岡和田晃氏:真夜中のヒロイックファンタジー講義 序説

文芸批評家、岡和田晃氏によるヒロイックファンタジーを一から識る為のヒロイックファンタジー文芸講義。
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岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【深夜のヒロイック・ファンタジー講義序説】ヒロイック・ファンタジーの面白さをなるべくアタマで理解してもらおうと簡単な講義を記憶でやります。10ポストくらい。細かなミスはご寛恕いただき、アウトラインを呑みこんでいただければと思います。

2010-07-20 02:45:55
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義序説2】まずはじめに、ヒロイック・ファンタジーとは、徹底した「反近代」の物語です。近代文学がもとにしている、テクノロジーのもとで変容する人間性、内面の軋轢、共同体内部の人間関係など……の一切を捨象するところからはじまります。

2010-07-20 02:47:32
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義序説3】L・スプレイグ・デ=キャンプは、こうした「反近代」の特徴に、一種の英雄願望の投影(「英雄になって美女と戯れたい」)を見たようですが、それは、半分しか正しくありません。また、70年代のHF評価の文脈、英雄なき時代に英雄を求めるというのも片手落ちな解釈です。

2010-07-20 02:49:29
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義序説4】それではHFの何を愉しむのかと言えば、これは簡単。状況のシミュレーションです。「近代」が十把一絡げに要約する「人間」というものを、限りなく裸の状態で放り投げ、そこから成長させること。すなわち、ビルドゥングス・ロマンの延長線上にある物語、それがHFです。

2010-07-20 02:50:41
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義序説5】同じ「反近代」でも、ゴシック小説とはおそらくこの点で異なります。HFは、読者に「主人公が見ている風景」を体感させることを主眼とします。HFの代表的な書き手は『コナン』のR・E・ハワードですが、ハワードの躍動感あふれる描写の意味すうところはこの「体感」にあります。

2010-07-20 02:52:37
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義序説6】ここで私が古代の英雄物語とHFを分けているのにお気づきでしょうか。もとは英雄物語は、神話や民話と同じく、世界の解釈の一つでした。HFはそのリアリティが失われているところから出発している。だからこそ、HFは近代的自我の分裂ではなく、自我の確立を描くのです。

2010-07-20 02:54:01
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義7】ここでの自我の確立は、例えばゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』とは異なって、社会におけ居場所の確保、を意味しません。代わりに、世界構造をラディカルに変容させることを目的とします。その意味で「ここで助けなければもう信じない」というコナン、神殺しのエルリックは正しい。

2010-07-20 02:55:48
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義8】また、HFは意図して定型をなぞっているわけではなく、その世界にありうべき、(その世界での一般的)社会構造とは別の世界認識を確保しようとするすべを描き、「成功」可能な道筋を提示するものです。ここを知らないと、パターンの繰り返しとなってしまいます。

2010-07-20 02:57:10
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義9】その意味でHFとは徹底してアナーキスティックな文学です。いわばアナーキズム(ダニエル・ゲラン)の実践と言ってもよい。このあたりを最も上手に形象化している作品は、たとえばジーン・ウルフの『独裁者の城塞』ではないかと思っています。

2010-07-20 02:58:34
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義10】その意味で、HFがもたらす躍動感というものは、絵画で言えば近代の英雄(ダヴィッドのナポレオン像)よりも、カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒの「山上の十字架」が描いたヴィジョンに実は近いわけです。ただ同時に、HFは本質的に群像劇です。

2010-07-20 03:00:36
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義11】確かに、スポットが当たる英雄はいますが、英雄だけでは始まらない。ファファード&グレイ・マウザーもそうですが、作品の運動性そのものは、群像劇的な軋轢から生じます。ですが、そこでのコンフリクトを協力するにせよ対峙するにせよ、破砕できることがHFの魅力です。

2010-07-20 03:02:35
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義12】こうした定型を、元も「語り」から距離を置いて可視化したのが、ロード・ダンセイニの「ヴェレランの剣」ではないかと思います。(ただ、「ヴェレランの剣」はあくまでも祖型作品なので、若干、英雄神話寄りになっていますが)。

2010-07-20 03:04:32
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF13】ともあれまとめると、HFのフィルターを通せば、今は失われた精神性、ケルト人ならケルト人の、三十年戦争の英雄ならば英雄が見た世界というものを、オリエンタリズム的な「偏見」と「羨望」の混交を通して獲得することができるというわけです。だからHFは単なるB級ではないのです。

2010-07-20 03:06:45
岡和田晃_Akira OKAWADA @orionaveugle

【HF講義序説終わり】ここで序説は終了。傍証が手薄で恐縮ですが、英語圏でも日本語でも三文小説とみなされがちな作品の中に思わぬ宝が宿ること、それには可能性があるということをおわかりいただければ幸いです。なお筆者の実作は「Lead&Read」Vol.1、3、5の連載を参照して下さい。

2010-07-20 03:10:45