ペス的絵画認識論

ディルタイの解釈学、ハイデガーの存在論、ギブソンの生態心理学、 ベイトソンの生態学などの哲学を背景に絵画のことを一般語で書きました。 なぜ線と色の集合が絵に見えるのか? 続きを読む
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スギノマサミ @pesu1028

この時間に大量ツイートしたい気分になるのも久々かもしれない。でもこの時間ってTLの流れがやたら緩やかだから安心してツイートできる。「だったらフォロー減らせばいいんじゃないの?」という意見もあるだろうけど、それはそれでまた話は別なワケで・・・。まあいいや。はじめよう。

2010-07-23 04:19:09
スギノマサミ @pesu1028

絵の認識について。絵はご存知の通り、線や色の集合だ。絵を間近で見れば、それは絵というよりも一本の線だったり、色だったりする。しかし、一定の距離を置くと、その線や色には自然と関係性が生まれ、僕らはそれらを「1つの絵」として認識することができる。これって何気に不思議じゃないだろうか?

2010-07-23 04:24:39
スギノマサミ @pesu1028

例えば、今目の前にある僕の机にはPCのキーボードと(使いもしない)シンセサイザーとマイクがある。しかし、これらから一定の距離を置いたところで、少なくとも僕はこの物体間の関係性なんてものは見出せない。にも拘らず、絵に対して僕らは自然と関係性を「付与」することができる。

2010-07-23 04:27:27
スギノマサミ @pesu1028

色と色、線と線、線と色。すべてに関係性を見出し、それらをただの集合ではなく全体的な「絵」として捉えることができる。もちろん、この関係性を見出すには「一定の距離を置く」という作業(?)が必要だが、僕の机の例のように、普通はそんなことをしても関係性は見えたりしないワケだ。

2010-07-23 04:30:29
スギノマサミ @pesu1028

ただここで1つ引っ掛かることがある。僕の机の状況も、絵になってしまえば1つの絵(全体)として関係性が現れるんじゃないか、ということだ。これは個人的に非常に興味深い。だって、この論理でいけば、すべてを絵にすることが出来れば、すべてに関係を見出すことができるのだから。

2010-07-23 04:33:55
スギノマサミ @pesu1028

もちろんそれは「絵としての」関係性であって、現実的なものとは少し違うと思う。ただ僕が言いたいのは、「関係性が生まれるって、スゴイことじゃないの?」ということ。絵という輪郭がなければ、そこには何の関係性もなかったのに、絵で捉えることによって関係性が生まれる。素朴にスゴイよね?

2010-07-23 04:37:00
スギノマサミ @pesu1028

少し話を戻そう。線や色の関係性の話はなんとなく分かってもらえたと思うので、次は「一定の距離を置く」ということについて書いてみる。この「一定の距離を置く」という作業は、絵を絵(全体)として捉えるためには必要不可欠なものである。どんな絵も間近で見られている限り、それは絵とは呼びにくい

2010-07-23 04:42:18
スギノマサミ @pesu1028

1メートル?2メートル?人によってそれは各々個人的なものだと思う。ただ、このどこかの距離になった時点でそこに絵全体としての関係性が生まれる、というのは万人に共通じゃないだろうか。さて、ここで考えたいのは、「ただの集合が(関係性のある)組織に変わるのは何故か?」ということである。

2010-07-23 04:54:14
スギノマサミ @pesu1028

もう1つ加えるならば、「何を境目にただの集合が(関係性のある)組織に変わるのか?」ということも興味深い。多分こんなことはとっくに研究している人がいるような気もしないではないけど(ハウハウスとかがやってそうだけど)、僕は今のところ見たことがない。

2010-07-23 04:56:50
スギノマサミ @pesu1028

部分の集合(線や色の集合)が絵に変わる。これは人で考えると、一人一人は赤の他人なのに、全体としてカテゴライズするとX-JAPANのファンだったりする、みたいなことと同じだと思う。つまり絵というのも、恐らく線や色から僕らが何かを抽象して絵として認識してるんじゃなかろうか。

2010-07-23 05:01:29
スギノマサミ @pesu1028

何を抽象(抽出)するか、それは「絵がアフォード(アピール)する何か」だろう。言い換えれば、線や色の集合は、僕らに絵として捉えらえてもらえるように何かを語りかけているんじゃないか、ということ。さらに言えば、絵それ自体は自分がどう見られたいかを知っているんじゃないか、と。

2010-07-23 05:05:10
スギノマサミ @pesu1028

そして僕らはその甘い誘いにのって、まんまと彼らの望むような関係性を自ら付与し、それを絵として完成させてしまう。そんな現象が起こっているように僕は思う。当然、絵が僕らに語りかけることは各々違うだろう。ある人には「好きよ」と言ったり、またある人には「臭い」と言っているかもしれないw

2010-07-23 05:08:21
スギノマサミ @pesu1028

まあ何せよ、絵はそこに存在する時点で僕らに何かしらを語りかけているのだと僕は思うワケだ。これは深入りすると認識論をはるか超えて存在論の話になってしまうので詳しくは割愛するが、この「語りかけ」の強い絵を【具象絵画】、比較的穏やかな方を【抽象絵画】と僕は呼ぶことにしたいw

2010-07-23 05:13:13
スギノマサミ @pesu1028

この話には何気にディルタイの解釈学、ギブソンの生態心理学、ベイトソンの生態学、ハイデガーの存在論なんかが関係していたりする。まあそんな難しい話は僕もよく分からないのだけどw 何かの参考まで。

2010-07-23 05:16:53