「もしドラ」は、売れたから価値があるんじゃない。文学的に高い位置に到達しているところに価値がある。同様に「エースの系譜」も「チャボとウサギの事件」も文学的に価値がある。
2012-08-21 20:47:41えっ RT@huckleberry2008 「もしドラ」は、売れたから価値があるんじゃない。文学的に高い位置に到達しているところに価値がある。同様に「エースの系譜」も「チャボとウサギの事件」も文学的に価値がある。
2012-08-24 10:47:04@u1ro_ishikawa @huckleberry2008 文学的価値の定義が甘いからそんなことで驚くことになる。「文学的価値に価値など、ない」ことの証左。であると考えれば、少なくとも理解はできるのではないだろうかどうだろうか?
2012-08-24 10:50:52@kaspart_j @huckleberry2008 文学を無価値と判定する基準がもしドラだとしたら切なすぐる。つーか、アレですなあ。自己肯定感が強いってのは、人の振る舞いをこんなにも自由にするんですなあ。まるで朝せn(ry
2012-08-24 11:19:37@u1ro_ishikawa @huckleberry2008 まぁ、そだよねw 元発信が本人だったのを見てあとで非常にびっくりしたわけですがw 私自身は、「文学的価値と商業的価値は相入れない」と思っとるので、「売れたからといって文学的価値があると思うな」と言わせていただきますw
2012-08-24 13:29:49@kaspart_j @u1ro_ishikawa おまえ、喧嘩売ってんの?いつおれが「「もしドラ」は売れたから文学的価値がある」って言ったよ。文学的価値についての正当な批判ならまだしも、売れてることについて因縁つけてくる理由は何?
2012-08-24 13:34:48おれが「もしドラ」の「売れていること」と「文学性」との相関関係については一度も言及したことがないのに、というかはっきり相関関係はないと言っているにもかかわらず、「売れている」ことについて殊更に言及し、それを盾にもしドラの文学性を惜しめようとする下衆な輩が多い。
2012-08-24 13:38:40でも、そういう売れたことについて言及するやつって、だいたい周囲から煙たがれていたり、バカにされていたりすることが多いんだよね。「その人は厄介者なんで相手にしない方がいいですよ」という親切なリプライもよくくる。
2012-08-24 13:40:40結局、売れたことへの嫉妬でしかないんだよ。でも、一つ言いたいのは、おれは嫉妬されるような羨ましい人生送ってないから。本当に無間地獄よ。その意味では、皆から呆れられ、バカにされ、見下されても仕方ないけどね。
2012-08-24 13:42:25しかし、さっき言及した二人は本当に下品でゲスだな。おれのフォロワーがはるかぜちゃんのフォロワーとは性質を百八十度異としていることをありがたく思え。みんなニヤニヤしてこっち見てんぞ。
2012-08-24 13:43:58言うならばおれは、現代の病理ホイホイなんだろうな。さまざまな病理にやられちゃったやつらが、おれになぜか吸い寄せられてくる。ハチのムサシのようにね。
2012-08-24 13:46:35@huckleberry2008 これは炎上マーケティングの新しい手法ですか? また、あなたのおっしゃる「文学的価値」について「おかしいなぁ」と思っているだけで、「もしドラ」そのものの文学的価値・商業的価値について云々するつもりは無いのですが、気になりますか?
2012-08-24 13:50:55@kaspart_j 答えになってないよ。おれの言う「文学的価値」をなぜ「売れたこと」に結びつけるんだって聞いてるの。それからそこまでおれの「文学的価値」がおかしいというなら、単に「おかしい」という言うだけではなくて、具体的な論拠を示せよ。それが批判というもののルールだろ。
2012-08-24 13:57:17@huckleberry2008 論拠ですか。少なくとも私の今までの「文学的価値」の認識は「読者」「論評者」「販売者」あたりに付けてもらうことだと思っておりましたので、「自分で文学的価値がある」と標榜してしまうのは「おかしい」と思うた所ですが。この感覚が間違ってましたかね?
2012-08-24 14:12:14@kaspart_j 間違っています。古今東西、作者が作品を評価していけないというルールが定着した試しがありません。そういう考えの人が貴殿を含め少なからずいるというのは知っていますが、批評の世界では作者の自己評価抜きには語れないところがあります。
2012-08-24 14:26:38@kaspart_j ははあん、でも分かった。なんで貴殿がそう思うのか。貴殿は「岡目八目」という言葉をご存じでしょうか。これは、囲碁において、対局者は視野が狭くなって手が読めなくなるけど、端で見ていると手がよく見えることを喩えた諺です。つまり、客観的な評価の方が正しい。
2012-08-24 14:30:21@kaspart_j しかしながら、プロの囲碁将棋の世界には「対局者が正しい」という言葉があるのをご存じでしょうか?これは、プロ同士の対局で解説者がつく時、よく対局者が解説者の予想外の手を指すことがあるのですが、この時、解説者は必ずこう言うのです。「対局者が正しい」。
2012-08-24 14:32:08@kaspart_j どういうことかというと、プロというのは、対局の時は集中力を極限まで高めるけど、解説の時ははっきり言って他人事なので、そこまで集中はできない。だから、どうしても読みが浅くなってしまう。
2012-08-24 14:33:12@kaspart_j そのため、自分が想定していなかった手でも、対局者が指したならそっちの方がいい手なのでしょう、という意味です。そして実際に、対局者が正しいケースがほとんどなのです。プロの世界には、「岡目八目」は存在しない。むしろ真逆の状態が諺になっている。
2012-08-24 14:34:29@kaspart_j プロの世界はそういうものです。文学的価値は、結局ギリギリまで戦っている作者が一番分かっているケースが多い。批評家もそれを知っているから、彼らの言葉をいつだって手がかりにする。知らないのは、はっきり言って貴殿のような不真面目な読者だけです。
2012-08-24 14:35:29@kaspart_j 「岡目八目」はしかし、日常生活ではよくあることなので、そういう誤解が生まれるのでしょう。貴殿の言葉で、一つこの世の謎が解けてすっきりしました。ありがとうございました。ぼくのフォロワーも喜んでくれていると思います。
2012-08-24 14:36:37@kaspart_j ぼくは逆に、この「対局者が正しい」ということを、多くの人が理解していることと思い込んでしまっていました。人間、どんなところに落とし穴があるか分かりませんね。でも、こうして気づけてよかったです。貴殿にそのつもりはなかったでしょうが、貴殿のおかげです。ありがとう
2012-08-24 14:39:51@huckleberry2008 うーん、まぁちょっと違うのですが…自分では文学的価値を高めるために書くという動機や行動は至極全うだと思いますし、そこは否定するつもりもないんです。「あれは、いいものだ」でいろいろ価値は高まると思いますが…(続く
2012-08-24 15:38:17