茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第705回「政党よりも個人。イデオロギーのフォロワーには意味がない時代」

脳科学者・茂木健一郎さんの9月4日の連続ツイート。 本日は、今朝の朝日新聞の一面(左)記事を見て思ったこと。
コラム イデオロギー 政党 人物 せい 個人 茂木健一郎
2
茂木健一郎 @kenichiromogi
しゅりんくっ、ぷれいりーどっぐくん、おはよう!
茂木健一郎 @kenichiromogi
連続ツイート第705回をお送りします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、今朝の朝日新聞の一面(左)記事を見て思ったこと。
茂木健一郎 @kenichiromogi
せい(1)今朝の朝日新聞の一面(左)に、「混迷 選挙の顔探し 民主 細野氏擁立論広がる 自民 石原氏の知名度魅力」とあり、また、その下に「維新新党、党首は橋下氏」とある。次の衆議院選挙が近いとされる中、各党の党首選びが、政策の対立よりも重要視されるのが、昨今の日本の現状であろう。
茂木健一郎 @kenichiromogi
せい(2)かつて、東西冷戦を背景にしたイデオロギーの対立があった時には、「保守」と「革新」の政党間には、明確な考え方の違いがあった。しかし、冷戦が終結し、思想的違いといっても、自由主義や社会民主主義かというような論点しかなくなった今、政党よりも個人が立つ時代になっている。
茂木健一郎 @kenichiromogi
せい(3)自民党が長期政権を担っていた時代、首相選びは政治信条よりも、「人物本位」であった。「派閥」が、日本の政治の前近代性の象徴として批判されることもあった。しかし、時代がめぐり、政策上の対立よりも、「人物」が重要視されるようになったのは、一つの必然であると言える。
茂木健一郎 @kenichiromogi
せい(4)もともと、イデオロギーには生成と追随の間に非対称性がある。ある考え方を生み出せる人と、それを単にフォローするだけの人の間には、資質や能力の差が大きい。あるイデオロギーに共鳴して集結してくる人は、そのイデオロギーを生み出したパッションに比べ、温度が下がる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
せい(5)だからこそ、ある特定の政策の下に集結した集団は、案外つまらない。その言い出しっぺ以外は、あまり機知のない人たちだからである。してみると、政策やイデオロギーでまとまった政党という存在は、洋の東西をとわず、本当は「芯を食っていない」かりそめのあり方なのかもしれぬ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
せい(6)そもそも、現代の政治において必要な複雑で多様な判断を、あらかじめイデオロギーや政策で書いておくことはできぬ。民主党政権が誕生したときに、まさか震災復興や原発政策が最優先の課題になるとは思わなかったろう。そんな時に頼りになるのはイデオロギーよりも人物。暗黙知の領域となる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
せい(7)政党よりも、個人の時代。別の言い方をすれば、ある政党の魅力は、その政党がどのような個人をそろえているか、という総合力に尽きる。だから、次回の衆議院選挙は、各政党による、魅力的な選挙の「顔」のポルトフォリオそろえのコンテストとなろう。党首がポルトフォリオの中心にいる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
せい(8)大阪維新の会にとっての鍵は、橋下徹さん以外の「顔」をどのようにそろえるかということだろう。さらに、その政策、思想の浸透度が、党首の知名度に比べるとまだ足りない。自民党は谷垣さんでは持たない。民主党は負け戦で、次期党首は敗戦処理。いずれにせよ、政党対立よりも個人競争。
茂木健一郎 @kenichiromogi
せい(9)もちろん、イデオロギーや政治思想が無意味になるということではない。魅力的で、存在感のある個人が意見を闘わせる中で、次の時代の日本のあり方、世界のあり方は自然に見えてくるだろう。前提として必要なのは、強靱な精神。新時代を切り開くのは、思想のフォロワーよりも混沌の個人だ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート第705回「政党よりも個人。イデオロギーのフォロワーには意味がない時代」でした。

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする