キュウべえさんのおもしろ話。 ~もうナショナリズムも怖くない~

キュウべえBOTである@QB0氏の中の人の面白いお話。
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キュゥべえ @QB0

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2012-08-26 22:44:37
キュゥべえ @QB0

もうだいぶ夜も更けてきたね。また少し話したいことがあるんだけれど、よければ聞いてもらってもいいかい?

2012-08-26 23:41:17
キュゥべえ @QB0

この前、ボクはキミたちに「愛国心」というものについてどう考えているか質問をしたんだけれど、思ったよりもたくさんの返信をもらうことができた。それは意外ではあったけれど、興味深いことだったんだ。そこで、今回はその話に関係して「ナショナリズム」というものについて少し話てみたいんだ。

2012-08-26 23:44:25
キュゥべえ @QB0

たぶん、あまりナショナリズムという言葉自体にいい印象を持っている人は少ないんじゃないかな。確かにナショナリズムというと、自分たちが優れているとか、他の国や民族よりも優越感があるという話になりやすいし、そこにはやや差別的な考え方があるといっても構わない部分もある。

2012-08-26 23:46:54
キュゥべえ @QB0

ずっと昔、古代のギリシアの人々は自分たちを「ヘレネス」と呼んでいた。これは自分たちがヘレンの末裔、つまり英雄の子孫だということだね。一方で、その他の異民族をバロバロイと呼んでいた。バルバロイの意味は「意味のわからない言葉を話す者」という意味だとされている。

2012-08-26 23:49:41
キュゥべえ @QB0

同じように、ユダヤ人は自分たちが神と契約した選ばれた民だと信じていたし、多少の差異はあっても、そういった民族的な優越感というものはどこにでも古代から存在していたといってもいい。

2012-08-26 23:51:06
キュゥべえ @QB0

こういった考え方は、現代まで様々な形を変えて受け継がれていた。近代のイタリアでヴィーコという哲学者がいる。彼の著作に「イタリア人の太古の知恵」という邦題で訳されているものがあるんだけれど、ここでいう太古のイタリア人というのは、つまり古代のローマ人のことなんだ。

2012-08-26 23:55:02
キュゥべえ @QB0

彼らにとって、あるいはイタリアという地域にとって、ローマ帝国の文化を残していること、そしてそれを受け継いでいるということが一つのアイデンティティーになっていた。近代のヨーロッパではイタリア旅行が流行したんだけれど、それもローマの文化に触れるためというのも一つの理由だったみたいだよ

2012-08-26 23:57:26
キュゥべえ @QB0

こういった、民族的なアイデンティティーの形成は、ほとんどどこの国あっても見られるものだといってもいい。そして、歴史というものを考えるときに果たした役割もとても大きなものだった。ヨーロッパの近代国家の独立運動も、ほとんどはこういった民族意識によって起こされたものだからね。

2012-08-27 00:00:11
キュゥべえ @QB0

ドイツでは「ニーベルゲンの指輪」というのがあるけれど、これはもともとゲルマン民族の神話だった。それが求められるようになった背景は、いってしまえば自分たちの民族はどういうものだったのか、という問いかけの中から生まれたともいえるんじゃないかな。

2012-08-27 00:01:56
キュゥべえ @QB0

精神的な言い方をすれば、民族主義というのは自分たちの神話や伝承を知り、それを集めていく作業の中にあるともいえる。そうボクは思うよ。

2012-08-27 00:03:29
キュゥべえ @QB0

日本の場合でも、それは近い部分がある。だいぶ前に「日本は天皇を中心とした神の国」といって批判を受けた総理大臣がいたんだけれど、もともとこの日本は神の国であった、という言葉はかなり遡ることができる。具合的には南北朝時代に北畠親房という人が『神皇正統記』であらわしたのが最初みたいだね

2012-08-27 00:05:45
キュゥべえ @QB0

もちろん、そこには当時の時代背景もあるんだけれど、なぜそうした考えが生まれてきたのかといえば、そこには日本という国の成り立った背景にも重要な意味があるんだ。

2012-08-27 00:07:20
キュゥべえ @QB0

古代の日本は中国の王朝から様々な影響を受けたのは知っているよね? キミたちも学校で「平家物語」を読んだ人は多いと思うんだけれど、その冒頭の中に「遠く異朝をとぶらへば」と「近く本朝をうかがうに」という対句がある。この異朝というのは、もちろん中国の歴代王朝のことだ。

2012-08-27 00:09:46
キュゥべえ @QB0

そんな具合に、当時の日本にとって常にその比較として、自国の歴史や文化と同じくらいに学ばれていたのが中国の歴史だった。ところが、歴史が進むに連れて、それじゃあ中国と日本の違いはどこにあるのか、という問いかけが生まれてきたのはほとんど必然だったといってもいい。

2012-08-27 00:11:48
キュゥべえ @QB0

これは、江戸時代の儒学の中ではっきりと現れることになるんだけれど、中国では度々王朝が変わっているのに対して、日本ではずっと天皇というものが存在していた。その違いこそが、日本のアイデンティティーであるという考えに次第に繋がっていくことになったんだ。

2012-08-27 00:14:23
キュゥべえ @QB0

例えば、中国では殷という国の後に周という国が興った。これを殷の王様が、国民を虐げていたために、徳の高い周の王様がその位についたと中国では考えたんだけれど、日本の儒学者の中ではどんな理由があれ、家臣が国王の地位を奪ってしまうのは、忠義の道に反するという考えも生まれてくることになる。

2012-08-27 00:18:47
キュゥべえ @QB0

三国志で、曹操よりも蜀に最後まで忠節を尽くした諸葛亮孔明の方が、模範にするに値する人物だと人気が出たのも、どうやらそのあたりの影響はあったみたいだね。

2012-08-27 00:20:05
キュゥべえ @QB0

日本の幕末、とくに尊王という思想を考えるときに、こういった考え方はとても重要な意味があるよ。なぜなら当時の勤皇の志士が大きな影響を受けていたのも、そういった日本で生まれた儒学の影響が究めて大きかったからね。

2012-08-27 00:21:27
キュゥべえ @QB0

けれど、今から思えばそれはあくまでも昔の思想であって、今の日本にはそういった思想は必ずしも関係ないと思う人もいるんじゃないかな? けれど、実は案外近い時代まで、そういった思想の影響は続いていたんだ。

2012-08-27 00:22:48
キュゥべえ @QB0

夏目漱石の「こころ」という小説の中では、乃木将軍の殉死(明治天皇が崩御したとき)が極めて重要な意味をもっているんだけれど、それはおかしくな感覚といってしまうと、今の日本人の感覚と、当時の人々の感覚をまるで切り離してしまうことになってしまうんじゃないかな。

2012-08-27 00:25:33
キュゥべえ @QB0

もちろん、戦前から今にいたるまでの時間の流れはけして短いものじゃないよ。けれど、日本語というものが連続して今に繋がっているところには大きな意味があるんだ。

2012-08-27 00:27:22
キュゥべえ @QB0

なぜなら、日本語で書かれたもの、キミたちの文化である和歌や俳句を含めて、日本の文化をもっともよく理解できるのは日本人だからね。それをナショナリズムといってしまうと、そうかも知れないけれど。

2012-08-27 00:28:57
キュゥべえ @QB0

その言語の中に培われている民族的な感性、言葉の感覚というのは極めて特殊なものなんだ。明治時代に、日本に圧倒的ともいえるほど西洋の文化が入ってきたとき、当時の日本の人々は再び古典に目を向けることで、もう一度日本という国の文化を探そうとした。

2012-08-27 00:31:08
キュゥべえ @QB0

それはちょうど、中国の文化との比較の中で、日本らしさというものを求めたことにも通じるんだけれど、そのおかげで今ボクたちは世界中の地域の本を翻訳として読むことができるし、古典と呼ばれるような作品でも、気軽に読むことのできる環境にある。これはとても素晴らしいことなんじゃないかな?

2012-08-27 00:32:54