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昔の絵下手くそで見せるの恥ずかしい! と言う前に、昔の絵よりうまくなったかどうか客観的に見られる目を養った方がいい。ボクが知る限り、自覚的な改良と努力をしないかぎり昔も今も変わらない。漠然と絵描いてうまくなるほどイラストレーターは甘くないです。
2012-08-28 06:46:56プロイラストレーターに旬な時期があるように(誰でも知ってる事ですよね、あえて誰もいわんけど)、アマチュアだろうが何だろうが、才能の絶頂時期があります。その時期を越えてもうまくなれる人こそ、心を削って前に進んでる。二度三度絵が良くなる人は才能ではなく心で削って描ける人。
2012-08-28 06:57:18あなたが効率よくラノベ作家になりたいのならラノベばかり読めばいい。エロゲシナリオライターになりたいのならエロゲばかりやれば良い。それはとても効率的でしょう。でもなった後、それをずっと続けられる保証はない。なぜならば創作はしばしば非効率なものだからだ。
2012-08-31 00:48:36過去の絵が恥ずかしいというのが真実だとしたら、その人は永遠に成長し続けているか、いつでも手を抜いて描いてるかのいずれだろう。いつでも100%の力で(それが叶わないとしても)あなたが一枚の絵を書き続けたら、思いの外早く自分の才能の天井に届いてしまう。100%というのはそういうもの。
2012-09-03 03:59:15長く絵描きとか文章書きという人種を見ていると、一番の敵が才能の枯渇などではない事に気がつく。一番の敵は自分が天才だと思い込む事と自分が完全な無能者だと思い込む事。自分が天才でも凡才のどちらでも無い事を受け入れる事は難しい。でもそれを受け入れるのが懸命なのだと思う。
2012-09-03 04:01:05専門学校など出てもプロ作家になれない! と言いたいプロは多い様だけど、専門学校卒のプロはいくらでもいる。どの経歴からでも才能は生まれる。そんな単純な事すらわからないのだろうか?
2012-09-03 23:57:49専門学校なんて出ても大半がプロ作家になれない! と言いたい人が多いようだ。そりゃそうだ。作家の卵というのは魚の卵とかと同じものであり、食い物にされる事も社会的使用価値なのだ。
2012-09-03 23:58:32絵描きや作家を目指すのに安易に専門学校に行くな! という人がいる。ならば安易に大学に行けば良いのだろうか? 安易に行った大学は専門学校よりつぶしが効くといえるのだろうか?
2012-09-06 13:36:02熟考したあげくにプロ作家など目指さない。考え無しだからそういう道を目指す。その人の行動が安易か安易でないかは、最終的には才能および結果でしか計れない。
2012-09-06 13:36:21実際、現場レベルであれば、求められる技能によって、専門学校卒故の利点もあるし、大学卒故の利点もある。それは極めて技術論的な事である。大文字で「○○はダメだ」というほど雑な言葉は無い。現場を知る人の言葉とは思えない。
2012-09-06 13:36:39たとえばプロ目指すならば「専門学校に行くより養成所にいくべき!」と「専門学校行くより大学にいくべき!」という言葉にどれほどの意味の差があるかわかるだろうか? 望まれる技能によって有利な道は違う。
2012-09-06 13:36:53自分の成功は熟考したあげくのものだと考えがちだ。けど、思考と結果に連関がある事は決して証明はされない。なぜならば自然科学の様に誰でも再現できる成功などあり得ない。
2012-09-06 13:45:03このシリーズもつらいですなぁ。あと数日で通常に戻します。ちとある企画の関係で試しにやってるのですが……。そんなこんなで知り合い等に頂いたまとめてリプします。すまんです。変なツイート垂れ流し続けてー。
2012-09-06 13:52:39プロを目指しつつもモラトリアムに浸ってしまう危険性が大学にはある。ただ昔であればそれも大学の機能として有効であったかもしれない、だが就活の熾烈さがきわまる昨今、モラトリアムとは乗り遅れの同義ではないか?
2012-09-07 00:56:37一定の学力がありながら大学にいかずに専門学校に行った絵描きは多い。彼らに「何故専門学校を選んだのか?」と聞くと、決まってかえってくるのは「絵描きになりたかったから」。この考え無しとも言える一直線な答えが、覚悟の強度に関わっているのかもしれない。
2012-09-07 00:56:21一昔前に比べて若者は人生の選択を早急迫られる。我々の世代が考えるモラトリアムの有効性はかなり薄れてしまった感がある。大企業に入る以外での大学の利点は「時間の長さ」である。これをモラトリアムとして消化するので無く、他を出し抜くための行動の時間と考えるべきでは?
2012-09-07 00:56:51「30歳すぎてからが成人」と言われるほど成熟するのに時間がかかる現代において、若者は18歳で人生の選択を迫られる。酷な話だが動かしがたい事実だ。それでも選択した道は有効に利用しなければならない。安易な選択などない。あるのは安易な時間の過ごし方だけだ。
2012-09-07 00:57:01だが、事実としてはっきりさせなければならないのは、「才能」がなければどんな努力も無駄だし、「運」がなければ成功はない。子供の遊技に等しい「創作」などというものが仕事たり得るには、数え切れないほどの失敗した人々の存在があってこそである。
2012-09-07 00:57:11若者の選択は些細な事である。悩む必要は無い。ただし30歳以上の選択は些細ではない。それは他人を巻き込む選択だからだである。だとしても選択には最良などありえない。何故ならば我々は一つの選択しか選べないからである。
2012-09-07 00:57:24