茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第692回「情報が増大したとしても、幸せが増すとは限らない」
- toshihiro36
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じし(1)幸福に関する経済学(happiness economics)の分野でよく知られた事実として、Easterlinのパラドックスがある。すなわち、経済成長しても、人々がより幸福になるとは限らない。むしろ、どれほど経済成長しても、平均的な幸福度は、ほぼ一定のままである。
2012-08-21 07:33:57じし(2)幸福の経済学から見て、日本は興味深い研究対象であった。戦後、経済が高度成長して、急速に発展したからである。ところが、高度経済成長期を通して、日本人の感じる平均的な幸福度は、変わることがなかった。経済規模にかかわらず、ほぼ一定だったのである。
2012-08-21 07:35:19じし(3)なぜ、経済が成長しても幸福度は変わらないのか。他人との比較が重要だからという説や、経済発展すると、「幸福」な生活を送るために必要な構成要素もまた増大するからなど、いろいろな説がある。10年前にはiPhoneやiPadがなくても幸せだったが、今では多くの人が欲しいだろう。
2012-08-21 07:36:52じし(4)Easterlinのパラドックスは、幸福度と経済発展の関係だが、幸福度と情報にも、同じような関係がある。Julian Assangeのエクアドル大使館でのスピーチにさっそく字幕がついている動画(http://t.co/yYUhcoVw)を見ながら、そんなことを考えた。
2012-08-21 07:39:57じし(5)インターネットの上の経済の生態系は増大し、深まり、私のような好奇心の塊の人間にとっては天国のような時代が来ている。著作権が切れた本は大量に電子化され、青空文庫だけでも読み切れない。動画や音声もあふれている。昨日はPhilip Glassのオペラを聴いていた。
2012-08-21 07:41:31じし(6)では、情報が無尽蔵にある状態が、幸福かと言えば、必ずしもそうではないようだ。テレビやラジオはインターネットとの比較において批判されがちだが、かつてのメディアが限られた状況においても、思い出せば私たちは幸せだった。幸福は、情報の絶対量が増えても必ずしも増えない。
2012-08-21 07:42:47じし(7)あれは確か小学校高学年の時、私は秋の蝶を追いかけながら、ラジオで巨人の日本シリーズ最終戦を聞いていた。ちょうどV9が終わって巨人が絶対的な存在ではなくなった頃で、その年の日本シリーズもパリーグのチームに敗れて、悔しい思いをした。
2012-08-21 07:44:24じし(8)ラジオの音声をかじりつくように聴くシーンは、映画『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』にも出て来るが、情報が乏しい中では一つひとつの重みが増して、全体としてのインパクトは充足する。逆に、情報があふれる今は、一つひとつのインパクトが小さくなって全体の規模が一定となる。
2012-08-21 07:45:55じし(9)幸福とは何か、という命題は、結局は私たちの生の有限性に関わる。私たちの生は身体的にも時間的にも有限。どんな経済規模でも、情報の量でも、私たちはそれなりに回してしまう。作家の内田百閒が、貧しい時はご飯粒をあぶって醤油につけて酒のつまみにしていたという逸話を思い出す。
2012-08-21 07:48:30