インチキ自己肯定とその克服について
インチキ自己肯定ってのはざっくり言うと、自分のネガティブ(ダメ)な部分を受け入れることができなくて、それをスルーしつつ、表層的な様相・振る舞いを通して、ポジティブな側面について言及していくこと。
2012-09-10 13:24:48これが総じてくると、自分の本心と自己言及のギャップが開いていって苦しくなってくる。大概のインチキ自己肯定は男性的なものらしいけど、女性の場合はネガに沈殿していって、自己否定の心の穴が空いてしまう。そしてそれを埋めたくて性愛を求めるケースが多い。
2012-09-10 13:25:11インチキ自己肯定者と心の穴が空いた女性(≒メンヘラ)は互いの穴やギャップを埋め合うのでベストカップルです。ここまで二村ヒトシさんの『恋とセックスで幸せになる秘密』の内容のざっくりしたまとめ。(多少解釈が違っていたらすみません)
2012-09-10 13:25:28インチキ自己肯定者というのは、現実を直視するのを回避し続けるので大言壮語や三段階飛びでの成功を目指してしまうように思われる。そうした「大きな夢/偽の夢」を情熱的に語る姿に引き込まれてしまう人もいる。
2012-09-10 13:25:47インチキ自己肯定者=ヤリチンという設定が書籍ではなされているけど、ヤリチンにもインチキヤリチンと正統なヤリチンとがいるような気がしてる。とくに分析はしない…。直感的に思ったことなんで…。
2012-09-10 13:26:14インチキ自己肯定でも性愛を求めてしまう女性も、ちょっと歯車が掛け違うと一気に谷底に落ちる可能性がある。それを描いているのが『ウシジマくん』だと思った。
2012-09-10 13:26:30このあたりの関連書で順番に読んでいった方がいいな、と思うものを並べてみる。漫画でわかりやすいのでまず『ウシジマくん』から、次に『恋とセックスで…』を読んで、概念的な理解を深める。そしてもう一度ざっと『ウシジマくん』を眺めてみる。すると、両者の関連性の深さに気づかされる。
2012-09-10 13:26:49で、本当はその後に『プラトニック・アニマル』か『依存したがる人々』(本橋信宏さん著、ちくま文庫)を挟むと、より「では、どうしたらよいのか」という疑問が強くわき上がってくると思うけど、入手が大変だったりするので省略しても可です。
2012-09-10 13:27:12それで最終的にはこの本を読むしかないと思う。岩井寛先生の『森田療法』(講談社現代新書、こちらも入手大変?)。内容はちょっと専門的なところもあるけど、大胆にそんなところは飛ばして、自分にひっかかる部分だけ何回も読めば良いと思う。
2012-09-10 13:27:58整理すると、『ウシジマ』→『恋とセックス』→『ウシジマ』(→『プラトニック・アニマル』/『依存したがる人々』)→『森田療法』。大体において本のセレクトと配列はこれであってると思う。 (もちろん好きに読めば良いと思うんだけど(笑))
2012-09-10 13:28:39もう一つ角度を変えて見ると、この社会というか世間というのは、インチキ自己肯定者と心の穴の空いた女性をとても必要としているということが見えてくる。なぜならお金になるから。お金が回るから。
2012-09-10 13:28:54森田療法的(この療法はセルフケアで使えるとても優れたものだ)によって、本当の自己肯定、つまりダメな自分であってもOK。それでも、「あるがまま」で、生きたことに意味を持ってやっていきましょうか。ということがデフォルトになってしまうと…(続く)
2012-09-10 13:29:54まず競争は発生しなくなるし、オチこぼれや劣等生というものが存在しなくなっていまう。そうすると序列を作るのが難しくなる。序列があるからこそ、欲が出てきて上に行こうと(借金または過度の労働)したり、もっと多く所有したり、妬みそねみが浮き上がってくる。対して…(続)
2012-09-10 13:30:42序列関係ねーし、という人ばっかりになってしまうと、一面的な管理がとてもしづらくなると思う。エステもホストもキャバクラもエセセラピーも宗教も外車もマンションも就活も偏差値もぜんぶ、このインチキ自己肯定と心の穴があるから、商売として成り立っているんだな…と。
2012-09-10 13:31:33そういう意味でも森田療法は破壊的な所がある。でもメジャーにはなれない。なぜなら、社会(世間)ではインチキ自己肯定を奨励しているから。
2012-09-10 13:31:48借金しながら毎日パチンコいく人もいるし、それでその人が幸せならいいんだろうけど、人生に意味を求めるかどうか、という選択において、その生き方は意味を求めるのを止めてしまった生き方だろうと思う。ただいつでも意味を求めはじめることもできる。
2012-09-10 13:35:20どんな意味が「意味あるのか」なんて、もはや他人が問いかけるべき問いではない。その人が意味を込めさえすればいいだけ。そこでは意味のある人生/ない人生という対比や序列は存在しない。あくまで自分の問題として、ということ。
2012-09-10 13:36:31昨日から岩井寛先生の『森田療法』のまえがきとあとがきだけを何回も読んでる。読むたび涙がこぼれる。そろそろ本文に入らなきゃ、と思うんだけど何回も同じところを読み返してしまう。生を賭けた文章って凄まじい。たとえ表現が穏やかであっても。
2012-09-05 09:04:14岩井寛先生が繰り返した言葉。「生きることの自由とは、意味の実現に賭けることなんです」。周りがどうとか、評価がどうとかではなく、自分自身がそこに存在すること(または行為)に意味を見いだせるかどうかがすべてなんだ、と熱く熱く伝わってくる。
2012-09-05 11:39:07そして、意味を見いだせるかどうか、はまたどの人にも平等に提示されていて、僕らはそれを 選択する自由がある。それが生きることの自由。常に選べる。でも気づかないで、選ばないまま過ごしつつ問題を抱えてしまうこともある。それでもそれを受け入れて進むことで意味を見いだすこともできる。
2012-09-05 11:41:00