14の夕べ パフォーマンスの入場料について

14の夕べ、手塚夏子さんの感想から端を発した、入場料についての議論だけ独立してまとめてみました。
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桜井圭介 @sakuraikeisuke

そこです!@kenjirookazaki 普段劇場でやっているものを幅広く、街角ならぬ美術館で市民に普及紹介活動などと見えてしまったら最悪(であれば無料はサービスでしかない)。ではなく、不在の美術品に変わって(見てる人にもよそ見している人にも媚びず、完結した強度を示してほしいと

2012-09-03 03:27:01
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@jpai2 @hanaco14 普段劇場でやっているものを幅広く、街角ならぬ美術館で市民に普及紹介活動などと見えてしまったら最悪(であれば無料はサービスでしかない)。ではなく、不在の美術品に変わって(見てる人にもよそ見している人にも媚びず、完結した強度を示してほしいと。

2012-09-03 03:22:41
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@jpai2 @hanaco14 ここは自由に歩き回れる、美術館である。(美術館の作品はそれぞれの空間時間を保持して自立完結していると前提されるゆえに)。この条件を無視して劇場や講堂と同形式(営業形態も含め)で組み立てられてしまえば、折角の可能性も引き出されぬまま齟齬もでてくる

2012-09-03 03:12:29
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@jpai2 @hanaco14 異なる上演形式(ジャンル出自のものを同じフォーマットに落込んだため出た問題という意見に賛成です。一方で劇場でなくあえて展覧会場という、完結した作品展示を前提にランダムアクセスに開放された、場の特性を形式として徹底し可能性を追求すべきだったのではと

2012-09-03 03:03:52
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@sakuraikeisuke ええダヴィンチのhttp://t.co/UodnGwOPにも大阪市長『観客集中できん、後のおばさんたち黒布、被せ〜』という?幼子イエスの行為が彼の自由意志とも現世の視線とも『無関係に』決定されてると分るゆえ、人は何度でもこの絵に吸引されるのに

2012-09-03 00:34:03
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@kenjirookazaki 例えばY・レイナーの「Torio A」の重要な点の一つに「観客と視線を合わせない」というルールがあるように(人は通常記録用映像で観るので忘れがちですが)、上演芸術には、上演の最中における観客との(無)関係が避けられません。まさに「演劇性」の問題。

2012-09-03 00:01:18
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@sakuraikeisuke @jpai2 たとえば(科学館とかに展示されている)、『フーコーの振り子』の運動のように。その運動が、入場料や客の反応などと関係ないから、かえって信頼できる質が保持されていると、子供でも大人でも了解できるように。

2012-09-02 23:29:41
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@sakuraikeisuke @jpai2 観客自身の反応、好き嫌いに関わらず、自律的基準で統御された質のモノあるいは行為が在ると了解できること。それが結局は、作品つまり固有の法で統御された別の空間時間が在るという観客の認知につながる、という考えです。

2012-09-02 23:25:58
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@sakuraikeisuke@hanaco14 @jpai2 最後に。僕は入場料に見合うかという基準の介入は作品の完結性(自律した質、形式)の確保を阻害すると考えます。一方で公開制作とは違う。公開制作(アトリエに仕事を見にいく?)は過程の提示に留まるだけで往々完結性を持ちえない

2012-09-02 23:22:43
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@jpai2 @hanaco14 @tororothecat また@jpai2さんのご教示のように今回シリーズの多くの公演で(公演として提示され客を客として規定する)時間枠空間枠にフレキシビリティがあったのならば、なぜ『お金を取るべき』という提案をなされたのか、理解しづらく

2012-09-02 22:44:15
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@jpai2 @hanaco14 @tororothecat しかしながら僕の基本的な見解は、こういう試みを美術館が(ホールではなく展示室で)定期的に(週1日か、2日くらいのペース?)で継続的にやってくれればなあ、ということです。その意味で今回の試みは大変素晴らしく、支持してます

2012-09-02 22:25:11
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@hanaco14 @jpai2 @tororothecat ちなみに僕が見に行ったのは、いままでのところ、まだ2回(2日)です。どちらにしても共通し、気づいたこと考えたことを書きました。前提として今回の試みが影響を受けたという9 evenings 以来の流れを踏まえています。

2012-09-02 18:18:58
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@hanaco14 @jpai2 @tororothecat (読んでいただければ明瞭にわかるはずですが、特定のパフォーマンスに対して語ってはいないつもりです。)もちろん14の夕べ という試み全体の仕組みから、考えたことについては語っています。

2012-09-02 18:11:35
桜井圭介 @sakuraikeisuke

「入場料」問題は、興行のあり方問題であると同時に、作家が観客のとの関係をどのように考えるのか問題でもあり、殊にこのイベントにおいては重要と思いますが。RT @hanaco14 http://t.co/QucPcsNX 感想のTweetをまとめ。「入場料」問題は省いてあります。

2012-09-02 15:41:55
桜井圭介 @sakuraikeisuke

え?そうだったの? “@jpai2: @kenjirookazaki @sakuraikeisuke 2人とも別のパフォーマンスのことを語っているはずなのに(手塚夏子と高嶋晋一)何故かお互い同じモノをみたかのように収束してしまっているのはおかしくないですか?

2012-09-01 23:09:49
桜井圭介 @sakuraikeisuke

たしかにそのようなものであったかもしれませんねあれは。@kenjirookazaki

2012-09-01 14:02:16
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

〈自分でも何やってんだか、判然としないから、客にみせて反応をみて、それが何であったか確かめるという実験〉、みたいなもんはもちろん論外。こんな「実験たりえないものを実験とよぶとはけしからん」。とビリー・クルーヴァーなら烈火のごとく怒るだろう。

2012-09-01 13:58:36
桜井圭介 @sakuraikeisuke

僕の見たところでは、作家は観客を是非とも前提、必要として(観客の意識への介入、揺さぶりとかではなく、普通のダンス上演の場合と同じ「応答」を求めて)あれを行ったと思います。@kenjirookazaki

2012-09-01 13:40:26
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@sakuraikeisuke 閉鎖された部屋で、なかば監禁された(出てもいいのだが)客の反応にこびようと(客を集中させようと)モチフダの芸をこれでもかと押し付けてくるのもあって嫌だったな。というのもあった。集中したくもないのに集中させようという仕組みはかえって客の反感を買う

2012-09-01 13:37:46
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

客がいようといまいと実験をおこない、わざわざ客席らしい客席をつくる必要もなかったのでは。また出演者はこの実験の場=自律的なルール(法)によって統御された場、をいかに設定、確保するかまで責任をもってやるべき@sakuraikeisuke

2012-09-01 13:27:32
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@kenjirookazaki でも、そうした実験のチェック機能として観客を必要とするのなら、逆にギャラを払って観客を募集しないといけないのでは?

2012-09-01 13:26:35
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@sakuraikeisuke 今回の問題はフレーミングにあると思います。つまり部屋に客を幽閉し、いわば不退転の覚悟で作品を見ろと強制してしまっているとこ。にもかかわらず例えば本日の公演はこれで終わり、という挨拶、指示を作家自らにさせ、この空間時間枠の画定(責任)が曖昧にされてる

2012-09-01 13:25:03
桜井圭介 @sakuraikeisuke

はい。@kenjirookazakiその実験が正当か否かは、その実験プロセス(行為、結果、判断までの過程の回路)が、その実験あるいは技術外の思惑評価などの曖昧な要素の介入影響なしに(いかなる利害関係からも離れ)自律的基準を保持し厳密に遂行されているかによって問われるものでしょう?

2012-09-01 13:22:11