【三国志】護軍・監軍・司馬などの軍職ツイートまとめ

中国史の話をしていると司馬などの軍職が詳しい説明もなしに流れていく。なので調べてつぶやいたツイートをまとめた。 サイト【歴華泉】http://rekishiizumi.web.fc2.com/
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軍職ではないけれど、基本となる「守・尉・監」の三職。
「守」は、後の郡守や太守の事。

叔嗣(しゅくし) @korekorebox

【尉】は秦が各郡に置いた「守・監・尉」の一つ。郡県の警察機構である。後漢代に出てくる各郡都尉は治所を郡太守とは別に置き、郡太守から独立しており隷属関係には無い。

2012-08-06 18:02:22
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

【監】秦が天下を36郡にに分けたときに、各郡に置いた「守・尉・監」の一つ。郡内官吏の査察を掌る。劉邦が天下を統一した時には廃止されるが、恵帝の時に監御史という名前で復活し州の治政を監察する。のちに刺史または州牧となる。

2012-08-05 23:53:20

中国史ではおなじみの司馬という軍職。

叔嗣(しゅくし) @korekorebox

県の司馬 郡の司馬 州の司馬 将軍府の司馬 丞相府の司馬 大将軍府の司馬 同じ呼び名の司馬という役職でも色々ある。長史等も同様。同じ様に参軍や護軍という役職が付いているからといって、すべての同名の役職の人が同じ範囲の権限を持っていたとは思えない。

2011-11-04 16:54:17
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

【司馬】① 古代周の六卿の中に大司馬があり、属官に小司馬や行司馬などがあった。周での大司馬の職掌は軍事と国内の警察機構の様なものだが、小司馬や軍司馬の職掌は不明。

2012-08-06 17:34:40
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

【司馬】② 春秋時代の晋は三軍を置き、その各軍ごとに司馬をおいた。春秋戦国時代には、軍の長官を司馬と呼んだりもした。秦は司馬を廃して太尉とし、漢も其れに倣ったが武帝の時に大司馬に改められる。

2012-08-06 17:40:32
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

【司馬】後漢代に登場する州や郡県の司馬は、公府内の軍旅における警察機構である。都尉は郡県内の警察機構で、司馬は軍内の警察機構なので職掌が被る事は無い。

2012-08-06 17:54:29

「尉」は民政行政区内の警察
「司馬」は軍隊内の警察で憲兵
といったような括りになったという事のようです。


次は、監察権があると誤解される「護軍」という軍職。

叔嗣(しゅくし) @korekorebox

「護軍」武帝は護軍都尉とし大司馬に属す。平帝の時に護軍将軍とした。後漢は班固を中護軍とし大将軍の幕僚とした。曹操は護軍と領軍を置き禁軍を領し建安12年に中護軍と改めた。文帝の時に護軍将軍に戻し営兵を領して武官の選を掌る(領軍将軍に隷属)武官の選を掌るのは前漢からの事「通典34」

2012-03-02 22:20:41

「禁軍」とは何か?

叔嗣(しゅくし) @korekorebox

【禁軍】漢代、北軍は中尉(執金吾)が統べ後年に八校尉を創設し北軍に列した。(後漢では五校尉)三国の魏では領軍将軍が北軍の三営を統べ、護軍将軍と驍騎将軍が三営を領した。

2012-03-05 09:49:21

北軍は首都直営の軍隊の事で、近衛軍とも言われる部隊です。

叔嗣(しゅくし) @korekorebox

【護軍】劉邦は陳平を都尉とし諸軍を護らしめ、さらに護軍中尉として諸将を護らしめた。前漢武帝時に護軍都尉と改め大司馬に属し平帝時は護軍将軍に改められる。後漢では班固を中護軍とし大将軍の幕職とした。「東洋歴史大事典」(通典29・34)(文献通考151)

2012-03-05 11:28:22
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

【護軍】漢の高祖は陳平を護軍中尉し諸将を護らせた。前漢武帝は護軍都尉し、大司馬に属させ平帝時に護軍将軍と改めた。後漢は、班固を中護軍し大将軍の幕職とした。前漢以来、武官の選をつかさどった。魏以降は職掌が変わり、禁軍を率いる部将や将軍の副将という役割が強くなる。

2012-07-25 22:24:21
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

「陳平の護軍中尉について」秦は周の司馬を廃して太尉としたとある。おそらく軍内の警察機構だった司馬も尉となったのであろう。つまり、陳平は護軍の武官選考権限と、中尉という軍内警察権限を与えられたのだと思う。

2012-08-06 18:10:13
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

「東洋歴史大辞典から要約して抜粋」曹操は護軍と領軍を置き禁軍を領し建安12年に中護軍と改めた。文帝の時に護軍将軍に戻し禁軍営兵を領して武官の選を掌る(領軍将軍に隷属)武官の選を掌るのは前漢からの倣いである「通典34」

2012-03-04 20:24:31

呉や蜀は後漢の職掌を引き継いでいる。曹操は護軍の職掌を変更しているので、呉蜀の護軍と魏の護軍は同じように語れない。


叔嗣(しゅくし) @korekorebox

なんとなく、姜維が護軍を配置していなかった別の理由を考えてみる。軍制を変更した以外の理由。開府もしくは節などの権限を与えられておらず、率いた他の将軍は属僚と言う扱いではなく独立した部隊という扱いだったのかもしれない。だから、護軍などを各部隊に配置できなかったのかも。

2011-11-04 17:27:00

何故そう思ったのかは、「節と斧鉞についてのまとめ」を読んでもらえればわかるかと思います。
http://togetter.com/li/311703?f=reco1
「仮節は軍府開設権限を指す。」という考えから。


最後に「監軍」という軍職の説明

叔嗣(しゅくし) @korekorebox

【監軍】軍事監察の官。斉の穣苴の上言から始まる。前漢武帝は監軍使者を置き、 後漢も之に倣った。魏・晋は監軍事と略す。同じ職掌で別に諸軍に軍司・軍師があった。監軍の職で、特に太尉軍司がもっとも重んじられた。

2012-07-25 22:34:27
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

RT @korekorebox: 「監軍」軍事監察の官。前漢武帝が監軍使者を置き、後漢も之に倣った。魏・晋は略して監軍とする。監軍とは別に諸軍に軍師あるいは軍司がありこれが監軍の職にあたり、特に太尉軍司がもっとも重んじられた。「通典29」 司馬師の名を避諱して師を司に改められる

2012-03-04 20:35:56