ずっと前に某所で書いたことのある話なのだけれど、二十歳まわりのころからの自分の一番大きな変化は「絶望的な気分」というのに原則おちいらなくなったことかな、と思う。
2010-07-26 21:19:24私の理解では、人は、あるあやまちや失敗によって哀しさにうちひしがれたとき、自分はその種のあやまちから「一生」逃れられないのではないか、つまり、自 分はその種の哀しみを「一生」抱き締めていかねばならないのではないか、という気分に至ってしまうと、絶望的な気分になるようだ。
2010-07-26 21:19:41こういう風に、一時的な感傷が一生という全時間に拡張されることこそ絶望という気分の本質だと思う。
2010-07-26 21:20:13そういう思考の運び方をしなくなったのは、たぶん、自分の人生を物語として表象しなくなったからかなと思う。物語にははじまりと終わりがあって途上には必然的に定められた因果関係がある。だから、一時点の情報が全時間を貫くある必然的な因果関係のあるあらわれのようにみえてしまう。
2010-07-26 21:21:25絶望にうちひしがれているひとはしばしば「業」とでも呼ぶべきなにかの存在を恨めしそうにほのめかす。
2010-07-26 21:22:51この「業」こそ、自分の人生を物語とみたてたと きに、自分がこれまで得た経験から導きだされた因果関係に関する推論のある解なのであり、その解にとらわれて、証明終了後の人生の無意味さにうちひしが れるのが絶望なのだと思う。
2010-07-26 21:23:11自分の人生を物語として表象するのは、だから、基本やめたほうがいいんじゃないかなあと思っている。とはいえ、多くの物語は現在の自分を肯定するために みちびきだされるわけなので難しいところだが。しかし、それがかえって現在から未来にかけての自分に制約を課してしまうのであれば詮ないことだ。
2010-07-26 21:24:16ある席で、経済学者は運命論が嫌いなんだねと言われた。そういえば確かにそうだ。僕らは、何とか工夫すれば少しは世の中良くなると思っているし、暗黙のうちに才能より努力が重要と考えている気がする。だからこそインセンティブの重要性とかを強調するんだ。
2010-07-28 22:58:06