丹生谷貴志ツイートまとめ(2012年9月)

丹生谷貴志氏の2012年9月分のツイートをまとめました。
人文 丹生谷貴志
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nibuya @cbfn
僕はSFの恒常的な読者ではないので、一年に数回何もかもに飽きた時?普段は行かない本屋に出かけて平積み辺りを買い漁って読み忘れるといった程度の読者に過ぎません。スペース・オペラ系は受けつけない。サーガ系も駄目。レム、ストルガツキー、ヴォネガット、ディック、バラードと、極く古典的です
nibuya @cbfn
「絶望」も「希望」も結局のところ構造的に似たようなものだから、絶望を語ろうとする小説も希望を語ろうとする小説も同じように退屈なものになる。
nibuya @cbfn
英国のメトロポリタン大学が留学生遮断命令だそうで、僕の職場にもちょっと関係あるので関連記事検索。まあ、留学に行くほどの最近の学生さんは金銭的セイフティネットは持っているのでその点は心配しない。さっそく中国系の「大学紹介屋」がニュースに映っている。つまらない話。
nibuya @cbfn
『クラウドアトラス』という映画の宣伝でデヴィッド・ミッチェルという英国人小説家がいることを知りました。一冊邦訳があって東京が舞台らしい。読んでませんしたぶんさしあたりは読まないでしょう。村上春樹+ジョン・レノンとかいう腹帯文句だけでおなか一杯?です。読まないで評価云々はしませんが
nibuya @cbfn
ネット連結で「全世界」がネットワーク状に連鎖した舞台となりそれに時間−歴史が交差して「全世界史」が連鎖したものとして捉えられる・・・学的にはウォーラステインのような人がいて、円城さんの『屍者の帝国』やミッチェルのような人の仕事もその同時代的「知の配置」の産物であることが分かる
nibuya @cbfn
ミッチェルが英国人で東京等を舞台にし、円城+伊藤さんが或いはギブソンやらが英国を舞台にし・・・要は「帝国主義」が時空を連結するネットワークの掌握と組み込みと入れ替えの産物かその逆かはともかく、急に「僕らの時代」の極小極大の紋切り型のパターンが透けて見えてきて、忽ち退屈する
nibuya @cbfn
ジュール・ヴェルヌの遺作が未来の「単一大陸化した世界」を舞台にした『永遠のアダム』という「ペシミスティックな」作品だったこと(邦訳はあるけれどべらぼうな値段がついている)。これも枕元に置いてあるけれど未だ読んでない。
nibuya @cbfn
詰まらない話。僕は基本的に朝型の人間なのですがここ数年完全に生活が夜型になってしまって、明らかに精神的におかしい・・・のは分かっているのですが、困ったことに一度そうなると体調とかしがらみで本に戻せないという悪循環。朝型の頃は午前中に片づけ仕事をして午後は「勉強!」とかだったのが、
nibuya @cbfn
それが崩れて片づけが、元から面倒くさがりに加算されて部屋が収拾つかないほど散らかる。本ばかりだから自分は未だゴミ屋敷だとは思っていないが、ひとから見ればゴミ屋敷でしょう。客観的に言って80%は要らない本なので、諦めて棄ててしまおうと思ってます。理想は本棚2台の本だけに縮小すること
nibuya @cbfn
てなことを書きゃあやらざるを得なくなるでしょう。東京に住んでいた頃は近所に焼却場があったのでそこに燃やしに行ったので簡単だったんですが今は箱詰めにしてもそれが部屋に積み重なるだけで何の解決にもならない。自分のせいなのに時々気が狂いそうになりますね。それでけっ飛ばしてまた散らかる
nibuya @cbfn
ほとんど自分の部屋でシーシュポス状態です。馬鹿らしいこと果てしない。
nibuya @cbfn
フォークナーの『寓話』(岩波)、以前書いたのと矛盾しますが、さすがにここでの阿部知二さんの翻訳は耐えるのがツライ。フォークナーの文体と阿部知二さん、全然体質的に合わないんじゃないかな。二百ページまで我慢してみたけれど、まったく集中力が保てないので、諦めて原書を注文。
nibuya @cbfn
信じる信じないは留保するとして、「宇宙人」とコンタクトしたことがあるという知人が、「その連中は地球を救いに来たと言っていたのだけれど、後で気づいたのは、彼らは一度として”地球人を生き抜かせる”とは言ってなかったんだよなあ」と言っていた。
nibuya @cbfn
カール・オルフは一般に『カルミナ・ブラーナ』くらいしか知られていない。彼にはオペラ『アンティゴネ』があり、そのリブレットはヘルダーリンの独訳。狂気の訳として有名だが、ドイツ語がわからない僕には、そこは何がどうなのか分からない。パゾリーニのギリシア物が好きな人は気に入るでしょう
nibuya @cbfn
『カルミナ・ブラーナ』初演の時だったかウェーベルンは券が買えずユダヤ人ということもあったのだろうか、劇場に入れずに劇場の壁に耳をつけて聴いたというエピソードがあったはず。何か感想めいた言葉は残しているのだろうか。光と大合唱団、打楽器を大規模化した曲、全曲は良くも悪くも壮大な・・・
nibuya @cbfn
もっとも今では序章部分だけがプロレスやら何やらに使われて、シュトラウスの『英雄の生涯』と同じで、全曲を聴く人はクラシック・ファンくらいしかいないか? 『カトゥーリ・カルミナ』と二部作を成して、ともかく・・・まあ・・・「中世賛歌」の秀作だとは思う。ヨッフムの盤が名演だった記憶がある
nibuya @cbfn
オルフ関連ではないが、黛俊郎『涅槃交響曲』はCDやらで聴くと、なんだかなあ、と思うけれど、実演で聴くと、ホール全体を梵鐘の響きの中に巻き込むという、黛さんらしい仕掛けはそれなりに成功していた記憶がある。驚かすことにかけては天才と、吉田秀和さんが評していたように記憶する
nibuya @cbfn
フォークナー『寓話』が読み続けられないことにちょっと挫折感がある。やはり無理して読み通すか、原書が届くのを待つか・・・ともかくフォークナーの長篇では一番人気のない小説で、フォークナー好きのフランスでも訳がないはず。
nibuya @cbfn
ヴィジュアルの時代?なのに、一方で画像版権がきついせいで二十世紀半ば以降の美術書を出すのにべらぼうに版権料がかかるためその関連の本が出せないという現状。ドゥルーズ『ベーコン論』の原書は美しい図版と連動する仕組みの本だが、かろうじて出た邦訳は・・・悲しい造本。
nibuya @cbfn
図版を入れると版権だけで投資が要求され、ただでさえ売れない美術書なのに価格は高くならざるをえない。結果、出版諦めた本は夥しい。美術ゴロで生きるのならともかく、美術批評でやって行くのは不可能に近くなる。現代美術批評の仕事の停滞は、才能が出て来ないのに加えて経済要因がある。ま、才能か
nibuya @cbfn
寓話』の原書が届く。アマゾンははやい、感心。阿部知二訳ですっきりしないところを見ると・・・まあ、ねえ、誤訳ではないけれど・・・翻訳・・・。例えば「祖国」と訳された一言にことさら「Fatherland」という単語が用いられていることを翻訳に反映させるのは難しいか?
nibuya @cbfn
ついでに、フォークナー読者には笑われるでしょうが、今ごろカウリーの『ポータブル・フォークナー』も買った。なるほど良く出来たアンソロジー、などと感心してしまう。
nibuya @cbfn
中上健次はフォークナーを原書で読みかけていたと思う。一度しか会ったことがないが、その時に『ヒュペーリオン』やらを原語で読めないのを残念がったりしていたから。中上さんはもうその時病院から抜け出して・・・の頃だった。翌年亡くなった
nibuya @cbfn
司馬遼太郎さんの本はあまり好んで読まないが(何万人も死んだ事件の指導者の英雄的苦労話を読むのはあまり楽しくない)、『空海のいる風景』だけは持っている。この、どこにでも遍在する空海という「怪人」・・・
nibuya @cbfn
さすがに(?)『龍馬が行く』は中学の時に読んだ。ずっと納得がいかなかったことがありそれについては大岡昇平さんの短い『龍馬殺し』の推理に一番納得している。簡単に言えば、暗殺の段階で龍馬はもう殆ど志士としては何の役割もない存在になっていたのになんで今ごろ暗殺されたのかということだった
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