- L_O_Nihilum
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しかし、例えばそのつもりで贈与したとしても、「ありがとう」とか言葉を返されたり、またモノを贈与したときに、なんかその時にレスポンスになる何事かを対象がしてしまったら、それは贈与ではなくなる。
2012-09-25 20:13:15純粋に贈与であることを成立させるためには、対象がまったくのレスポンスを返せる状況であってはならないことが求められる。だが、それをもしあり得るとすれば、贈与は何物にも贈与しないという事にしなければならない(乃至は何もしてこないものに贈与するという事にしなければならない)
2012-09-25 20:15:48で、…。なんで東が調子に乗ってウチらの享受活動を「消費」と呼びたがるかというと。サブカルの享受の際、その享受したという気持ちの交換先が「虚構」であって、実質なにものでもない、と思われてるからではないかなとか。つまり、それは「純粋な贈与の成立」になるぞと。
2012-09-25 20:17:48で、じゃあそのために払ったお金はどこいくの?企業か国だ。誤配されちゃってて彼(お宅)の思うキャラクターには何も届かない。だからこれは享受というよりか消費だ、っていう。
2012-09-25 20:18:55贈与が交換の中に入ってて純粋な贈与がないというのが論点なデリダだったけど実質、交換のなかにも贈与が入ってたりしませんかねえ てか、贈与の定義が意図的やありやしませんかね?
2012-09-25 20:20:18デリダが悪いわけではなく、これはデリダ自身、(文章に明言しないけれど)こういう考えもしてほしいと伝えてるんじゃないかと。それもそのはず、彼自分で「ロゴセントリズム(西洋音声中心主義)」を批判的に警戒してますし。
2012-09-25 20:21:08でもつまりそれはこういう事。例えばデリダが世界中で人気になってよく研究されたとして。
2012-09-25 20:21:44そういうときに、デリダの言葉を「デリダがこう言ってるからこれがこうだ」みたいにやり始めてデリダ主義みたいなのが出てきたりする、と。てぇとそれこそデリダが一番叩きたいところなわけになるわけで。「俺がそう言ってるからそうなんの?それどうよ?」ってのが、まさにデリダなわけで。
2012-09-25 20:23:44デリダ的な脱構築はこれが一番正しい形だみたいなのを示したのが「存在論的、郵便的」ならば、アレにあるような贈与思想はさっきの贈与∈交換っていう構図から交換を優越視する方向にもっていきすぎ、っていうところがあるわけで。
2012-09-25 20:25:25デリダは「書く/言う」の二項対立で、「言う」の優越性を語る西洋のセントリズムを、脱構築的に「書く」側に接近させるような語りを行うけれど、それは何も「言う⇒書く」化を狙ったわけではなく、「言う/書く」を太極図化するという例として言っただけと見てあげたほうがいいわけで
2012-09-25 20:26:49それこそ、エクリチュールだって脱構築するたんびにパロール出てくると思いますよ。ていうか書物から声が聞こえるとかよく言うじゃないですか(笑)、てかそも喋ってる「言語」、ってのを描いているわけなんでエクリチュールにもパロールたっぷり入ってましてね。
2012-09-25 20:28:25デリダはプラトンの話使ってるから西洋のクセを崩すためにあれやったけど、それはなにも転倒を意味するのではなくて(そう受け取られかねないことは覚悟の上で)、それぞれの二項対立の優越性への警戒的な読解のハズなわけで。それは贈与、交換の時の彼の語りも同じと見るべきで…。
2012-09-25 20:29:49テクスト中に掛かれなかったからと言ってそんなこと言ってない的な方向に持ってく、自分で考えない系の脱構築ってキツいのよねえ。しかも都合よく虚構消費論に持っていける。それこそテクスト中心主義ってデリダに怒られていいはずなんですが…
2012-09-25 20:30:47さっきまでフィーナフィーナ言ってたのにいきなりデリダデリダやりはじめる、これが僕クオリティ
2012-09-25 20:32:23ところでフィーナ姫の「人間は過去の集合」って言ってたが、あそこでデリダとか痕跡とか思い出したあなたはデリディアンなフィーニスト(Feenist)。
2012-09-25 20:33:40