茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第733回「癒やされるために、挑戦しなければならない。」
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連続ツイート第733回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日、かがやく月を見ながら思ったこと。
2012-10-02 06:44:15いち(1)「癒やし」(healing)が一時期ブームになった。まだブームは続いているかもしれない。現代人が、ストレスの中、「癒やされたい」と感じるのは当然のことなのかもしれない。今朝は、癒やしとは何か、どうやったら癒やされるのかについて、ヒントになることをお届けしたい。
2012-10-02 06:45:17いち(2)「癒やし」というと、忙しい日常の中、のんびりと緑の中で過ごしたり、猫をなでなでしたり、マッサージを受けたりといった、「まったり」のイメージがあるかもしれない。しかし、これでは「癒やし」の本質には届かない。何よりも、「癒やし」の持つ多様な可能性に目が向かない。
2012-10-02 06:46:36いち(3)「癒やし」とは何か。それはつまり、全体性の回復である。生きる中で、身体の使われ方が偏ってしまう。そのことによって通わない経路が出て来る。だから、生命が凝る。そこで、普段は使わない経路を用いてあげることで、生きることのバランスが回復する。これが「癒やし」である。
2012-10-02 06:47:48いち(4)普段偏っている自分の生命の全体性が回復されるから、癒やしとなる。だから、都会で忙しく働いている人にとっては、田舎に行って、緑の中をのんびり歩くことが癒やしとなる。逆に、普段から田舎にいる人にとっては、都会のホテルでくつろぐことが癒やしになるかもしれない。
2012-10-02 06:49:08いち(5)つまり、何がその人にとっての「癒やし」になるかという処方箋は、一人ひとりの個性、人生の来歴によって異なる。一般論で言うことは難しい。その人が、生きる中で、無理をしてしまっていること、偏っていることを解きほぐすことで、生命がさらさらと流れ出すのである。
2012-10-02 06:50:23いち(6)癒やしとは偏りの修正だから、一般的なイメージとは異なって、アクティヴに挑戦することも癒やしになり得る。失われた二十年の中で、日本人はすっかり内向きになってしまった。だから、今となっては、英語を使ってばんばん海外で活躍することが、日本人にとっての癒やしとなるかもしれぬ。
2012-10-02 06:51:44いち(7)癒やしとは、つながることでもある。自分の住んでいる世界が狭い、偏っているという時に、広い世界に結びつくこともまた「癒やし」たり得るのである。世間で言う「癒やし」は、どちらかと言えば閉じこもる傾向があるが、それは誤解。自分を開くことで、初めて癒やされることもある。
2012-10-02 06:54:00いち(8)ところで、夢は、記憶の整理であると同時に、感情的な解きほぐしでもある。昼間、意識の生は、さまざまな矛盾や無理を抱える。やりたくないこともやる。夜、眠りにおいて外界からの刺激が謝絶され、自分の内側でメンテナンスをする中で、たまっていた矛盾のエネルギーが解放されるのである。
2012-10-02 06:55:43いち(9)だからこそ、夢を見ることが「癒やし」になり得る。ファンタジーの効用は、そこにある。現実に生きるだけでは偏ってしまう私たちの生が、夢やファンタジーの中に一次的に没入することで、全体性を回復する。今の日本人にとっては、挑戦することが、生を解きほぐすファンタジーなのだろう。
2012-10-02 06:58:03