BSドキュメンタリーWAVE「除染された故郷へ~ビキニ核実験・半世紀後の現実~」書き起こし・まとめ

ビキニ水爆実験で被曝したマーシャル諸島・ロンゲラップ島民の、避難までの経緯と帰島問題。自分用まとめ
環境
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mai @jrmmnisi
昨夜のBSドキュメンタリーWAvE「除染された故郷へ~ビキニ核実験・半世紀後の現実~」を見ています。これは、できたらみんなが見た方がいい番組。だれかアップしてくれていないかな。
のぶ 🐾ガン無視されてもあなたのファンです❤ @6809_9002
ドキュメンタリーWAVE「除染された故郷へ~ビキニ核実験・半世紀後の現実~NHK-BS1 2012年9月15日(土) 午後10:00~午後10:50(50分) http://t.co/FDPoWzVg アメリカによる内部被曝人体実験。フクシマと重なります。これでも国を信じますか?
mai @jrmmnisi
これから、昨夜放送された「除染された故郷へ~ビキニ核実験・半世紀後の現実~」について連続ツイートします。
mai @jrmmnisi
【ビキニ核実験1】マーシャル諸島共和国。今から58年前、アメリカが行った水爆実験により、住民は被曝。1954年3月1日のビキニ核実験で放出されたエネルギーは、広島に落とされた原爆の1000倍。実験直後に降り注いだ白い灰を浴びた人は、髪が抜け、皮膚が焼けただれた。
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【ビキニ核実験2】灰が降り積もった島ではその後も異常な事態が続く。流産や死産が急増、癌を発症する人が次々と現れた。1200もの島からなるマーシャル諸島の北部に位置するビキニ環礁。放射性物質は風に乗って爆心地から運ばれた。最も大きな被害を受けたのは、その先にあるロンゲラップ島だった
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【ビキニ核実験3】ロンゲラップ島の人たちは放射能から逃れるため、他の島にちりじちに避難。以来人々は「ロンゲラップ・ピープル」と呼ばれ、いまなお長い避難生活が続いている。
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【ビキニ核実験4】ところが近年、突然島に戻る計画がもちあがった。「島の除染が終わり安全な環境が整った」とアメリカが発表。アメリカからの資金で新しい住居も建設。帰る準備は整ったと、島民たちは帰還を呼びかけられている。しかし、島に帰るべきか、人々は迷っている。故郷は本当に安全なのか?
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【ビキニ核実験5】子どもや孫のことを考えると、不安がぬぐえない島民。「帰りたいけど、子どもが心配。ロンゲラップに戻って病気になったらどうするの?」水爆実験から半世紀。いまなお、その影響下で翻弄される人々の現実。
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【ビキニ核実験6】マーシャル諸島共和国の首都、マジュロ。この街にも、ふるさとを追われたロンゲラップ島の人々2500人が暮らす。その多くは、アメリカから3か月に1度支給される225ドルの補償金や、経済援助で生計を立てている。
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【ビキニ核実験7】除染を終えた区域に用意されている50棟の家は、ソーラーシステムや浄水器を完備。アメリカからの資金4500万ドルをもとに帰島事業を進めるマタヨシさん「ロンゲラップ島に帰ったら、今よりもっと安定した生活を送れる。自分たちの暮らしを取り戻す最大のチャンスが巡ってきた」
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【ビキニ核実験8】マジュロで避難生活をしている、ロンゲラップ島の女性たちの声「あの島に戻るのが怖い。」「ロンゲラップに孫たちを連れて行きたくない。あの島の作物を、食べさせたくないんです。」
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【ビキニ核実験9】アメリカは世界平和という名のもと、当時統治下であるマーシャル諸島で、67回の核実験を繰り返し行った。実験から5時間後、放射能を帯びた死の灰が、ロンゲラップ島を襲った。人々が受けた放射線量は、2000ミリシーべルト以上。平常時の年間線量限度の2000倍を超えた。
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【ビキニ核実験10】ネルジェさんは、当時5歳。突然降ってきた白い灰を、頭に塗ったり舐めたりしたという。「髪の毛が抜けて悲しかった。灰をすくって、頭に塗ってしまった。灰に触れたところはやがて熱湯のように熱くなって、ただれてしまった。吐き続けてひどい頭痛で、全心身が焼けるようだった」
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【ビキニ核実験11】実験の2日後、住民は米軍によって退去させられ200キロ離れた基地に。そこに現れたのはアメリカの医師たち。彼らは島の人たちの症状を調査、血液や尿の採取を始める。医師を派遣したのはアメリカ原子力委員会。冷戦のさなか、放射線の人体への影響を知ることが最優先課題だった
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【ビキニ核実験12】アメリカは、生涯にわたり追跡調査をするため、住民一人一人に識別番号をつけた。被爆した島の人たちに対しアメリカが出した指示は、「1日3回、海で体を洗うこと」だけだった。ネルジュさんたちがロンゲラップ島でなく別の島へ移るよう命じられたのは、実験から3か月後だった。
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【ビキニ核実験13】亡くなった70歳の女性の娘「母は、甲状腺を患っていた。それと、頭蓋骨のない赤ちゃんを産んだ。頭の骨がなかったそうだ。」実は、この亡くなった女性は核実験の時、ロンゲラップ島では暮らしていなかった。島に移り住んだのは実験の3年後、1957年のことだった。
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【ビキニ核実験14】実験から3年後の1957年。この年、アメリカ原子力委員会は「ロンゲラップ島はもう安全」と住民に宣言を出した。この安全宣言を信じ、被爆した人はもちろん、被爆しなかった人も含めて、250人がロンゲラップ島に向かった。ロンゲラップ島にかつての暮らしがよみがえった。
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【ビキニ核実験15】帰還した島民に、異変が起こった。これまでなかった病が多発し始めた。突然、くるぶしが腫れて歩行困難になる人、死産・流産を繰り返す女性たち。病気は直接被爆していない人にも広がった。「島に残る放射能が原因ではないか…」人々の不安が募った。
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【ビキニ核実験16】アメリカ原子力委員会から派遣された医師は「健康に影響するような放射線は存在しない」と説明。「低レべルの放射能が残留しているが、島民に目立った影響は出ていない。ニューヨークでさえビキニと同程度の線量を自然界から浴びる。ロンゲラップの島民が浴びる線量はさらに低い」
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【ビキニ核実験17】この時、すでにアメリカは放射線の影響を予測。安全宣言の前年の会議で研究者は「住民が島に帰れば研究に役立つ」と繰り返し発言。「放射線の影響を調査するのに理想的な状況」「長期間にわたる、低レべルの放射線の影響を調べられる。それによって放射線に関する知識が増やせる」
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【ビキニ核実験18】アメリカは住民全員にカードを持たせた。直接被爆していない人にはピンクのカード、死の灰を直接浴びた人たちには緑のカード。異なる条件の人々を同じ状況で比較調査できるのは、アメリカにとって理想的な研究環境だった。
mai @jrmmnisi
ロンゲラップ島民が持っているカード http://t.co/V2fCsEcF
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【ビキニ核実験19】ロンゲラップ島では飲料水を雨水に頼っていた。アメリカは、派遣している医師には島の水や食料をとらないよう厳しく指導する一方、住民にはほとんど規制しなかった。住民の体内では放射性物質の蓄積量が急増。ストロンチウム90は20倍、セシウム137は60倍にも跳ね上がった
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【ビキニ核実験20】この事実を知らされないまま、核実験から9年後。ロンゲラップ島で暮らす住民3人に、初めて甲状腺の異常が見つかる。年を追うごとに患者は増え、癌や白血病に襲われる住民も続出。核実験から18年後の1972年に白血病で19歳の青年が亡くなり、住民たちは大きな衝撃を受ける
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【ビキニ核実験21】「島は安全」というアメリカ原子力委員会の言葉を信じる人はいなくなった。住民の代表がアメリカ人医師に送りつけた手紙には、こう書かれていた。「あなたは私たちを、爆弾を研究するためのモルモットとお考えなのでしょう。」
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コメント

mai @jrmmnisi 2012年11月6日
まとめを更新しました。
mai @jrmmnisi 2012年12月5日
まとめを更新しました。
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