暗落亭苦来の怪談噺「猿の眼」(原作:岡本綺堂)
皆様残暑厳しき折、ようこそお運びいただきました。あつく御礼・・・あ、あつくでは暑苦しいのでクール御礼申し上げます。暗落亭苦来でございます。しばらくの間おつきあいの程を・・・(一礼)
2012-08-26 22:38:18ほんとに暑いですねえ。この寄席もなんだか節電モードだそうで皆様にはご迷惑をおかけいたしまして。あ、わたくしは昨日からなにやらエスキモーの霊がこの肩に乗っておりましてヒエヒエなんでございます。ええ、なんでもその霊の名前を訊いたら「ピノ」だそうでございまして(笑)
2012-08-26 22:44:46あ、ピノですがうちの寄席の売店にも売ってございますので皆様お帰りの際は是非お買い求めを。まピノはさておき、わたくし生来霊感の方がアレでございまして、いわゆる霊能者さんともおつきあいがあるんでございますが、先日ある霊能者さんのお宅に遊びに参りましてね。
2012-08-26 22:51:24でおしゃべりの中で例のハトポッポ、ええ前総理の。あの方の守護霊ってどんな霊なの?という話になりましたらその霊能者さん曰く。「勘弁して下さい。金星までの往復運賃高いんで勘弁して下さい」・・・といわれまして。ええ。つまり守護霊を呼ぶのにもアゴアシ代かかるから大変なんだと。
2012-08-26 22:58:34へー(笑)。まあわたくしもツッコミは控えましたんですけどね。金星ねえ。で「じゃあお金のかからない方向で」と提案いたしましたら「それは簡単。yukiobotをフォローしなさい」と言われました。お断りします(°ω°)。
2012-08-26 23:09:32さて・・・。あの「新耳袋」でございますとか実話怪談がブームでございますけれども、怪談ブームと申しますのは古くは江戸時代から何度もございまして、戦前の大正時代あたりにも大ブームがあったそうでございます。物好きなお金持ちとか文人が百物語のような怪談の会を催しましてね、
2012-08-26 23:16:15集うた人たちから各々体験した実話怪談を聞く。今からお話申し上げますのはそうした怪談の会の中で、とある幕末にお生まれの一人のご婦人が語った怪談の一幕・・・題しまして「猿の眼」というお噺。皆様しばらくご静聴頂ければ幸いと存じます・・・(一礼)。
2012-08-26 23:22:15・・・わたくしは文久元年酉年の生まれでございますから当年は六十五になります。江戸が瓦解・・・今は維新でございますね、維新の年がわたしが八つの時でございまして、吉原の切り解きが十二の冬のことでございました。切り解きと申しますのは今で言う娼妓解放でございまして、それはもう・・・
2012-08-26 23:34:04本当に大変な大騒ぎでございまして、あの華やかな吉原の郭が一晩に型なしになってしまいました。お恥ずかしいようでございますがわたくしの生家は代々郭で引手茶屋を営んでおりました。引手茶屋とはお若い方にはお判りにならないかもしれませんが、まあ花魁、女郎さんとお客との仲介をいたす商いで
2012-08-26 23:39:44ございます。わたくしの父はそうした商いですからずいぶんと文人墨客といった方々ともお付き合いがございまして、自分でも俳句をひねる素人宗匠でございました。さて、切り解きでいよいよ吉原の郭がなくなる、という話になりましてさしも呑気なうちの一家にも火の手が廻ってまいります。
2012-08-26 23:49:20これはもういけない、商いは立ち行かないということで幸い田町と今戸に五、六軒の貸家を持っておりましたのでそちらからの収入を頼りにして吉原を引き払う事となりました。父はそういった道楽から書画骨董の類もずいぶんと蓄えていたのですが、そういう際ですのでその大部分を思い切りよく
2012-08-26 23:57:48売り払ってしまうことにしたのですが、その仕分けを幼いわたくしも面白くて手伝っておりますと品々の中にひとつ、木彫りの猿のお仮面がございました。
2012-08-27 00:01:50このお仮面は前の年の明治四年の暮れに、わたくしが父に手を引かれて上野の広小路に買い物に出かけました時に父が買い求めたものでございます。その時のことを不思議によく覚えているのですが、広小路の路端に薄い筵(むしろ)を敷いて、歳の頃は四、五十のみすぼらしいみなりをなさった、
2012-08-27 01:04:16ひと目で没落された士族さんと分かる男の人が座って膝の前にいくつか品物を並べておられました。父がその前に足を止めたのでわたくしも見ますと、男の人の傍らにちょうどわたくしと同じ年頃の男の児が並んで座って、肌寒気な薄い袷(あわせ)の膝に手を置いてじっと頭を垂れておりました。
2012-08-27 01:10:48父と一緒にわたくしもその並んだ品々を眺めておりますと、ふと父がその中から一つ、いかにも古びた猿のお仮面を手に取りまして仔細に見ております。むろん子供のわたくしにはその良し悪しなどは判りませんが、父はそれを気に入ったらしく「これはお払いになるのでございますか」とその士族さんに
2012-08-27 01:18:29問いかけました。士族さんがどうぞお求め下さい、と応えたので父が値を尋ねますと、いえいくらでも結構でございます、とお応えになる。まことにいわゆる「士族の商法」でございましょうか。で父はそのお仮面をずいぶんと高い値で買うことに決めまして、さて士族さんに品の由来を尋ねますと
2012-08-27 01:25:06、「それがしにもよく分からないのです。ご覧の通り零落いたしまして家中の物をそれからそれへと売り払ううちに、古長持の底から出て参った物で。箱もないので由来も値打ちも、そもそもいつから当家にあったものかも判然とせぬ次第で・・・」とおぼつかなげにお答えになるのでした。
2012-08-27 01:32:24「なるほど。箱はありませんでしたか」と父が問うと「ええ、ただ布にくるんでありました。で開けた時にこの眼のところを丁度目隠しするように布切れで縛ってあったのですが、何の理由かは判りません」とその士族さんはお答えになりました。そのやりとりの間、傍らに座った男の児はずっと眼を伏せたまま
2012-08-27 01:41:33ひと言も口を開きませんでした。事によると同い年くらいの、しかも町人の娘のわたくしなどにじろじろ見られて気恥ずかしかったのかもしれません。で、この度家を引き払うことになって書画骨董類を整理している時に、父はその猿の仮面をなぜだか「残しておく方」に分けました。後年父に尋ねましたら
2012-08-27 01:53:17「なんであの面を残しておく気になったのか今でもよく分からない。買って帰って見たら大した品でもないし、ああ高い買い物をした、と思ったのに」と首をひねっておりましたっけ。
2012-08-27 01:58:11とにかくそうした訳で、わたくし共一家は明治六年の四月にいよいよ吉原を引き払って今戸の新しい家に移り住みました。今度の家は小さくても四畳半の離れ屋がございまして、父は窓から隅田川の見渡せるその部屋に机を据えて俳句三昧の生活を始めました。例の猿の仮面はその部屋の床の間の
2012-08-27 20:26:42そうして暫くは引越しやらの様々な煩事はさておき、まずまず我が家は平穏に新生活を始めたわけでございます。父へは以前の付き合いから尋ねてくるお知り合いの方が沢山おり、また宗匠の披露も済ませていたので俳句仲間やお弟子志望の若い方たちもひっきりなしに訪れられて、知らぬ土地に移った寂しさも
2012-08-27 20:34:27紛らわされていたのですが、母もわたくしもそうした慌ただしい日々を送っている中で、こんな事件が出来いたしたのでございます。
2012-08-27 20:38:11ある晩のこと、その日は父のお弟子の一人で井田さんという、これは四谷の質屋の息子さんですが、その方が夕方からお見えになって父と俳句談義に耽っているうちに夕飯時になって御膳を出す、そうこうしている内に夜も更け、おまけに雨が強く降って参りました。まだ電車も自動車もない時分でしたので
2012-08-27 20:45:05