茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第712回「なぜ英語なのか、なぜリベラル・アーツなのか」

脳科学者・茂木健一郎さんの9月11日の連続ツイート。 本日は、二日前のツイートの補足。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

2012-09-11 05:48:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第712回をお送りします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、二日前のツイートの補足。

2012-09-11 06:34:30
茂木健一郎 @kenichiromogi

なな(1)日本の東大を始めとする大学が地盤沈下をしている、ハーバードごときに負けるなとツイートしたのが二日前。さまざまな反応をいただく中、おそらく補足説明をした方が良いな、と思う。まず、「英語」自体に価値があるわけではない。池上高志の言うように、英語ができてもバカじゃ仕方ない。

2012-09-11 06:36:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

なな(2)池上高志は、「数学が抜群に出来て英語ができない学生と、数学ぱっぱらぱーで英語ペラペラどっちがいい?」としばしば言う。そりゃあ、前者に決まっている。益川敏英さんは、英語を捨てて物理に邁進してクオークの世代問題を解いた。英語ができても、airheadでは仕方がない。

2012-09-11 06:38:38
茂木健一郎 @kenichiromogi

なな(3)問題の本質は、別のところにある。日常的な用を足す言語として、英語と他の言語で優劣があるわけではない。日本にいれば、日本語の方が使い勝手がいいのは当然のこと。ところが、学術情報となると違う。とりわけ、自然科学の論文については、英語で書かれ、流通するのが当然となった。

2012-09-11 06:40:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

なな(4)ここでしばしば見られる誤解が生じる。英語が不得意でも、実質が伴っていれば、論文は何とかなるのではないか。翻訳者を使っても、あるいは英文校正サービスを用いても、発表できるのではないかという議論が通ってしまう。しかし、実はそこに本質があるのではないのである。

2012-09-11 06:41:10
茂木健一郎 @kenichiromogi

なな(5)現代の学問の本質は、「総合性」にある。たとえば、生命の問題。あるいは環境の問題。あるいは、知性の問題。どの課題をとっても、一つのdisciplineの中には収まらない。人文学と自然科学の壁を越えた、知の総力戦、融合的アプローチをとらなければ、解決はおぼつかない。

2012-09-11 06:42:30
茂木健一郎 @kenichiromogi

なな(6)ここに、日本の大学が陥っている罠がある。自然科学者は、下手なりに英語で論文を書く。実質が良ければ読まれるだろうし、インパクトもあるだろう。ところが、人文学を含めた総合的知がうまれない。なにしろ、文系の教授は輸入学問を日本語でやっているのだ。対話が生まれようがない。

2012-09-11 06:43:40
茂木健一郎 @kenichiromogi

なな(7)不幸なことに、アカデミックな側面だけでなく、産業という実体経済の問題としても、現代は総合的なアプローチが必要とされる。例えば情報機器はブツの問題だけでなく、情報流通の法制度を含めた総合的なもの。人文/自然の壁を越えた融合的知のバックアップがないと、経済が発展しない。

2012-09-11 06:45:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

なな(8)現代における付加価値を生み出す総合的な学問。あらゆる分野の学術情報に英語で通暁していないと始まらない。しかも迅速に。ピッチを走り回るように。この態勢が出来ていないため、日本の大学は知の集積地、発信地としての地位を失った。大学の堕落と日本の国力低下はシンクロしている。

2012-09-11 06:46:33
茂木健一郎 @kenichiromogi

なな(9)「リベラル・アーツ」は、以上のような総合的な最高の学問に至る道。日本の国際教養系の大学が勘違いするように、学問的に薄味の、英語プレゼン能力を磨けばいいのではない。池上高志の言うようにアカデミックな力は必要。そこに英語の筋肉。そんな理想の大学は日本にはまだない。

2012-09-11 06:48:25
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第712回「なぜ英語なのか、なぜリベラル・アーツなのか」でした。

2012-09-11 06:48:50