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イッキ @itk_ny
「仙蔵、もっといいところに住んだら?」双子の妹は会う度にそう言ってくる。もはや、一つの口癖のようだ。「気に入っているんだ。引っ越す気は、ない」そうだ、引っ越してはわからなくなるじゃないか、彼女が。そう思っていても、口には出せなかった。きっと、綾女は怪訝そうな顔をして説教を始める。
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あれは、冬の日だった。突然、小雪は姿を消した。前日まで彼女は台所に立ち笑顔を見せ、その薬指には確かに私が送った指輪をはめていた。不満など、なかった。少なくとも私には小雪といる時間が幸せだった。だから、当初は夢ではないかと強く思った。質の悪い夢なのだと、そう強く思い込んだ。
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夢は覚めることなく、続いていく。何日も胃が食物を拒絶した。早く目覚めようと何度か顔を洗った。だが、だめだった。文次郎や綾女も一緒に探してくれたが一向に見つかる気配はなく、警察に届けても良い知らせが来ることはなかった。どうして、と問うても答えてくれる人はいなかった。
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それからはただ無作為に過ごす日々が続いた。会社に行き、与えられた仕事をこなし、灯りのともっていない家に帰って、現場維持のために事務的に食事をする。時間がくれば布団に身を沈めた。小雪はいない。手がかりも希望もないままの生活はモノトーンの世界そのままだった。毎日が退屈だった。
イッキ @itk_ny
何故だ、何故、小雪はいなくなったのか。前日まであんなに笑顔だったじゃないか。悩んでいる様子も見せなかった。幸せな時間だったのだ。いや、私が気づけていなかっただけなのか。誰か、私に答えをくれ。小雪が姿を消した理由を教えてくれ。私はどうすれば良かったのか。後悔ばかりが胸を押しつぶす。
イッキ @itk_ny
「仙蔵、こんなこと、言いたくないけど、あなた馬鹿ね」「どうとでもいえ」「本当に、馬鹿よ」綾女はしばしば自宅に来るようになった。その手には彼女が作りすぎたという惣菜が必ずあった。時には文次郎も一緒にくることがあった。「小雪のことは、忘れなさいよ」綾女のいう事は聞きたくなかった。
イッキ @itk_ny
小雪は、しっかりしているようで頼りないところがあった。独りで何事でも抱えてしまうところがあった。強がって、弱みを見せないところがあった。でも、笑顔はけっして絶やさなかった。そんなところがいじらしてくて、そして好きでたまらなかった。私は会えたことが純粋に嬉しかったのだ。
イッキ @itk_ny
ほんの、偶然だった。小雪がいなくなって、一年。何も考えていない生活が祟ったのか、目の前が真っ暗になり、倒れた。医者に言わせると栄養失調と過労だという。出張先でのことだった。慣れない土地の空気に私の身体はとうとう悲鳴をあげたらしい。簡易な入院ということで一泊することになってしまった
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入院の手続きを終わらせ、ベッドに身を沈める。疲れた。めまぐるしく動く看護士にもカルテばかりに目を落としている医者も何もかも煩わしかった。綾女にはもう連絡がいっただろうか。ぼんやりとそんなことを考えた。喉が渇きを訴え、ベッドから這い出したのはまだ日が高いうちだった。
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待合室のような空間は見舞客と入院患者が多く集まり、華やかな印象を持った。その空気に耐えきれず足早にセルフサービスのお茶を入れ、病室に帰ろうとしたときだった。見覚えのある女性が頼りなさげに廊下を歩いてくる。そろりと一歩を確かめながら歩く様子は何かに怯えているような気がした。
イッキ @itk_ny
彼女を見た瞬間、ときが止まったのかと思った。夢はいつ覚めたのだろうと思った。まだこちらに気づかない彼女はぼんやりと見舞客を眺めている。ニット帽を深くかぶり、唇には色がない。自前で用意したであろう入院着はくたびれて、彼女が長く病院に拘束されているのだとわかった。
イッキ @itk_ny
冷静になれ、と自身に言い聞かせた。ゆっくりと彼女のそばによる。全体的に痩せたのか前よりも一回り小さくなった気がする。入れたばかりのお茶を捨て、彼女に近づく。「小雪」恐る恐る名前をつぶやくと彼女の身体がこわばった。間違いない、彼女だ。小雪だ。今、失踪した彼女がここにいる。
イッキ @itk_ny
まるでブリキ人形のように彼女の首が回る。ゆっくり、ゆっくりと。その瞳が私を捉えた瞬間、酷く困惑した顔になった。「せんぞう?」たどたどしい言い方で彼女は私の名前をいった。半信半疑という言葉がよく似合う。「ああ、私だ」その手を小さく握る。もう逃がしたくない。強く握りしめた。
イッキ @itk_ny
「なんで、なんでここに」逃げ出す意思はないのか、はたまたあまりの衝撃に動きが取れないのか。小雪は私の手を振りほどかなかった。 「それは、私の台詞だ」聞きたいことが山ほどある。ここではなかなか話が切り出しにくい。誘導するように屋上へと誘った。それまでの体調不良は嘘のように消えた。
イッキ @itk_ny
「ごめん」絞り出された彼女の声は弱々しい。話を要約すれば、不治の病が彼女の身体を蝕んでいるのだという。指輪を贈った直後に発覚し、彼女はなかなか言い出せなかったのだという。「ごめん」涙を流す小雪はやはり変わりなかった。強がりで、でも弱くて。その弱さを認めない。いつも抱え込む。
イッキ @itk_ny
「だからといって、姿を消すことはなかっただろう」確かに小雪は不安なのかもしれない。不治という壁。その先に約束されるもの。そして別れ。人に伝えることが下手くそな彼女なりの答えが逃亡だったのだろう。しかし、「私にはお前一人分くらい受け入れる余裕はあるんだぞ」そう言うとまた彼女は涙した
イッキ @itk_ny
「小雪、もう時間は少ないのかもしれない。だが、」せめて、その瞬間まで傍にいるから。嘘偽りのない言葉だった。ただ、小雪にそばにいて欲しい。ただ彼女を支えたい。「愛してる」唇ではなく、よりいっそう華奢になった手の甲に口付けを落とす。堰を切ったように泣く彼女を抱きしめた。
イッキ @itk_ny
「仙蔵、」ベッドに横たわる彼女は笑顔だった。細くなった手が私に伸びる。その手をそっと包む。安堵した小雪の目から一筋、涙が落ちた。「小雪」名を呼ぶと確かに手を強く握られた。今日はいい天気だ。病室からは蒼い空がよく見える。「……ありがとう、愛してる」天へと還る彼女は美しかった。終

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