セバスティアン・コンラッド「グローバル・ヒストリー・ワークショップ」(10/6@東大)
- Cristoforou
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さてどうするか。提言。あまり激しくanti-Eurocentrismをとなえないようにしよう。たとえば『リオリエント』。欧州中心主義を中国中心主義に置き換えている。これで得られるものはいかほどか。
2012-10-06 14:44:55Entanglement is not enough. いろいろな要素に関連のあるというだけでは十分ではない。Agnotology. なぜ特定の種類の知識は伝達して、別の種類の知識はしないのか。つながらないもの、移動しないものへ着目することの重要性がある。
2012-10-06 14:49:17mobilityにとらわれすぎないようにしよう。The Art of Not Being Governed. stateにとりこまれることを拒否した人々の物語。このような人々を忘れてはならない。
2012-10-06 14:51:05また特殊性や差異への着目をGHによって消し去ってはならない。economic dimensionへの回帰は、たとえばジェンダーへの関心を周縁化するのではないか。The Modern Girl aroud the Worldのような書籍が参考になる。
2012-10-06 14:53:181919年に世界各地で同時多発したように見えるnationalismのuprising、ウィルソンの民族自決主義がtrigger、原因は個々にある、synchronicityを強調しすぎないことが大事
2012-10-06 14:54:05globalというのはつねにperspectiveである。globalというのはrealityというより歴史家が適用する視角。私たちの視点に依存するもの。Reading the Globalという本からの引用。
2012-10-06 14:55:19globalというのは、particular approach, particular languageであって、非常に異なる複数の現実を比較可能なものにしてくれるものである。
2012-10-06 14:55:54ドイツにおけるGHとは?GHというのはアングロフォンな性質を持っている。しかし実はドイツにはGHの長い伝統がある。 Getterer, Schloezerら(ゲッティンゲンスクール)。Karl Lamprecht. シュペングラー。 しかしGHはドイツでは強くない。
2012-10-06 14:58:35ドイツの歴史学科は自国史にフォーカスすることが多い。アメリカ、中国、朝鮮の歴史を書くなら、地域研究の学科へ行く。これらの2つの学科の人々の対話不全を引き起こす。
2012-10-06 15:00:33historian at gernan universitiesという円グラフ。ドイツ史の圧倒的さ。別の地域をやるにしても、まずはドイツについてのPHDがいるとか。
2012-10-06 15:01:19Osterhammel, Die Verwandlung der Welt(世界の変身)。ドイツのMr. Global Historyとも言える人物。ハイパー分厚いらしい。GHの叢書もではじめている。
2012-10-06 15:03:57GHの通史も出ようとしている。Geschichte der Welst (Beck). Free Universityとフンボルト大学の試み。地域的専門性と、global seminarsの組み合わせ。地域に密着しながら mindをglobalに。
2012-10-06 15:07:57Wilson Momentについての説明は(私たちが)完全に間違っておりました。あれは第一次世界大戦後のnationalismの高揚の同時性についての話です。 とひげに指摘された15時12分。
2012-10-06 15:12:26おわた。かなりクリアー。ghがすでに受けてきた批判と、それへの対応の話があったのがとてもよかった。単なる新潮流の紹介だけではこういうところがわからないので。
2012-10-06 15:13:31うまいアイスブレイク。そこからglobalhistoryとhistoryofglobalizationの違いへ切り込む。
2012-10-06 15:36:47羽田さんの質問。world historyとGHの関係。前近代の歴史にそれ以前の歴史に対するのと同じ手法を適用するできるのか。West and Non-Westという二区分法を残すべきなのか。GHと通史の両立性。通史となるとクロノロジカルで、目的論的な歴史記述になりはしないか。
2012-10-06 15:45:57GHは誰のためのものか。国民史はna国民国家のためのものであった。ドイツでも日本でもGHに関心を寄せる歴史家は比較的少数ではないか。もしかするとGHというのはアングロフォンの歴史記述法である可能性がないか。それに日本なりドイツなりでキャッチアップする必要はあるのか。
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