主權(國民主權)とは何ぞやの纏め

輓近《ばんきん》、主權なる言葉が一人步きしたる事例をば政治の世界にて斯くも猖獗をば極めたり。そは「國民主權」及び「地域主權」なる摩訶不思議なる言葉にて論じられたる議會の有り樣にても認めらる可し。 然るに「主權」とは何ぞやとの意識は、現代人には著しく薄弱な上、專ら言葉のみが其の意義も持たぬ儘に徒に用ゐられたるが其の實情たり。
3
くゐかう(キコー) @kisling45

憲法・清水澄博士 http://t.co/uu7wgc0f 國法學第一編憲法篇・清水澄博士 http://t.co/iv6BuizM 國法學第一編行政篇・清水澄博士 http://t.co/C4D3hGVZ 國法學・美濃部達吉博士 http://t.co/zXUTh7Os 無効論

2012-09-16 10:42:26
くゐかう(キコー) @kisling45

美濃部達吉博士著「國法學」、第二章統治權、第三節主權、第一款主權の沿革、八十二丁に曰く、「君主主權說及び國民主權説(ジャン・ボーダン及びルソーの如き)が政治歷史の實際に及したる影響の大なることは右述ぶるが如し。――無効論

2012-09-16 13:53:31
くゐかう(キコー) @kisling45

――主權の觀念の沿革を論ずるに於ては、此の歷史上の事實(佛蘭西革命)を度外にすることを得ず。然れども主權といふ語は、其の本來の意義に於ては、國家の權力が國家以外の他の權力に依りて制抑せられざるの性質を言ひ表すが爲に用ゐられたるなり。――無効論

2012-09-16 13:54:22
くゐかう(キコー) @kisling45

――既ち國家の權力其の物に屬する一の屬性なり。君主主權説といひ又は國民主權說といふは、之に反して國家內に於て何人か最髙の權力を有す可きかの問題なり。一は國家の權力の性質の問題にして、一は國家內に於ける權力の所在の問題なり。二者は全く關係無き別個の問題たり。――無効論

2012-09-16 16:35:47
くゐかう(キコー) @kisling45

――不幸にしてボーダンは、此の二の問題を混同し、而して此の混同は、第十七世紀及び第十八世紀を通して行はれ、其の混同の儘に於て歷史上偉大の影響を及すに至りたるなり。(畧)――無効論

2012-09-16 13:56:12
くゐかう(キコー) @kisling45

――君主主權說といひ、國民主權說といふは、政治上の主義の問題にして、主權の本來の觀念とは何等の關係無き別問題なり。政治上の主義としても、君主主權又は國民主權は何れも必ずしも絕對の眞理に非ず、各國特殊の歷史と國民の政治事情とに依りて決す可き問題なり。――無効論

2012-09-16 13:56:39
くゐかう(キコー) @kisling45

――其の本來の觀念に於ては、主權とは國家の權力の屬性たるに外ならざることを明かにすることを得たるなり。」無効論

2012-09-16 13:58:44