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君主としての劉禅の評価

タイトルどうりです
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おりた @toronei

孔明に全部お任せした時代の劉禅は名君()。RT @sweets_street: ヤクザの場合は若頭が事実上の経営責任者だからうまくいってます RT @murajidash 皇帝側の取り巻きも自分の権力失う事恐れて皇太子の悪口吹き込みますしね。日本のヤクザの若頭と若頭補佐が前代引退

2012-09-10 09:22:11
MURAJI @murajidash

@toronei @sweets_street 劉禅は色々と悪く言われますけど、優秀な部下の権限はっきりさせて委任させてますし、同時代の呉や晋とかの君主と比べたら良過ぎです

2012-09-10 12:43:23
お菓子っ子 @sweets_street

「有能な部下の邪魔をしない」ってだけで名君といって良いですよ。本当の暗君は変な部下を登用したりしますんで RT @murajidash @toronei 劉禅は色々と悪く言われますけど、優秀な部下の権限はっきりさせて委任させてますし、同時代の呉や晋とかの君主と比べたら良過ぎです

2012-09-10 12:55:36
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 概ね及第点はあげられると思うけど名君とまではどうかなあ。蜀の景耀四年(261年)に呉の薛珝が使者で蜀を訪れて帰った後の報告で「陛下。蜀の政治、やばいっす」って言ってるから。

2012-09-10 17:50:01
お菓子っ子 @sweets_street

@nisekuro_at @murajidash @toronei 40年の治世でずっと名君やってられたら、名君どころか神君の領域です。長期政権では自制心を維持するのが一番むずかしいですよ

2012-09-10 17:54:41
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 俺は陳寿の評以上の評価は無いと思ってる。残されたエピソードからは当時の君主の中では非常に素直な性格だったことが窺われ、それが「名君たりうるのでは?」と思わせる資質を持たせてたのは確かだけど。

2012-09-10 18:06:20
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei しかし261年に呉の薛珝が蜀から帰って自分のところの皇帝に報告してるように蜀の政治が乱れてたとするなら。どの点を名君とするか評価の仕方は色々あるだろうけれど、成否はどうあれ悪化する状況を手直す手を打てたか

2012-09-10 18:10:33
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei そういう所を考えると桓帝などは名君かどうかの俎上に乗せられるだろうけれど、劉禅は良君とできても名君とまではいかんのじゃないか? ただ、人臣には恵まれてたよね。劉備や諸葛亮の残したものをよく活かしてた。

2012-09-10 18:14:52
お菓子っ子 @sweets_street

@nisekuro_at @murajidash @toronei 陳寿の評価は治世末期の弛緩と蜀の滅亡という結果から導き出した結果論にすぎない気がしますね。治世が20年程度なら良君と思いますが、40年なら戦時体制なのに国内を比較的平穏に保てただけで名君の資格ありと思うのです

2012-09-10 18:18:08
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 劉備没時には劉禅は政治を取れるようなものではなく、劉備の遺訓のまま諸葛亮に国政を委任してるから諸葛亮時代は確かに劉禅の治世下だけど劉禅の名君期間というのに入れるのはどうだろう。寧ろ評価すべきは諸葛亮没時から

2012-09-10 18:43:04
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 劉禅の政治的な判断が優れてたのは諸葛亮死後に彼の後継者たちが権を争う状況が生じた際に既定路線通り蒋琬を後継として臨時体制を立ち上げさせ、それからそのまま蒋琬体制への流れを決めた所。

2012-09-10 18:43:31
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei あの時点の判断の誤りは亡国に直結する事態だったから「蒋琬でいく」と決めて通したのは非常に優れた判断だったと思う。色々鑑みると楊儀や費禕でなく蒋琬だったのは、当然の処置でもあるわけだけど。

2012-09-10 18:45:56
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 当時蒋琬は丞相留府長史で成都におり、諸葛亮没時の遠征軍のごたごたや複雑な利害関係の絡みや権謀術数の交錯にノータッチだから。諸葛亮最期の遠征時に蒋琬と費禕の役割が逆だったら恐らく後継は費禕の方だったかも知らん。

2012-09-10 18:49:09
お菓子っ子 @sweets_street

@nisekuro_at @murajidash @toronei 蔣琬後継の決め手は、蔣琬が成都勤務だったために劉禅が為人をよく知っていたこと。そして、閲歴的に皆が納得する人間であったということですね。楊儀は人望が無さすぎるし、費禕は閲歴が浅すぎる

2012-09-10 18:51:22
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 次が蒋琬が引退に追い込まれる政変の過程で劉禅自身不安を感じたのか費禕の他に姜維に録尚書事をつけて自分へ異なる経路で情報が上がるよう処置してる。前に録尚書事について一連のツイートしたけど、これ後漢の伝統芸。

2012-09-10 18:58:28
お菓子っ子 @sweets_street

@nisekuro_at @murajidash @toronei 費禕にはなかなか開府を許さなかったし、蔣琬と費禕ではだいぶ劉禅の信任が違いますね

2012-09-10 19:03:36
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei いやいや。納得したかどうかはどうかな。蒋琬伝で抜擢されて諸官僚の上に位置することになって・・・蒋琬のその執務を見て人々は漸う服すようになったってあるから。

2012-09-10 19:08:42
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 「琬出類拔萃,處羣僚之右,既無戚容,又無喜色,神守舉止,有如平日,由是眾望漸服,(三国志蒋琬伝」)

2012-09-10 19:09:57
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei ほぼ訳「蒋琬は類を出て拔萃され,羣僚之右に処すこととなった,既にして戚容は無かったが,又た喜色も無く,その舉止を神守すること,平日の如くに有った,是に由って衆望は漸う服すようになった,」

2012-09-10 19:11:30
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 何が言いたいかというと、他にも諸葛亮の後継の位置に収まるべき人間はいただろうけれど、その時に丞相留府長史であったことが重要だったんじゃないかってこと。

2012-09-10 19:14:42
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei というか蒋琬が引退に追い込まれた経緯がちょっと怪しすぎる。劉禅が不安を感じたとしてもおかしくないし。

2012-09-10 19:16:05
ネットインコ @Golden_hamster

@nisekuro_at @sweets_street @murajidash @toronei 暴走野郎を強権発動して止めたようにしか見えないですよね、少なくとも表向きには。

2012-09-10 19:22:45
お菓子っ子 @sweets_street

@nisekuro_at @murajidash @toronei 平然としていたら皆が落ち着いたというだけでも、相当な威信が必要だと思うんですよね。特に諸葛亮のような大宰相を失った後は。費禕が成都にいたとしても、若すぎて威信に欠けるのではと思うのです

2012-09-10 19:16:19
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 問題はここからなんだけど。劉禅の治世は魏の制度の変遷に倣ってゆく。余り考える必要が無かった諸葛亮の丞相制から蒋琬や費禕の大将軍・録尚書事保持者と侍中・尚書令のコンビ、そして皇帝親政の肝である秘書省の確立。

2012-09-10 19:36:59
黒田タケフミ @nisekuro_at

@sweets_street @murajidash @toronei 蜀書では余りにサラッと書かれてるので見逃されるけれど、劉禅治世末は曹叡治世下のように秘書省があり、その棟梁として秘書令郤正が劉禅親政の詔勅発布に絡むアレコレを押さえ掌っていた。おいおいここにも戦犯疑惑者が。

2012-09-10 19:39:50
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コメント

悟浄 @syagojo 2012年9月11日
優秀な家臣にそれに相応しい役職与えて十分に手腕を発揮させる。それだけでも君主としては大きな度量なんだが劉禅はいいとこ傀儡にしか見られないのは国を滅ぼした結果論と何より阿斗=阿呆の千年以上にわたって染み込んだ先入観が大きいんだろう
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