「吾妻橋ダンスクロッシング」について岡崎乾二郎氏の感想ツイート

10/07/16~18に行われた吾妻橋ダンスクロッシング後の、岡崎氏の感想まとめ。 イベントのホームページ http://azumabashi-dx.net/2007/10/201007.html 出演者 http://azumabashi-dx.net/performer/201007/
岡﨑乾二郎
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  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-14 20:55:56
    吾妻橋ダンスクロッシング。チラシのデザイン下手だなあ(僕がやったのでした、ごめんなさい)。今週、金曜から日曜まで。とりあえず楽しみ。http://azumabashi-dx.net/2007/10/201007.html
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-18 20:12:17
    吾妻橋ダンスクロッシングの簡単な感想。〈どっこい、まだ生きている〉。この、しんどい生とどうつきあうか、という最後の主題が全面展開。(身体的)生として与えられた時間をいかに耐えるか、この生=時間をいかに耐えるか(あるいは共有するか?)パッションそしてコンパッション。とっても真面目。
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-18 20:16:12
    ところで、身体の時間は前に向かってすすまない、血液の流れ同様、むしろ回想的であり、循環的、これに想念が同調する。そしてやがて、それは止まる。想念=記憶は(血液のよゆに)循環するばかりで一カ所から離れない(のに)、ゆえに想念は 死を把握しきれない。分析できない。
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-18 20:21:01
    質もウマイヘタも問わずに言って、とりあえず、全体として、身体という、存在の耐えられないほどの 真面目さ、が露呈してしまう会であった。この真面目さは世間的なダンスとしては、重力そのもののように抵抗すべき鬱陶しいモノそのもの。
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-18 20:25:25
    最後の遠藤一郎さんだけには体ではなくイデオロギーを感じてしまった。〈未来〉という未だ訪れぬ対象にドキドキできるのはイデオロギーの働き以外にはないから。だがイデオロギーなどで身体が元気にならない今日この頃の風潮か。あえて未来の手前で空転しつづける体(それを芸にしているのかしら?)
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-18 20:37:06
    外的運動ではなく、こうした身体自体の循環的活動=生そのものこそを舞踊の哲学的基礎と考えたのがポール・ヴァレリー。しかし、彼はそこに一つ条件を加える。人間はこれらの生体機能を、生体維持のためにいかなる機能ももたないもとして用いることができ、関心をもつ(時間を費やす)ことができる。
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-18 20:40:13
    ということで運動は少なく、ときたま見える運動は空転しているばかりが目立つという印象。時間と空間に同調できず、ひたすら循環的に回想しつづける自己再帰的システムとしての身体。これをどうしましょうか。以上は全体の印象にすぎません。
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-18 20:45:45
    たしかに(こんな〈モンダイ〉に対するには)、〈踊りは無駄だ〉という説得力はありましたた。体が元気でも頭はユウウツってことがあり、体だけ元気になれば、ますますアタマの不安もユウウツも強化され、それでも元気に生きているというのが耐えられなくなる。
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-19 01:10:45
    あっ今日のチェルフィッチュ〈このまえ勤めていた会社〉は〈このまえ上演した舞台〉と当然いい替えられる。例えば〈その舞台は環境問題について語っている舞台だったわけですが仕分けで…)と。一般にチェルフィッチュの舞台は主語(主体)を(その場に則し)変換させることを要請し、そこで機能する。
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-19 01:12:35
    文章=言葉が役者で、文章=言葉が演技する。場によって転移し演技する言葉。比喩の力。
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-19 01:15:56
    飴屋さんの舞台には、ほんとうに、霊が降りてきていた。おどろいた。舞台というのはそもそもそういう場であった。と再確認させてくれた。
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-19 01:23:16
    ダンスというのは手持ちのフレーズの組み合わせに見えてしまうだけでつまらなくなる。フレーズの切り取り方(長さ)を見るだけで、具象(アナログ)的把握(慣習)と判明もしてしまう。フレーズとフレーズの切り方、結び方で挽回もできるが、重要なのはフレーズをもっと微分的に解体することでは?
  • おかざき乾じろ @kenjirookazaki 2010-07-19 01:30:12
    覚えている、使い古されたフレーズをいくら繋ぎあわせても何も生まれない(学校で習う、盆踊りやチアダンスにしかならない)。フレーズを分析する(構造化する)方法がないかぎり、それ(フレーズ)が依存する身体のべタな連続を強化するだけ。と素人ながら思う。

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