9.11から11年―― 朝日新聞、石田博士記者の連続ツイート

9.11から11年。東京本社で「NYの世界貿易センターに飛行機がぶつかった」との一報を受けた時は観光用のセスナか何かだと思った。過去にどんな高層ビルと飛行機の衝突事故があったか調べていた時に2機目が。事故じゃない、事件だ、と思わず叫んだ。
2012-09-11 21:51:57
承前)NYへの電話はたちまちつながりにくくなった。日本人医師のいるマンハッタン内のクリニックにようやくつながった。電話に出てくれた看護師さんはふだんはWTC内のクリニックで勤めていた人。ビルに入ろうとしたところで1機目が突っ込み、急いで系列の別のクリニックに避難してきたのだった。
2012-09-11 22:00:00
承前)看護師さんは電話で「前にも爆破事件があって、その時は救急治療ができたんだけど」と言った。9.11の8年前の93年2月、WTCの地下駐車場で自動車爆弾が爆発し、6人が亡くなっていたことを私はその時初めて知った。
2012-09-11 22:06:59“世界貿易センター爆破事件……は、1993年2月26日、ニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)の地下駐車場で爆弾が爆発した事件である。
犯行はイスラム原理主義テロ組織アルカーイダ(オサマ・ビンラディン)とイスラム集団(オマル・アブドゥル=ラフマーン)が関与したとされている。”

承前)当時の記事。「世界貿易センタービルと同じ敷地内にある病院に勤める看護婦(52)は、出勤前にセンターから200メートルほど離れた市場にいた。飛行機のジェット音が非常に間近で聞こえたので「墜落するのではないか」と思う間もなく爆発音が響き、黒煙が近くまで広がってきた。(続く)
2012-09-11 22:10:12
承前)「人が落ちた」「狙って突っ込んだ」と見ていた人が叫んだ。「逃げろ」の声に反射的に走り、煙に巻かれないよう、近くのデパートの1階のひさしの下に入ったところで、もう1機が衝突した。中に入ろうとしたが、警備員に「逆に危ない。イーストサイドに逃げろ」と言われた。(続く)
2012-09-11 22:11:58
承前)少し離れたチャイナタウンではみんなが驚いてセンターの模様を眺めていた。看護婦は93年のセンター爆破の際もそばにいた。黒煙に巻かれそうになるのを必死に逃げ、救急治療にあたった。だが今回は逃げるので精いっぱいだった。約2時間かけ48丁目の診療所に着いた。」
2012-09-11 22:12:53
承前)もう一つ、当時タイミングを逸して掲載できなかった話。日系の高級ホテルにも電話がつながった。多くのビジネスマンが灰まみれで命からがら逃げてきて、身を寄せているという。
2012-09-11 22:15:07
承前)電話対応してくれた日本人のマネジャーは「急いで白いワイシャツを買い集めました」と話した。「なぜですか?」と聞くと、マネジャーはこう言った。「ビジネスマンはどんな非常時でも、プレスのかかった白いシャツに袖を通すと心が落ち着くものです」。あの言葉、今も心に残っている。
2012-09-11 22:18:28