『水口夜話』

ついったあ(なりきり)武将、長束正家様が臣・奥村左馬助の語り・製作。 某所に記された、関ケ原敗走から最期の日までの御話です。
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なつか @ntk1600

静かなようですが……静かなうちが良いのでしょうか。私が此処に来た理由……ひとつ、お話をさせていただきたく思います。

2012-10-07 21:28:02
なつか @ntk1600

では…。何故か殿は、このお話をなさらなかったようですので、誠に勝手ながら私が、私の一存でお話致します。あまり愉快な内容では御座いません。また、これも、「或る記録のひとつ」に過ぎません。御嫌な方は、避けて下さい。此方に隔離致します。 → @reki_nari

2012-10-07 21:37:26
なつか @ntk1600

@reki_nari 何処からお話するか迷ったのですが……。時は関ケ原の戦。池田亀井の追撃を振り切らんとする、我が長束軍の動向に御座います。

2012-10-07 21:42:10
なつか @ntk1600

@reki_nari 追撃の手は厳しく、我が殿や、退路を同じくしていた安国寺殿も、激戦必至の状況を強いられました。そんな中、松田殿が、追手の兵数十人を討ち取るという、まさに獅子奮迅の活躍を見せます。

2012-10-07 21:46:09
なつか @ntk1600

@reki_nari 松田殿はそのまましんがりをお務めになり、追い来る兵を数多く討ち果たされ、御自身もそこで最期を迎えられました。松田秀宣殿。元は蒲生家の臣でいらっしゃったのですが、殿もその死を御嘆きになる、素晴らしき御方でした。

2012-10-07 21:49:36
なつか @ntk1600

@reki_nari さて一方。…此方は当時の私どもが知る由もない話ですが。 その頃、山岡景友殿…“道阿弥”殿、とお呼びした方が宜しいのでしょうか。此の方が、伊勢長島の城に居たそうです。

2012-10-07 21:53:08
なつか @ntk1600

@reki_nari 山岡殿は、関ケ原東軍勝利の報を聞き、「これ以上城に籠っていても仕方がない」と、三百七十程の兵を連れて、近辺の敵を討ちに発ったのです。

2012-10-07 21:55:58
なつか @ntk1600

@reki_nari 運悪く…、いえ、山岡殿にとっては「運良く」なのでしょうね。「天の与え願うこと幸い」と、記されております…(苦笑) 遭遇したのは我が軍でした。

2012-10-07 21:57:49
なつか @ntk1600

@reki_nari この時、我が軍は四百程で、とても追手を振り切れぬと、殿もお思いになったのでしょう。両軍はぶつかりました。此方の被害は百名にも及びました。それでも、なんとか水口まで退く事が出来たのは、松田殿の加護もあったのでしょうかねえ。

2012-10-07 22:01:30
なつか @ntk1600

@reki_nari そして、皆様御存じのとおりです。池田亀井両軍が城を囲み、本領安堵を騙って殿を誘いだします。 …殿はとても頭の切れる御方…、どうなるかは、勘付いておられたのではないかと、私は思います。此処は、殿に伺ってみなければ分かりませんが(苦笑

2012-10-07 22:04:11
なつか @ntk1600

@reki_nari 私は殿に命じられ、もう一人の使番である西川兵庫殿と、最期の準備をする為の時間を頂きたい、と、亀井殿池田殿に頼みに行きました。 願いは聞き入れられ、 そして十月の三日。

2012-10-07 22:07:18
なつか @ntk1600

@reki_nari 庭先に敷いた畳に、正家様と、弟君の伊賀守様がお座りになられます。前には、池田殿と、亀井殿、その家臣が周囲におります。私は、殿の後ろに居りました。……介錯の御役目を、賜っておりましたので…。

2012-10-07 22:10:04
なつか @ntk1600

@reki_nari 始めに伊賀守様が腹を召され、林殿がその介錯を務めました。林殿はそのまま、その刀で御自分の腹を切ろうとなさりましたが、殿がそれを御留めになり、刀を奪いました。  その後、殿は静かに座り直されて、こう仰います。

2012-10-07 22:13:21
なつか @ntk1600

@reki_nari 目の前の池田殿・亀井殿に向かい、「此処まで御出で、御苦労に御座いました。今から御暇申すが、御二人に頼みおくことがある。この家臣は奥村左馬助といって、幼少の頃から俺の身近くに仕えておったので、冥土黄泉の共をする心得でいると見える。

2012-10-07 22:17:52
なつか @ntk1600

@reki_nari 殉死など無益なので、もしそうなれば、どうか必ず止めて頂きたい」と。 そして、そのまま、十文字に腹を……。

2012-10-07 22:20:00
なつか @ntk1600

@reki_nari 私は、殿の仰る通り、黄泉路の御供をするつもりで御座いました。殿を介錯をした刀で、私も…と、思っておりましたが、池田亀井の臣の者に止められてしましました。御二人からは、「主の命に背くのは不忠だぞ」と諭され、…力無く畳の上に座り込むしかありませんでした。

2012-10-07 22:23:52
なつか @ntk1600

@reki_nari 後はまた、殿が良く皆さんにお話している通りです。水口の、正家様の財は、その一切を池田亀井本陣に運び込まれます。『正家府庫に積残したる金銀黄金五千枚、銀三百貫目、金熨斗付きの刀脇差千こし、其外金銀を鏤めたる珍器奇玩山の如く有りける』と、記されておりますね(苦笑

2012-10-07 22:28:38
なつか @ntk1600

@reki_nari (本文では、「政家」と誤って記されていることが大変不服なのですが…)

2012-10-07 22:29:42
なつか @ntk1600

…お騒がせ致しました。以上で、私の話は終いに御座います。聞いて下さった皆様、本当にありがとうございます。 殿は、とても素晴らしく格好良い御方なのですよ、と、こっそり申しておきましょう^^

2012-10-07 22:33:58