美学校特別講座「中ザワヒデキ文献研究番外篇」第五回
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”*5b1 この時期の日本の作家のレリーフへの興味には、1981年に作風を激変させたフランク・ステラの影響もあったかもしれません。” #番外
2012-09-05 19:34:14”またペインティングやドローイングがカンバスを離れたところでも展開されたのは、キース・ヘリングやジャン・ミシェル・バスキアほか、ニューヨーク・グラフィティの影響もあったかもしれません。” #番外
2012-09-05 19:34:29”*5b2 当時「バッド・ペインティング」という言い回しがあったことから、「バッド」な具象イメージという言い方としました。1970年代のモダニズムの視点からは、具象イメージがそれ自体退歩的な悪しきものだったからです。” #番外
2012-09-05 19:34:55”さらには、当時出現した具象イメージのほとんどが、写実主義的なうまさでなく表現主義的なヘタさを醸し出していたことも、「バッド」と冠されたゆえんでした。反対に1980年代のポストモダニズムの視点からは、「バッド」はほめ言葉ということになります。*5b3 参照。” #番外
2012-09-05 19:35:35”東京の銀座や神田の貸画廊で開催された1981年の「ハッピーアート」展、「ニューペインテッド・レリーフ」展、1982年の「現代美術の最前線」展等、Bゼミスクールの作家を中心としたグループ展にこの傾向が目立ちました。” #番外
2012-09-05 19:36:01”天野博之、山倉研志、荻野裕政ら若手男性作家のほかに、「超少女」としては吉澤美香、前本彰子、菅野由美子、矢野美智子、平林薫、安田奈緒子らが登場しました。” #番外
2012-09-05 19:36:17中ザワ「小杉さんも美学校の講師だったんですね。ハイレッドセンターにも関わっていますし美学校という感じはするかもしれません」 (live at http://t.co/bE8tCWRk)
2012-09-05 19:41:40”あからさまな具象イメージは用いずに、前時代のもの派やポストもの派から重厚さを差し引いた立体もしくはインスタレーションで、岡崎乾二郎、川俣正、池ケ谷肇、加茂博、黒川弘毅、千崎千恵夫、橘田尚之らです。” #番外
2012-09-05 19:42:18”前述の傾向とこの傾向は、横浜市民ギャラリーの「今日の作家展」や原美術館の「ハラ・アニュアル」、あるいは峯村敏明が主宰した「平行芸術展」等のシリーズ展で積極的に紹介されました。” #番外
2012-09-05 19:42:30”さらには世界的な「絵画への回帰」の一環として、西洋の「バッド」な具象絵画動向に呼応した新表現主義絵画が*5b3、日本の画家のカンバス上にも現れました。” #番外
2012-09-05 19:43:37”*5b3 西洋の「バッド」な具象絵画動向としては、米国のニュー・ペインティング、イタリアのトランス・アヴァングァルディア、ドイツのノイエ・エクスプレッショニズム、フランスの自由具象派等が挙げられます。”
2012-09-05 19:43:54”これを必ずしもカンバス絵画に限らない「ニューウェーブ」とみなすならば、日本のニューウェーブは、ジャンルとしてのインスタレーションと新表現主義絵画、ならびに5cで述べる反イラストとして現れたと考えることが可能です。”
2012-09-05 19:45:12”ロンドンの「ラディカル・イラストレーション」のグループと親交のあった大竹伸朗は(私の記憶では)「100号の大作を3分で描いたっていいじゃないか」と言って大量の具象画を発表し始め、1960年代からサブカルチャー・シーンを牽引していたデザイナーの横尾忠則は、(つづく”
2012-09-05 19:46:53”国内外のこの動向を擁護した伊東順二著「現在美術」(パルコ出版刊)は美術界を超えて広く読まれましたが、美術界内部の評論家の多くは新表現主義自体をキッチュとして糾弾するか、(つづく” #番外
2012-09-05 19:47:42”つづき)日本におけるそれは欧米追随であると非難するか、あるいは大竹伸朗の作品が宣伝広告に使われたり横尾忠則がデザイナー出身だったりしたことから、これらを商業美術という外部であるとして無視しました*5b4。” #番外
2012-09-05 19:48:05