【シューニャリアーナ享受論】学院生活に慣れて、そして【夜明け前より瑠璃色な】
- L_O_Nihilum
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【シューニャリアーナ享受論】今日は、月の光の御姫様【夜明け前より瑠璃色な】 http://t.co/3Gho363y 初めてのつきひm…じゃなくてよあけなプレイ。
2012-08-28 18:22:47本まとめ以降メインなキャラはなるべく名前を略称していきます
(Fe):Feena(フィーナ)、元素記号の鉄じゃありません。
(Mi):Mia(ミア)
(Na):菜月、ナトリウムとか言わないでください、空気中で「ぽんっ」しちゃいます
(Ma):麻衣ちゃん、「私はMa」とかじゃないですよ
(Sa):さやかさん、杏子ちゃん、この人は違います
(Ta):達哉、タンタルじゃありません
(Ka):カレン、カリウムとか言いたい方、カリウムはKです
(Ri):リースレット。リンと言いたい方、リンはPです。リチウムと言いたい方、リチウムはLiです
(Ji):仁、おにいたまです。菜月の。
親父、左門:文字通り菜月たちの父左門。
(Md):翠。メンデレビウムとか言うなよ。危険だしレアだから。
立哉「つ・・・つきひめ?」しゅ「いや、一応フィーナは月姫だろ!」アルク「…へぇー、私以外にもお月様に」しゅ「いやお前はそういう意味では月姫じゃねーだろ!」
2012-08-28 18:23:50@youme2525 月がでてくるおばんです、ようめさん。今日、初めてアイコンに触れました
2012-08-28 18:41:42じっくりと見ることを心がけることで見え方は変わってくる ただエロゲーとしてエロゲーとしてのジャンル的認識をしてしまうと見落としてしまう点にいろいろな感動がある では、その感動とエロシーン、つまり産業的に基礎づけられた部面に、連続性のある享受があるのかどうか
2012-08-28 19:01:23消費論者は、軽々すぐに「データベース的な非物語の消費」とか(そういう東学派の発想でなくても)いろいろ消費論にカコつけてひっくるめようとするんですけど、それでは見抜くことできない発見が、いかに作品から可能か
2012-08-28 19:02:55『やるんじゃない、やらせられるんだ』というもの やらせられる、という言葉の持つ脱構築的両義性の一側面に、東浩紀的シニシズムがある
2012-08-28 19:05:20引用の仕方云々は動ポモ批判にはなるがそれが重要なのではない。東浩紀がシニシズムを、どういう位置づけで私らオタクに使ったかって言う問題で
2012-08-28 19:08:05例えば特撮物を見ているとき、そのメタ性はあえて気にしないように観ている、っていう状況とか、産業で製作される作品にたいしての消費の態度、作品の物語とその構造の切り離しの意識にかんするものをシニシズムと呼ぼうとしたタームがあるが、
2012-08-28 19:08:52ああいう意味での「やらせられる」では、少なくともようめさんや僕らが使おうとした意味での「やらせられる」ではない気がする。そういう、「やらせられる」という事柄の不思議さについて、少し考えた。
2012-08-28 19:09:29僕らは作品存在を享受という形(?)で認識する。認識するという形で享受する?まあいまのところ厳密化は避けておこう。とりあえず、触れては味わうわけだ。
2012-08-28 19:10:15そういう時、例えば売り出されたマーケティング的な戦略下にある作品も、たとえそうであっても、そういうことを私たちは物語に関して、無理に接続しようとはしない。物語理解において、まずはその物語として理解しようとしている、そういう気がする。
2012-08-28 19:11:06たとえブラックボックスの中身が分からなくたって、それ自体が楽しみである以上、それは消費論と同一化しきりえない。同じことは「やらせられる」ことにも言えて、やらせられる、っていう感情は一つの情熱、諦めではないという点に、シニシズムとの大きな距離を感じる。
2012-08-28 19:13:16やらせられ、て、出会った、とき。そのとき、僕はどうだったろうか?その内外の研究が期待されねばならない。己の研究、疎外されてしまわないよう、僕以外の他人の僕への研究。僕のフィーナ達視察。僕以外のフィーナ達の視察。
2012-08-28 19:16:22その時って僕はどういう感覚だったんだ?やらせられる、という使命感 そこには「早く、遊ばないと解らない」という、楽しみとも使命とも取れない言葉にできない情熱が塊として燃えていたような気がする。
2012-08-28 19:17:27外に出て水を雑草にやりに行く。フィーナとお別れ、いったん休憩。その時に、向こう側に月が出ている。その時の僕は? 月というものをまた改めてみることになる。月の特殊様態を目の当たりにし、どぎまぎする。
2012-08-28 19:19:13今まで、フィーナだのアルクだの考えもせず眺めていた月。フィーナの出てくるお話を遊ぶことで、また月の見方は違うものになる。だって、そのお話では月が、まったく違う在り方で提示されていた。王国が在り、政治があって、御姫様が住む月のある世界の月を認識したのだ。
2012-08-28 19:21:10ここでデカルト懐疑だのソシュール的言語的転回の話で「月ホントは見てないじゃないか、その月は属性であってコードであって恣意性)ry」とか漬け込むなよ。とりあえず月見たと思ったことは事実なんだからな。
2012-08-28 19:22:05僕はつい、水をまきながらこうつぶやいた。「あの月は、今じゃない、此処じゃない場所で、きっと一度ここを滅ぼして、いつかそこにはフィーナが住んでいるかもしれないんだ」
2012-08-28 19:23:51知らず知らずの間に、別のロマンスが生まれている。想像が働く。フィーナと一言言って、その妄想を広げるもよし。それだけでない、そういえば、と僕は別のことをもう考えてた。
2012-08-28 19:24:33