小説読解の方法論――音楽的読解と絵画的読解をめぐって

夏目陽による小説読解の方法論。保坂和志と佐藤亜紀の著作を読んでいく中で。
読書 小説
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なつめ @natsume_yoh
むかし条くんにせかされながら佐藤亜紀は絵画的な方法論で小説を読もうとしていて、保坂和志は音楽的な方法論で小説を読もうとしているなんて話をしたような気がする。
@joe_kuga
それがこれ(http://j.mp/4Pf3Rc)。RT @natsume_yoh むかし条くんにせかされながら佐藤亜紀は絵画的な方法論で小説を読もうとしていて、保坂和志は音楽的な方法論で小説を読もうとしているなんて話をしたような気がする。
なつめ @natsume_yoh
そこで個人的に焦点になっていたのは全体を視覚的に把握できるかどうか問題だったような気がすると思う。
なつめ @natsume_yoh
佐藤亜紀の方法論というのは全体をあたかも視覚的に把握しているように小説を読むことで行われているようだと個人的には『小説のストラテジー』を読んで感じていた。それは冒頭の例のせいかもしれないけれど。
なつめ @natsume_yoh
あるいは細部の事柄を詰めていって全体を把握しつつ、その把握をまた細部の事柄の把握に適応するっていうフィードバック式の読み方からかもしれない。
なつめ @natsume_yoh
対して保坂和志の読み方っていうのは全体は仮想的にしか(思考のなかにしか)なくて、しかもそれが一回で一発で把握できるとか限らない的な感じの印象を受ける。
なつめ @natsume_yoh
とりあえずここまでのことをまとめてみると、佐藤亜紀の読み方っていうのは音楽のたとえで言えば、楽譜を見て演奏を聴いているような感じ、保坂和志は楽譜を持たず(楽譜を頭の中で考えながら)演奏を聴いているような感じ、と個人的には感じていたわけです。
なつめ @natsume_yoh
私は保坂和志が大好きだから、ここから保坂和志の話が中心になるけれど、つまるところ保坂和志はこの演奏を聴きながら、演奏のことを(さっきは楽譜と言ったけれど実際にはそれだけでなく)考えることこそ、文学だと言っているわけです。
なつめ @natsume_yoh
これは個人的にすごく感銘を受けた部分。保坂和志が「小説は、読んでいる時間のなかにしかない」と言った理由でもある。保坂和志の小説論において「考えている」瞬間というのはものすごく重要な意味を持ってる。
なつめ @natsume_yoh
「考えている」というのはいまぱっと思いついたことなのだけれど、すごく個人的にはぴったりな表現だと思っている。「考える」ではなく「考えている」。
なつめ @natsume_yoh
佐藤亜紀の話題をまた出してしまうのだけれど(これから再三出てくるかもしれない)、佐藤亜紀の方法論(小説論?あるいは読み方?)って時間性がない。理想化(佐藤亜紀の方法論がつくづく理想的だと思う)されたなかで行われる作業なので、仮想的であれ、現実的であれ逆行が可能。
なつめ @natsume_yoh
でも、保坂和志の方法論はその逆行を含んでいない。それを一回性というのかどうかはわからないけれど、時間軸のなかで音楽が流れていって、巻き戻しはできないってイメージなんだと思う。あと視覚に比べて聴覚では全体を把握しにくいところとか。
なつめ @natsume_yoh
ちょっと休憩。たまにこういう需要のないポストをすると疲れる。
なつめ @natsume_yoh
ここでちょっと訂正。一回、わりとさらっと文学って言葉を使ってしまったけれど、それは小説と表現した方がより正確。
@joe_kuga
@natsume_yoh メールの内容はどうするの?ポストする気がないなら、こっちが写すけども。
なつめ @natsume_yoh
@joe_kuga さっきの話は自分のなかで完結しちゃったからもう一度話すのはしんどいなあ。まとめの下に補足とか書いて書いておけばいいんじゃね?
@joe_kuga
先程の夏目の話は、ついったー落ちてる間に私のところに続きのメールが来ました。で、本人はこう言っている(http://j.mp/51of0E)ので、私が彼の発言を転載していきます。転載発言は(via @natsume_yoh)が付いているものです。
なつめ @natsume_yoh
ついったーが落ちる前にポストしていた話ですが、@joe_kuga くんがまとめてくれているということだったので、メールで残りの文面を渡してしまいました。パソコンを落としてしまったので続きは彼がポストしてくれるようです。
@joe_kuga
前も言ったかもしれないけれど、佐藤亜紀がカフカや小島信夫、あるいは青木淳悟をどう読むのかは気になる。カフカの『城』なんか逐一あった出来事を記録しかねないかも。(via @natsume_yoh)
@joe_kuga
保坂和志それらをメタレベルがないと表現した。俯瞰する位置がない。全体がないわけではない。少しずつ私の主張も変わっているような気がするけれど、それは考えながら打っているから。(via @natsume_yoh)
@joe_kuga
カフカや小島信夫、あるいは青木淳悟の小説にはもちろん、かろうじてであるけれど、筋(その集積が全体だと一般的には)はある。だけど覚えていられない。(via @natsume_yoh)
@joe_kuga
ここらへんからは余談。『世界を肯定する哲学』ではばらばらに断片化された世界をまとめようとする(統一を見出す)意思こそが生きる意思だみたいなことを言っていた。(via @natsume_yoh)
@joe_kuga
これは保坂和志が演奏を聞きながら演奏について考えることにも繋がってくる。絶えず過ぎ去っていく音楽を聞きながら全体を仮想的に立ち上げて行く作業っていうのは私たちの生きる意思みたいなものなのではないか。(via @natsume_yoh)
@joe_kuga
佐藤亜紀に関して。佐藤亜紀の方法論は理想的だけど(保坂和志の方法論は現場的)、理想自体はどこまでも高く持つべきだと思う。実際、現場での劣化は避けれないし、それなら高く持って少しでも現場の結果を高める方がいい。(via @natsume_yoh)
@joe_kuga
たぶんこんなところかな。(via @natsume_yoh)――という具合で、以上で終わりです。
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