牧眞司の文学あれこれ その3

牧眞司の文学あれこれ2 http://togetter.com/li/326174 からの続きです。
書籍 ファンタジー 文学 SF
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牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
倉阪鬼一郎『怖い俳句』(幻冬舎新書)読了。そのタイトルどおり、さまざまな怖さを詠んだ俳句のアンソロジー。題材が怖いものもあれば、言葉の取りあわせや間合いみたいなことで怖くなるものもあり、また怖いのだかおかしいのだかわからないものもあって、いろいろ楽しめる。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
倉阪さんの解説がまた面白い。内容にきりりと踏みこんでいく怜悧な分析もあれば、怪奇小説家の面目躍如たる妄想力(逸脱をおそれぬ)による解釈もあり、韻律や表記(どんな漢字をあてるか、ひらがなやカタカナで記すか、など)に着目したアプローチもある。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
倉阪さんは自分の鑑賞を押しつけているのではなく、読者を対話に誘うように持ちだしている。こちらは頷いたり首を傾げたりツッコミを入れたりしながら、うまうまとハマっていく。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
それにしても、この本のまえに千野帽子『俳句いきなり入門』を読んでおいて良かった。とくに「切れ」の意味がわかっていると、俳句がいっそう楽しめるので。
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
筒井康隆『ビアンカ・オーバースタディ』(星界社)読了。雑誌掲載時には「筒井康隆がラノベを書いた!」と話題になったが、このひとはマジック・リアリズムでもヌーヴォー・ロマンでも私小説でもミステリでも、その方法論を飲みこんで挑戦する実験作家なので、それじたいは意外でもない。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
もちろん、できあがったものが面白いかどうかはまた別問題ですが。まあ、この作品については「こんなのラノベじゃない!」というむきもあるかもしれない。しかし、そう言ったとき、すでに筒井康隆の術中にハマってるのだけど。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
「あとがき」では、〔この本にはふたつの読みかたがある。通常のラノベとして読むエンタメの読みかた、そしてメタラノベとして読む文学的読みかたである。〕と明言している。この仕組みはいつもどおり。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
ただし、メタラノベと読むと、ちょっとあからさま。そこまでハッキリ書いちゃ、文学的読みかたの興をそぐのでは、と思った。そう思ったのだけど、いったん立ちどまって考え、ハッキリ書かないとわからないかもなあと思いなおした。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
つまり、ラノベを読みつけていない読者(忠実な筒井ファン)に対しては、ラノベの制度やジャンル性を可視化しなければならない。かたわら、ラノベ専業読者には、隠喩や語りの構造によって表現するといった手段は通用しない。
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
まさかと思うが『ビアンカ・オーバースタディ』の主人公ビアンカって、スタージョン「ビアンカの手」のビアンカに因んでいる……ということはないよなあ。筒井版のビアンカも、さかんに手をお使いになるわけですが。
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
マルカム・ラウリー『火山の下』(白水社)、だいぶ遅ればせながら読みました。いくつもの偶然が重なりあって、クライマックスの惨劇が起こる。だが、その偶然は賽の目を振って出たのではなく、歴史や因縁によって準備されていたとも言える。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
謎解きではないけれど、これは超絶ミステリだろう。装飾性のない『虚無への供物』というか。ただし『火山の下』は、個人の動機(感情という回路)など経由せず、この世の理不尽がそのまま惨劇につながる。
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
レーナ・クルーン、以前に邦訳された本(『ウンブラ/タイナロン』含めて3冊)は、どれもファンタスティックな要素があり、寓話的な語り口です。風変わりの小説が好きなひとはぜひ。
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
ファンタスティックな要素のあるフィンランド現代小説で、ぼくがほかに好きなのはヨハンナ・シニサロ『天使は森に消えた』(サンマーク出版)。面白いのにほかに言及しているひとがほとんどいない。なぜ。
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
ひとりの人間と、森林に棲む美しい人型のけものとの交流の物語ですよね。静かな官能性があって(性的なものというよりも体温の伝わりみたないかんじ)、不思議な読み心地でした。RT @thysh ヨハンナ・シニサロ『天使は森に消えた』は翻訳SF担当時代に出たので読んだけど、変な話だったなあ
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
ヨハンナ・シニサロ『天使は森に消えた』は、SFで言えば亜人類テーマと言える。このカテゴリでの有名作にはヴェルコール『人獣裁判』がある。伊藤典夫さんが褒めていたこともあり、SFファンにはすっかりお馴染みの古典。
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
亜人類テーマの文学作品で、ぼくが好きなのはアルベール・サンチェス・ピニョル『冷たい肌』。ホラー仕立てですが、グロテスクとなまめかしさが混淆していて、けっこう壮絶。ファーマー『恋人たち』にちょっと似ている。
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
レーモン・クノー『わが友ピエロ』(水声社)読了。なに、この面白さ! 旧訳版で2回読んでおり、こんかいこの新訳版を読んだのだけど、やっぱりこの作品は得体がしれない。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
それほど突飛な小説ではない。むしろ表面的にも内容的にもあんがい普通なのだが(すくなくとも幻想や奇想というのではない)、それでもやっぱりこんなのクノーにしか書けない。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
では「クノーらしさ」とはなんだろうと考える。ぼくにとって「クノーらしい」と感じることは、無条件な面白さなのだが、それを違った言葉で表現したり、分析的に論じたりするのはけっこうむずかしい。まあ、楽しく読めばそれでいいのだけど、その核心を取りだしてみたいじゃないですか。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
『わが友ピエロ』には、『サリー・マーラ全集』のような実験性は薄いし、『文体練習』の超絶言語遊技もあまりなく、『はまむぎ』に顕著だった破格の物語構成もそれほど顕著ではない。『地下鉄のザジ』に見られた祝祭性も、ここでは強くない。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
しかし、それらが皆無かというとそうでもなく、それぞれ微量成分のように潜んでいる。もしかすると、「クノーらしさ」は濃度で計れるものではなく、どんなにどんなに希釈しても同じように作用するのか。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
あるいは、分析的に論じると別々の要素や機構にみえる実験性・遊技性・独特の小説構成・祝祭性も、その根元はひとつなのかもしれない。クノーについてあれこれいうのは、おおきな象を撫でる行為なのかも。どう撫でても御利益がありそう。
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
デュレンマット『物理学者たち』(早稲田大学出版部)を読んだ。ぼくにとってデュレンマットは、今年になって発見し(正確に言うと、前に短篇を読んだことがある)、とたんに夢中になった作家。この本はずいぶん前に翻訳された戯曲集。 (続く
牧眞司(shinji maki) @ShindyMonkey
戯曲は読みつけていないのでちょっと不安だったが、ト書きで背景・小道具について、たんなる指定だけでなく、その必然性や意味合いが説明されているおかげで、ほとんど小説とおなじに読むことができた。 (続く
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コメント

伊藤正一 @awaroba 2013年3月15日
まとめを更新しました。