- ttt_ceinture
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今度はニコニコ動画について改めて考察してみました。最近のニコ動の進化はなかなかすごいと思います。http://bit.ly/9o4yo9
2010-07-23 20:48:41ちなみにニコ動といえば、天下一将棋界プレイ動画の→が熱すぎます。http://bit.ly/bitzpB
2010-07-23 20:50:38ブーニューにおいては、コミュニケーションは人と人の関係に限られるんですか?RT @voleur 今度はニコニコ動画について改めて考察してみました。最近のニコ動の進化はなかなかすごいと思います。 http://bit.ly/9o4yo9
2010-07-23 20:57:58@ttt_ceinture 人と動物、あるいは人とモノとのコミュニケーションについて論じているか?ということですか?
2010-07-23 21:09:55@voleur モノとのコミュニケーションについてです。どうやら対人→「閉じた受容」、それ以外→「閉じ」に動揺させる「開かれた受容」 となっているのかな。
2010-07-23 21:13:00@ttt_ceinture ブーニュー的な「閉じ」と「開かれ」は、三人称的な審級が入ってくるか来ないか、というところで区別されるんじゃないか、という気がします。
2010-07-23 23:06:19youtubeだってブラックな動画が無いわけではないんだけどな。単に一般化しただけで…。<"半ば無法地帯状態で、限りなくブラックに近いグレーな動画が次々とアップロードされていた時代。"
2010-07-23 21:50:05既製品の横長しか個人生産か、という区別をするとき、「個人生産の素材が横流し」が大半の個人生産MADであるという面が消えてしまう。…まあいいか、続く論のために乱暴に分けたのだろうし。
2010-07-23 21:51:51サーバーにおいてyoutubeにまさに「寄生」していた時期がある<"「ニコニコ動画とはyoutubeに字幕をつけたものである」という当時の一般的な認識がそのことを示しています"
2010-07-23 22:01:49字幕=コミュニケーション、か。字幕=コンテンツでもいいじゃん。「結局、それはニコ動のマジョリティにはならなかったのですが」と強調せざるを得ないだけで。つまり、逆に言うと、どこまでもニコ動内マジョリティの話に終始している。
2010-07-23 22:10:00コミュニケーションとコンテンツの主客転倒、ネタから実況へ、というのが記事のキモなんだろうけれど、ネタは飽きるが実況は飽きない、という差を属人性の差としている。そして属人性からコミュニティへの移行をマスメディアの持っていたコミュニケーションとの類似にするわけか。
2010-07-23 22:52:30マスメディアに類比するために例に挙がってる「実況」が個人発信ではなくそれなりの資金も設備も場所代も持ちうる組織であり、そのとき「個人発信の実況」とは大きく話が反れている。
2010-07-23 22:54:55「ダダ漏れ」の使い方も微妙。ダダ漏れは、第二者による無許可レポートなどを指し、ゆえにダダ漏れへの自粛を促すなどの展開にもなるわけだけど、岩上安身による上杉隆インタヴューustはかつてならオンラインでのストリームサイトで展開されていた、少人数・企画・個人的コネに基づく「番組企画」。
2010-07-23 22:57:35ダダ漏れがなぜ問題になるか。レポートされて広範に知られないゆえにできる話が広範に知られてしまうからだったり、発言者のビジネスコンプライアンスに反する言質をとられてしまうかもしれないからだったり、参加費などに反映されずタダ見されてしうからだ。
2010-07-23 23:00:11主に、資金確保上の側面と、コンプライアンスやモラルの側面がある。そのどれにも抵触していないものをダダ漏れと呼ぶのは、ダダ漏れをめぐる問題理解が甘い。ニコ動に関する三段階の粗ともこれは関わるだけに見逃せないな。
2010-07-23 23:03:03でも「面白いイベント、人間をそのままダダ漏れする」ことでこうもustが面白くなるものだ、というのは言わんとすることは、通常の放送形態ではないルーズや試行錯誤込みのやり方(=ダダ漏れ)として語ってるんだから、まあそのニュアンスで読めばいいか。
2010-07-23 23:10:26属人的な誰々という名とともにある顔馴染みのコミュニケーション:ニコ動/これまでの放送形態では実行されてなかった「面白い情報を持つ人の話=コンテンツ」:ustって対比を暗にやってるのかな。うーん…ustによってはチャット欄がコミュニケーションになるし、チャット欄無視の有無が必要。
2010-07-23 23:13:25ビジネスコンプライアンスについて触れたのは、「面白い話をもっている人」であれ、それに差し支える場合には、ustであろうと実現が困難になる、といった境界があるため。先に挙げたように、少人数・企画・個人的コネといった「条件」がつねに関わり、ときによっては資金も条件になるだろう。
2010-07-23 23:16:09TVのコンテンツの力があるとすれば、(記者クラブや警察発表などもtろもろの公式発表のそのままという限定的なあり方であれ)取材に資金を投じられることにある。ustで取材ってできるのかな。「当事者が放送を実現するのを待つ」に傾きがちだと思う。逆の例が、いわば京都国立近代美術館になる。
2010-07-23 23:18:58@ttt_ceinture さっそく記事に批判をいただけなので、いくつかの反省を。twitterは議論の場には向かないと思うので、独白的反省になります。
2010-07-23 23:16:38反省1:「ダダ漏れ」という言葉の使い方。その界隈では、この言葉はすでに特定の議論の広がりを持っているものであるのに、適当に使いすぎた。ustream放送全体を「ダダ漏れ」と呼ぶことには、誤解のリスクはあれどメリットはほぼない。
2010-07-23 23:19:34ダダ漏れというのは、リアルスペースやそこでの親密圏が、その想定されていた範囲を超えて伝播されてしまう(ある意味で脱文脈化そのものだが)ことだったりするので、むしろ「それでも残るオフラインとオンラインの落差」に基づく局面だと思う。
2010-07-23 23:21:51