渡邊先生と後藤先生の会話 「心とは機構なのかコンテンツなのか」

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後藤 健 @123_euglena

『心理學概論』(大槻快尊、1912年)によれば、中略、心理学の開祖と呼べる哲学者は「心は脳髄にあり」と述べたアリストテレスである。哲学から心理学へ独立した学問へと小径を開いたのはルネ・デカルトである。ウィキhttp://t.co/4k50DmUKより。

2012-08-21 13:55:48
後藤 健 @123_euglena

『生理学と心理学の関係は、物理現象から精神現象が生起するのかという心身問題を常にはらんでおり、哲学上の重大な未解決問題となっている』同ウィキhttp://t.co/4k50DmUKより。

2012-08-21 14:02:42
後藤 健 @123_euglena

『外からは観察ができない心(mind)の独在を認めていない。 多くの行動主義者に共通する1つの仮説は、“自由意志は錯覚であり、行動は遺伝と環境の両因子の組み合わせによって決定されていく”というものである。』ウィキ行動主義心理学http://t.co/Dnd98Fk1より

2012-08-21 14:16:45
後藤 健 @123_euglena

『新行動主義以降の方法論的行動主義では、行動の観察によって行動と環境の媒介である生活体や心的過程を研究する立場となっており、ワトソンが唱えた行動主義における方法論的行動主義が、生活体や心的過程を設定しないものであったこととは異なっている。』http://t.co/Dnd98Fk1

2012-08-21 14:52:48
後藤 健 @123_euglena

『現在でも、方法論的行動主義は殆どの実験心理学者が採用する立場となっており、心理学の主流となっている認知心理学の研究者たちの殆どもこの立場を取っている。 』ウィキ行動主義心理学http://t.co/Dnd98Fk1より

2012-08-21 14:53:51
後藤 健 @123_euglena

『スキナーは、中略。 徹底的行動主義は、意識・認知・内観などは観察可能な行動と同様の原理が働くとし、中略。そして、意識・認知・内観は顕在的行動と同様に科学的に論じられうるとして、それらの存在を受け入れている。』ウィキ行動主義心理学http://t.co/Dnd98Fk1より

2012-08-21 14:54:49
後藤 健 @123_euglena

『(徹底的行動主義は)意識・認知・内観などの心的過程に行動の原因を求めない点が、新行動主義以降の方法論的行動主義と大きく異なる点である。 』ウィキ行動主義心理学http://t.co/Dnd98Fk1より

2012-08-21 14:55:32
後藤 健 @123_euglena

渡邊さんの心理学は徹底的行動主義に近い印象?ただ徹底的行動主義が『意識・認知・内観は顕在的行動と同様に科学的に論じられうるとして、それらの存在を受け入れている』点では鋭く対立していると思った。ただ、https://t.co/LW7p0A3Yのウィキによれば心身問題は未決、と。

2012-08-21 15:04:37
後藤 健 @123_euglena

B.Ahearn,2010『心理学者は心理学における行動分析的な説明について、無視、無理解、and/or歪曲的説明といった長い歴史を経験してきた。殆どの心理学者や一般社会にとって、すべての行動主義は、思考の実在を拒否し遺伝的影響を軽視する、過度に単純化された刺激応答の心理学だ』

2012-08-23 15:10:58
後藤 健 @123_euglena

(B.Ahearn,2010)『(スキナーのラディカル行動主義)のアプローチでは、観察されない行動(中略、自己制御、思考、他の私的出来事に言及した彼の著作)の実在性と重要性を承認する一方、顕在的な行動が心理学の重要な従属変数であることを保持した。』

2012-08-23 15:32:06
後藤 健 @123_euglena

(B.Ahearn,2010)『このアプローチの核心は、選択(文献略)の見地だ。ラディカル行動主義は、(行動の)原因を、生物と環境の関与する複合的な時間スケールにまたがって繰り広げられる複雑な相互作用、と考える。』

2012-08-23 15:42:08
渡邊芳之 @ynabe39

後藤先生が勉強している様子を感心しながら見ているアカウントがこちらになります。

2012-08-23 15:48:36
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena このあと、行動を決める基本的三因子(遺伝、生涯経験の偶然、社会ー文化的文脈)のそれぞれについて簡単な説明が続く。ここに記載されるラディカル行動主義の姿勢には何の違和感も感ずることはなかった。生物学的心理学とも極めて親和性が高いのだろう、と推察できる。

2012-08-23 15:50:51
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 いや、素人は黙ってろ、というから!黙って勉強してるの。

2012-08-23 15:51:40
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena ほんとに素人ならいいんですよ。先生は「学者」なんだから他の研究分野のことについて何かをいう場合にも一定の知識は必要だよね,という話でした。だから俺は生物学のことなんかなにも言わないもんね。

2012-08-23 15:53:52
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 要は、渡邊さんが心理学常識だとすることに違和感を感じたのでした。それで「その論の妥当性は?」と問うた訳です。様々な心理学学派があるとすれば、その「心理学」常識は渡邊心理学の常識なのでは、という問いかけなのです。この問いに、心理学の専門知識は不要と思います。

2012-08-23 16:02:16
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena それに私が回答したとしてその意味を理解するにはやはり心理学や心理学史の知識が必要と思います。生物学にも「今も論争になっている問題」もあれば「論争を経て今は学派を超えて(他の点では対立しているにしても)共有されている知識」もあるでしょう。

2012-08-23 16:05:11
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 学派があったとしても学派間で「すべてのことについてまったく違う立場をとっている」ということはないでしょう。むしろ「学問的に意味のある対立」というのは基本的な世界観では共通性をもちなかがら「具体で特定の問題についての立場が違う」場合ではないでしょうか。

2012-08-23 16:07:17
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 心はフィクションだ、というのは論争中のテーマでしょう?

2012-08-23 16:07:29
渡邊芳之 @ynabe39

それで,20世紀半ば以降の心理学では「客観的・科学的な事実の蓄積」をしようとする心理学はすべて,少なくとも方法論的には先生の勉強された「行動主義」になっています。「心そのもの」を「行動の原因」として取り扱うことはありません。 @123_euglena

2012-08-23 16:09:28
渡邊芳之 @ynabe39

日常言語として述べられる意味での「心」がフィクションである(それと直接対応するレファレントを持たない)という点にはすでに論争はないと思います。 RT @123_euglena: 心はフィクションだ、というのは論争中のテーマでしょう?

2012-08-23 16:11:36
渡邊芳之 @ynabe39

「論争」があるとすれば,「心がフィクション(社会的構成物)である」ことを認めた上で,心理学がフィクションを追放して人間の行動を「科学的」に研究すべきか,それとも「そのフィクションが持つ意味」を重視した人文学的な立場を取るべきか,という点だと思います。 @123_euglena

2012-08-23 16:14:25
渡邊芳之 @ynabe39

そういった「人文学的な立場」の典型が臨床心理学です。カウンセリングや心理療法はクライエントの主観を構成する「フィクションとしての心」を了解的に理解することを重視しますし,クライエントが求めるのもそれです。 @123_euglena

2012-08-23 16:16:02
渡邊芳之 @ynabe39

ただ最近は精神医学がエビデンスベースドになるのにつれて臨床心理学も部分的には客観的な行動データに依拠する行動主義的なものになっています。@123_euglena

2012-08-23 16:17:33
渡邊芳之 @ynabe39

スキナーの徹底的行動主義を理解する上で重要なのは,スキナーは意識や心の存在を否定したわけではないということです。意識や心は存在するがそれらも他の顕在的な行動と同様に「行動」であって環境による制御のもとにあるということです。 @123_euglena

2012-08-23 16:20:09
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