山本七平botまとめ/未だに誰なのか究明されていない”最大の戦争責任者”である「戦費支出の責任者」/~戦費を打ち切る事で戦争を終わらそうとしなかった帝国議会~

山本七平著『一下級将校の見た帝国陸軍』/統帥権・戦費・実力者/307頁以降より抜粋引用。 【1番目のツイートでは、引用元が『ある異常体験者の偏見』と書かれていますが、正しくは『一下級将校の見た帝国陸軍』からの引用でした。元のツイートが修正できないのでこの場を借りて訂正します。】
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山本七平bot @yamamoto7hei

①前略~政府も国民も、本当に「天皇の軍隊」を統制できず、軍だけが勝手に暴走したのであろうか。そうは言えない。戦争を行うには戦費が、軍を維持するには軍事費が不可欠である。<『ある異常体験者の偏見』

2012-08-29 19:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

②従って、議会が戦費いわゆる臨軍費(臨時軍事費)を否決すれば、軍は動けない。従って、国民が軍を支配するか軍が国民を支配するかは、「戦費の支配権」をどちらが握るかにあった。軍がこれを握れば、国民は文字通り、一方的収奪をうける被占領状態になる。

2012-08-29 19:57:48
山本七平bot @yamamoto7hei

③それは「終戦処理費」という名で占領費を一方的に負担させられた戦後と変らない状態だからである。明治人は明確な「戦費」という意識があった。それは主戦派にも非戦派にもあり、主戦派が戦費の確保に腐心すれば、非戦派は帝国議会における戦費の否決でこれに対応しようとした。

2012-08-29 20:30:16
山本七平bot @yamamoto7hei

④「非戦論」のゆえに内村鑑三、堺利彦とともに「万朝報」を辞した幸徳秋水は「平民新聞」に「嗚呼増税」という一文を発表している。

2012-08-29 23:58:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤【嗚呼『戦争の為め』てふ一語、有力なる麻酔剤なる哉……】につづく一文は、「戦争→戦費→議会の戦費可決→増税→民衆の苦しみ」を明確に図式的に示し、民衆の増税反対によって代議士を動かし、戦費否決から非戦へもっていこうとしている。

2012-08-30 00:27:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥ところが昭和になると、主戦・非戦両派とも、戦費という最も重要な問題に無関心なのである。ここに見える大きな差は、明治の日本は貧乏国であり、明治人は軍人といえども、明確に自国の貧乏を意識していたのに対して、昭和人には「世界三大列強の一つ」といった奇妙な「大国的錯覚」があった。

2012-08-30 00:57:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦従って国民は戦費という問題に不思議に関心が向かなかった。ベトナム戦争は結局、議会の戦費打ち切りで終った。だが日華事変では、軍が憂慮するほど厭戦気分が国内に充満しながら、臨時軍事費を打ち切ることによって戦争を終らそうという発想はどこにもなかった。

2012-08-30 01:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧一体この戦費は、だれの責任で支出したのか。その人間こそ最大の戦争責任者の一人だが、「戦費支出の戦争責任」は未だに究明されていない。国民は「勝った!勝った!」で目をくらまされていたが、軍は、戦費が自分たちの死命を制することを知っていた。

2012-08-30 03:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨そして、何も知らずに豊橋予備士官学校から帰隊した一見習上官の私に、上記の関係を、逆の立場から説明してくれる結果になったのが、皮肉なことに一青年将校であった。私はその瞬間、目から鱗が落ち、軍が何を恐れ、そのために何をやったかが、はじめてはっきりと見えたのである。

2012-08-30 03:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩満州事変から、いつ果てるとも知れず延々とつづく戦争、この出口の見えぬトンネルのような状態は、前述のように、実に強い厭戦気分を国民の中に醸成した。

2012-08-30 04:27:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪軍人が、何かがあれば「軍民離間は利敵行為」といって目を怒らし、陸海軍両省がすでに昭和八年に「軍部批判は軍民離間の行動」と声明したこと自体、軍と民が当時すでに離間していたことを自ら認めたにすぎない。

2012-08-30 04:57:46
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫ではもしこの批判が徐々に議会に反映し、議会が臨軍費を否決したらどうなる。軍の傀儡政府は議会を解散するであろうが、総選挙・新議会となって、その新議会がまた臨軍費を否決したらどうなる。終戦内閣か?もう一度2・26か?

2012-08-30 05:27:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬これが据傲な態度で国民を眸睨していた彼らが、常にその心底に抱いていながら、絶対口にしなかった恐怖であった。その恐怖を決定的にしたものは、2・26で、彼らはこの体験から、その時は天皇が自分たちの側に立ってくれないことを知っていたからである。

2012-08-30 05:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭だが、私がそれについて聞いたとき、彼らの恐怖はすでに去っていた。彼らはその事態に至らせぬため、あらゆる手段を使った。従ってその時には、骨を抜かれた議会、すなわち翼賛議会は、既にできていたのである。~後略

2012-08-30 06:27:49