榊原殿、追想…。
- nightmere666
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……今日の葵の舞台でな、兄上が出ておられてな。少しだが、戦う場面もあってな。……だから少し、兄上の話をしようと思う。あとでご本人が見ると思うと少々なんだが。
2012-09-16 00:58:46今日の舞台では、酒井将監忠尚殿の家老と紹介されておったが、実際に家老であったのは我等の父だ。兄上は一向一揆の時、18歳。家督を継いで4年。まだまだ若年だった。家老の跡継ぎではあるが、発言力はあまりない。というのはわかってもらえると思う。
2012-09-16 01:03:11上野には大原殿、高木殿、それに佐渡…いやこの頃はまだそんな呼び方はされておらんが本多の、それに一向衆の一部と反松平を掲げた者達が入った。その中で主を諫める事ができたとは思えん。
2012-09-16 01:08:17言えば追放されるか、悪ければ殺される。また一揆に賛同しない上野の家臣達は次々に岡崎に入った。城内にいて内応を疑われるほど悪いことはない。……わしは岡崎におったしな。兄上はつらい立場に置かれた。
2012-09-16 01:09:36戦国の世、主を選ぶことも家臣の権利のひとつであると見なされてはいた。主が主らしからぬ時は見限っても責められることはない。……だが。兄上は幼き頃より将監殿のお側におった。丁度、わしらが殿の元におったように。
2012-09-16 01:12:34だから今でも思う。あの時、駿河に逃れた将監殿と兄上は共に行きたかったのではないかと。それがどんな相手だったとしても。主は主。主の為に命を賭けるは我等が父より教わった事のひとつだ。
2012-09-16 01:15:39一向一揆の後、許されて殿に仕えるようになった兄上が信康さまの傅役に抜擢された時は本当に嬉しかった。誇らしかった。兄上の力が認められたのだと。
2012-09-16 01:16:47しかしその信康さまはご生害なされた。殿は追い腹を切ることも禁止されていた。わしは再び兄を止めねばならんかった……。
2012-09-16 01:18:09結局兄上は、責任をとる形で蟄居したまま。家督はわしが引き継ぐこととなった。家督など、どうでもよかったが、仕方がない事だ。
2012-09-16 01:21:19……あの時。あの時、兄上を止めなければ、二度も主を失わせることもなかったのではないか。悲しみのうちに倒れ、身体を壊されることもなかった。わし自身の忠義は譲れぬが、兄の忠義は止めてしもうた。それは正しかったのか。
2012-09-16 01:25:13兄上の後悔も、嘆きも悲しみも知っている。それでも生きていてほしかった。武士としては死んで己を貫けというところだ。それなのに。
2012-09-16 01:26:41