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「移動術家」用に抜き出し
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KAWAHARA @no_position

「移動術」という言葉に限界を感じてきた。でもそれは「Art du Déplacement」という言葉にも同じことが言えそうだ。

2011-02-15 11:35:00
KAWAHARA @no_position

Hébertismというのは、"Être fort pour être utile"のことなのだろうか。そして、Méthode naturelleはそれをHébert自身なりに体現したもの?

2011-02-16 12:34:13
KAWAHARA @no_position

"Être fort pour être utile"を日本語に訳すとしたら「役立つために強く在れ」でいいのかな。このモットーが中心にあって、そこに付随するものも含めてHébertismか。

2011-02-16 18:55:29
KAWAHARA @no_position

現在ある競争やパフォーマンスへの懸念は、Hébertismから来ているのか。

2011-02-17 15:23:42
KAWAHARA @no_position

Hébertismはジャン=ジャック・ルソーの思想にも影響を受けてるらしい。

2011-02-18 16:24:49
KAWAHARA @no_position

Hébertは、ルソーの言うところの「自然状態における人間」を一つの理想としてみたのだろうか。もちろん、純粋に身体的な意味においてのみの話である。

2011-02-20 18:34:43
KAWAHARA @no_position

>「パルクールは、身体的分野の見地から考えると、身体的本質への近道である」 http://clipfeet.blogspot.com/2011/02/blog-post_20.html

2011-02-21 12:32:36
KAWAHARA @no_position

身体運動を行うことと精神/道徳的に成長することの間に単純な因果関係てあるのだろうか。現代なら脳科学とかで研究されてそうだけどどうなんだろう。

2011-02-22 12:37:44
KAWAHARA @no_position

Hébertismでは、精神はエネルギーと言い換えられているのかな? エネルギー的意義:エネルギー、意志力、勇気、冷静、堅固 道徳的意義:慈悲、援助、自尊心、誠実 武士道との共通項がいくつかある。

2011-02-22 16:34:29
KAWAHARA @no_position

辞書に書かれているそれぞれの意味の一つからも「精神⇔Energy」という言い換えが可能と言える。 energy:行動する力、実行力 精神:物事をなしとげようとする心の働き。気力。

2011-02-25 21:01:25
KAWAHARA @no_position

「実行する気力」と身体運動の間の単純な因果関係を考えた時、身体と脳でセロトニンと乳酸が何かしらの働きをしてそうだけど、色んな情報がありすぎてどれが信憑性あるのかわからない。少なくとも無関係ではなさそう?

2011-02-25 21:33:28
KAWAHARA @no_position

「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは言わなかったユウェナリス http://www.geocities.jp/hgonzaemon/intro_juvenal_intro.html http://ja.wikipedia.org/wiki/ユウェナリス

2011-02-28 19:17:02
KAWAHARA @no_position

もしHébertが単純に身体運動をすることで精神/道徳的に成長できると考えていたなら、わざわざ「運動技能は勇気や利他主義と共に在るべき」とは思わないはず。

2011-03-01 12:17:29
KAWAHARA @no_position

勇気/利他があることで、精神/道徳的に成長するのか。 精神/道徳的に成長することで、勇気/利他が身につくのか。 どちらも間違いではなさそうだけど、勇気を精神の一要素、利他を道徳の一要素と考えると後者の方がしっくりくる。

2011-03-02 17:21:53
KAWAHARA @no_position

でも、道徳と利他についてはそうとも言えないのかな。 あと、精神と道徳を一緒に考えず、別々に考えた方がよさそう。

2011-03-02 17:46:43
KAWAHARA @no_position

Hébertは道徳心は理性的なものというよりも、直感(感情)的なものと考えていたんだろうか。

2011-03-03 21:59:20
KAWAHARA @no_position

英語版Wikipediaをみると、Hébertがその身体能力に感銘を受けた先住民族は複数あり、場所もアフリカだけではないようだ。

2011-03-07 18:40:55
KAWAHARA @no_position

Hébertは、彼らの身体能力だけではなく、その"熟練された"運動技術にも感銘を受けた。

2011-03-07 22:45:41
KAWAHARA @no_position

Hébertは各地で出会った自然の中で生きる先住民族の身体能力や運動技能の中に、ルソーの考えた自然状態の人間のそれをみたのだろう。

2011-03-08 15:18:00
KAWAHARA @no_position

méthode naturelle(natural method)を日本語にすると「本来の方法」なのか「自然界の方法」なのか。 "Méthode naturelle"の場合、どちらでもあるようだけど。

2011-03-08 18:35:44
KAWAHARA @no_position

Hébertは、近代オリンピックを身体教育の観点から見てどう思っていたんだろう。オリンピズムの目的に人間教育があるにしても、競技大会としての意味合いが強いし。

2011-03-09 08:04:37
KAWAHARA @no_position

今ある競技/パフォーマンスに対する懸念というのは、もしかしたらかつてのオリンピック憲章におけるアマチュアリズムみたいなものなのかもしれない。

2011-03-09 17:46:36
KAWAHARA @no_position

「効率的に移動するための技能を身に付けることは、パルクールにおける目標ではあるが、目的ではない」

2011-03-10 18:23:08
KAWAHARA @no_position

近代オリンピックの設立者であるピエール・ド・クーベルタンはフランス人。同時代を生き、同じ身体教育という分野に関わったクーベルタンとHébertは交流があったんだろうか。

2011-03-18 09:33:20
KAWAHARA @no_position

クーベルタンは競技が教育に与える影響について、Hébertとは違う考えをもっていたのだろう。 また、Hébertが女性スポーツを支持していたのに対して、クーベルタンは女性スポーツには懐疑的だったようだ。

2011-03-18 17:19:48