田中功起氏の考える批評の定義と動機

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田中功起 koki tanaka @kktnk

批評って、その対象の構造を徹底して記述することで、その対象がなんであるのかを明るみに出すことだと思う。そうこれって @oqoom さんの考え方を援用。そしてその明るみに出されたものが自分の趣味に合わなくともそう書くことこそが批評的態度であり、それは必ずしも批判ではないと思う。

2010-07-22 17:22:56
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

@kktnk 批評についてのツイート、ほとんど同意、なのですが。ちょっとひっかかったのは、批評がそうであるのが正しいとして、それを行う動機ってなんなのだろうかと。

2010-07-22 18:17:55
田中功起 koki tanaka @kktnk

@kachifu 批評の動機。たとえば批評家になる動機ってあるんでしょうか。作家が批評を書く場合は、制作の過程や興味の範囲の中で自ずと気づいたり、見えてくることがあるから、知ってしまった一人としての責任として書く。その行為がいつの間にか連続していく。

2010-07-22 18:29:10
田中功起 koki tanaka @kktnk

@kachifu なので積極的に批評家になるというよりはたぶん、いつの間にかなってしまうもの。批評も、たぶん、積極的な行為というよりは、その逆かもしれない。論理的な分析の徹底化が批評(対象の構造の開示)になってしまう。だから構造の弱点のみでなく、良さも見い出すんだと思います。

2010-07-22 18:34:55
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

@kktnk リプライありがとう。すみません。来客があって質問書いてる途中で。。そう、制作者が「批評」を行うことは自分のためなのでよくわかるのです。それ+教育の場+純粋な興味以外で奥村+田中的意味の批評を行う動機ってなんだろうかな、と思って聞いてみたのでした。

2010-07-22 19:40:14
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

@kktnk なのでいつの間にかなってしまう、っていう回答で腑におちました。つまり目的ではなく興味の結果である、ということですよね。

2010-07-22 19:44:22
田中功起 koki tanaka @kktnk

@kachifu ところで、@oqoom さんはどう思っているだろうか。なんとなくなってしまう、っていうんじゃあまりにもかもですね。いわば帰納的に批評になる。でも自分のことでいえば、僕の書いているものは批評なんでしょうか。>批評の動機

2010-07-23 11:15:17
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

@kktnk @kachifu ぼくもちょっと考えてみます。岡崎さんのを読みなおさないと。

2010-07-23 11:29:52
田中功起 koki tanaka @kktnk

@oqoom @kachifu ちょっと参考までに岡崎さんのツイートをまとめました。@kenjirookazaki さん、勝手にすみません。RT 批評についてのまとめ http://togetter.com/li/37210

2010-07-23 11:37:14
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

@kktnk まとめありがとう。助かります!

2010-07-23 11:42:22
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

ええと、時間が経ってしまいましたが批評話の補足です。ぼくが「批評の動機」なんて質問をしたのは、こんな記事の記憶が僕の中にはありまして。『座談会ー批評の危機をめぐって 藤枝晃雄、谷川渥、岡崎乾二郎 掲載:「みづゑ」No.956 1990』@oqoom @kktnk

2010-07-24 10:56:42
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

岡崎「僕のいいたいのはモダニズム、当然そこに内属するフォーマリズムも含めて、価値判断の根拠においていた<芸術の自律性>というモラルはもう有効性を失っているというか、空転しているんじゃないかってことなんです。」@oqoom @kktnk

2010-07-24 10:58:17
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

(つづき)だから批評がそれに代わるような拠点を構築しうるかっていうのが、まず問題になるはずなんです。 谷川 「つまり、文脈抜きの価値判断の問題ですか。」 @oqoom @kktnk

2010-07-24 10:59:01
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

岡崎「ええ、文脈なしの価値判断っていうのが極限化したのがフォーマリズムだったわけでしょう。中途半端な哲学論議は、あいかわらず<芸術の自律性>と同じような、絶対的に自由な点みたいなものを知らずに設定してしまいますね。(つづく) @oqoom @kktnk

2010-07-24 10:59:53
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

(つづき)無重力な磁場みたいな。もうこりごりですね。そういう夢ものがたりは。」@oqoom @kktnk

2010-07-24 11:00:50
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

上記箇所、僕の中でことあるごとに思い起こされるんですよね。ここのことを考えはじめると、主体なしの発話および思考が可能か、戦略なしの批評はあるのか、なんてことに思いが至ります。 @oqoom @kktnk

2010-07-24 11:06:32
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

まあ、あの座談会での岡崎さんは藤枝さんへの反発もあったようにも読めるのですけれど、これが僕のあの質問の背景でした、というおはなしです。 @oqoom @kktnk

2010-07-24 11:08:51
田中功起 koki tanaka @kktnk

たとえば批評=テキストから少し離れて、批評的な視点について考えてみます。その領域が持っている問題点はインサイダーがよく分かっていることです。内部にいながらその問題を突く。岡崎さんの言っているアレロパシー。(続く) @kachifu @oqoom

2010-07-25 04:32:43
田中功起 koki tanaka @kktnk

ツイッターを道具としてそこに内容をのせてこのように話すのではなく、ツイッターそのものを破壊するツイートをする。ものすごいいきおいで無駄ツイートを流しまくるとか。だれかのTLを占拠する。(続く) @kachifu @oqoom

2010-07-25 04:33:13
田中功起 koki tanaka @kktnk

絵画や映像、それこそ陶芸でもいいけど、それを内破するぎりぎりの場所に立つことがたぶん批評的であること。構造分析の徹底化はその場を瓦解させる可能性がある。(続)@kachifu @oqoom

2010-07-25 04:33:48
田中功起 koki tanaka @kktnk

それにぼくらは画(家)や映像(作家)や陶芸(家)を先に設定してなるんじゃなく、あくまで曖昧なアートという名前でひとまずはがまんするしかないのは、制作(特殊)が先にあり、それが外部によってジャンル(一般)として名指されるものだから。@kachifu @oqoom

2010-07-25 04:33:53
田中功起 koki tanaka @kktnk

帰納的に名づけると「アーティスト」の別名は「批評家」かもしれないですよね。で、個人の話に戻ると、ぼくが書いているものは批評というには曖昧すぎるように思います。(続)@kachifu @oqoom

2010-07-25 04:34:00
田中功起 koki tanaka @kktnk

青木さんや木村さんについて書いたものは制作プロセスへの興味だし。ART iTは疑問出し。いずれも明確な範囲を持たない。ただ、ぼくが目指すのは複数の道筋や別の領域への接続可能性を残すこと。@kachifu @oqoom

2010-07-25 04:34:08
田中功起 koki tanaka @kktnk

なのでぼくには「書くこと」の動機はあるけど、「批評の動機」ではないと思う。先の話につなげて「批評の動機」はむしろ制作の動機につながるように思います。ちょっと書きすぎですね。。。@kachifu @oqoom

2010-07-25 04:34:15
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

.@kktnk いまだ、どこにも属さぬ『わたしはできる』、動機というと、この映画『鏡』を思いだします。http://bit.ly/cnQadd 『わたしは話すことができる!』

2010-07-25 07:46:44