かつては被曝問題に関心があったらしい江戸川区
【平和への願いを込め】江戸川区立滝野公園には「原爆犠牲者追悼碑(http://t.co/snJW3gBO)」があります。区内に移り住む被爆者や多くの住民、行政が一体となって1981年に建立。被爆地以外に建てられるのは異例のことだそうです。石碑に向かうと広島・長崎の方角になります。
2012-12-02 13:26:482006年にタワーホール船堀で開かれたイベント→【いのちを歌う 平和を奏でる】 http://t.co/4uWhV0JD http://t.co/ZeF0QhEz 共催…「江戸川仏教会」「親江会(江戸川区在住被爆者の会)」 後援…「江戸川区」「江戸川区教育委員会」
2012-08-25 16:32:29【いのちを歌う 平和を奏でる】(2006年のイベント) http://t.co/4uWhV0JD 歌手・バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんはウクライナ生まれで、86年にチェルノブイリ原発事故で被曝。2000年より日本での音楽活動を開始しているそうです。
2012-08-25 16:36:30江戸川区のホームページで見つけた記事 → 被爆者団体主催の「原爆展」【8月26日】 http://t.co/QXSMSK7o 掲載日は平成17年8月26日。
2012-08-25 17:10:04《被爆60年、親江会(江戸川区在住被爆者の会/会員:約280名)結成40年、江戸川原爆犠牲者追悼式25回という節目にあたり、核兵器廃絶と戦争をしない平和な暮らしを訴えようと、8月26日から「原爆展」がタワーホール船堀1階展示ホールで開催されています》(注:平成17年の記事です)
2012-08-25 17:10:22@sarasaebi あ!私このナターシャさんのことを、福島原発事故後にお会いした方から、教えていただきました。今も日本で演奏したりお話しされているそうです。演奏会!やってたんですね。また、企画してくれないかな。教育委員会の皆様!
2012-08-26 04:30:00@h_taranome 私、民族楽器好きなんですよ! タワーホール船堀でこんなコンサートやってたなんて知りませんでした。是非また企画してほしいです。丸木美術館も以前から興味があったのですが、まさか船堀で展示されていたことがあったとは…。
2012-08-26 09:35:26Youtube - 【ナターシャ・グジー Nataliya Gudziy - Itsumo Nando Demo (Always With Me) 】http://t.co/vGXrwzJ062
2013-03-15 21:01:21http://t.co/QXSMSK7o《会場には、東京大学総合研究博物館巡回展「石の記憶」展(今年7月和歌山市立博物館に次いで2回目)の焼けただれて溶解した瓦や石、調査記録フィルム、写真、調査メモなど約100点が展示されているほか、》(続く)
2012-08-26 17:31:16(続き)《広島出身の画家、丸木位里・丸木俊夫妻が共同制作した「原爆の図」レプリカ15点、広島平和記念資料館所蔵「サダコと折鶴ポスター」、被爆写真集、体験証言集などが展示されています。》http://t.co/QXSMSK7o
2012-08-26 17:31:54原爆の図丸木美術館(ウィキペディア)→公益財団法人丸木美術館(こうえきざいだんほうじん まるきびじゅつかん)は、埼玉県東松山市にある美術館。「原爆の図」を常設展示している。http://t.co/95xByL0A
2012-08-26 17:33:54目黒区美術館では。2011年年4月9日より「原爆を視る1945-1970」展の開催を予定していましたが、「イメージ的に、この度の大惨事や福島原発の事故と重なる部分がある」との理由で中止になりました。(参考→「丸木美術館学芸員日誌」http://t.co/4ftqYNy0)
2012-08-26 17:36:07「かつては・・・関心が・・・。」「今は・・・興味な・・・。」なぜこうも変わってしまうのか?不思議の江戸川区! RT @sarasaebi まとめを更新しました。 「かつては被曝問題に関心があったらしい江戸川区」 http://t.co/I6iIKg20
2012-12-02 23:48:22↓このまとめのタイトルからは外れますが、丸木美術館についてのツイートなので追加しました。
この画文集は凄まじい。丸木夫妻の「原爆の図」を「あれは絵じゃ」と批判したあやが残した、もうひとつの原爆の図。大道あや『ヒロシマに原爆がおとされたとき』(ポプラ社)。絵の一枚一枚に作者による肉声の解説が付録のCDで聴けます。 http://t.co/5yQLsmeP
2012-11-17 11:06:46先日、特別講義を持っていただいた原爆の図丸木美術館学芸員、岡村幸宣さんのレクより覚書。美大芸大に招かれ「原爆の図」について話すのは初めてとのことでした。意外。
2012-11-17 11:16:10チェルノ前から反原発の姿勢を示していた原爆の図丸木美術館は1989年、当時24%を占めていた東電管内での原発による電力供給に対し、同じ24%分の支払いを拒み、送電を切られてしまう。もともと自然光を取り入れ冷暖房に頼らない姿勢を持っていた館は、自家発電、太陽光発電でこれに対抗。☞
2012-11-17 11:17:31☞ けれども、まだ技術が未熟な89年当時のこと。装置の故障が続き、丸木美術館はやむなく自家発電を断念。が、311を機に今一度原点に立ち戻り、太陽光発電の導入を決めると、たちどころに寄付が集まり、現在は東電に電気を売る余裕さえ生まれているという。いわば、両者の関係が逆転したわけだ。
2012-11-17 11:19:20たしかに小さな美術館ではあるけれども、館の精神に照らして自家発電を導入した原爆の図丸木美術館は、電力も含めた美術館の自律とは何かについて考えるうえで、格好の材料を示してくれていると思う。なにも、スター建築家らが恐竜のような意匠や発想を競い合うことだけが、美術館の未来ではないのだ。
2012-11-17 11:20:42