あのやり取りを流し見しながら考えたな、ということを思い出したので書いてみました。

2012-08-16 21:43:40
堀井義博 @yoshihirohorii

あとこれはそれとは別のサイドストーリーだけど、特に伊東さんがしきりに言う「わたくし性」みたいなものと「社会」とが、二択みたいに対置されてるのはそもそも可笑しい。おかしいんじゃなくて可笑しい。つまり冗談めいてる。これはこの前期に東北大M1のスタジオを通しても強く感じたこと。

2012-08-16 21:48:51
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii なんでそんなに単純に「わたくし」と「そうでないもの」が対置されなきゃなんない?そういう対立の認識、思考のフレーム(枠組み、構え)そのものが、俺にはとてつもなく未成熟で幼稚なもののように感ぜられた。

2012-08-16 21:50:52
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 「社会」のために作ることは、「わたしはこれがいい」と思うことであってはならんか?そんなことあるわけない。設計者本人が「わたしはこれがいい」とすら思わないものを、設計することに問題があるとは思わないか?大アリだろう。

2012-08-16 21:52:55
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 料理人が「俺はこれは美味いと思わんが」と思っている料理を作って他人に出すことに誠実さがあると思うか?あるわけないだろう。ここにそんな単純な「わたくし性」と「社会」との対立や区分なんか あ る わ け が な い

2012-08-16 21:54:30
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 設計者は「わたしが良いと思う」ものを作る必要がある。当然だ。それが「わたしだけが良いと思う」ものなのか「わたしにとって良い」ものなのか、そういうような部分が問われる。当たり前だけど、社会人建築家(っていうかプロ)は皆こんなことは当然の認識。

2012-08-16 21:56:35

    ↑ ここは日本語がちょっとおかしいっすね ↑

    訂正するなら、

    「わたしだけが良いと思う」ものなのか、
    「わたしも良いと思う」ものなのか、

    ってな具合でしょうな。


堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii なのでこれらは主に学生向けに書いてる。小賢しいロンリを丸暗記して高尚なことを考えたつもりになりたいのは、俺もDQNだったからよく分かるが、地に足が付いてないとかなりサムイ。プロでも分かってない人もいるかもしれんけど、そういう人は放っとけw。

2012-08-16 21:58:45
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii この一連の話と関係あることで、何度か学生にも直に言ったことで、俺なりに重要かなと思ってることがあるとしたら「抽象的な社会なんかない」ということかな。先のような「わたくし性」と「社会」とが対置されているような、典型的な幼稚なフレームにおいては...

2012-08-16 22:01:18
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii ...「社会」がいつも、とてつもなく実体性の希薄な、何か透明で抽象的なブッシツみたいに扱われてることが多い。そんな「社会」は古今東西、世界中、何処を探しても存在しない。ターゲットにすべきなのは常に、目の前にある現実的で物質的で具体的な「社会」だ。

2012-08-16 22:03:22
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 具体的な「社会」は、あたりまえだけど大きさがある。量がある。質がある。そういうところから、一見つかみ所のない「社会」なるものの具体的現実に肉迫しない限り、「わたくし性」と「社会」との対立が作る、実体性の乏しい抽象的なループを堂々巡りすることになる。

2012-08-16 22:06:31
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 俺は個人的には感傷的な話はあまり好かん。観念的な話もあまり好かん。物や量や大きさや質(←品質じゃないよ)といった、物理的な世界で捉える方が、対象の具体性を掴み取りやすくなる。これは大分前にも書いたことだけど、そういう、絶対的に具体的な世界を背景に、

2012-08-16 22:09:07
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 具体的なものだけを手掛りに組み立てて行った結果として、抽象的な「社会」なるものの姿をかすかに覗き見ることができる、というスリルこそが、建築の醍醐味だと思ってる。抽象性は原因ではなくて結果。その逆ではない。

2012-08-16 22:10:50
堀井義博 @yoshihirohorii

@yoshihirohorii 以上。久々に脳内連続ダダ漏れさせてみた。

2012-08-16 22:11:29